蜜味センチメンタル
午後8時、約束の時間。
駅前のベンチに座っていた羅華は、コートの襟をきゅっと握りしめていた。
那色が姿を見せたのは、その数分後だった。
「お待たせしました、羅華さん」
いつもの穏やかな声。
グレーのコートにマフラー、そして少しだけ寝癖のついた前髪。
見慣れたはずの姿が、なぜか今日は、少し遠く感じた。
「ううん、私も今来たとこ」
そう笑って立ち上がり、いつものように並んで歩く。寒い空気の中、手を重ねるとすぐに那色が指を絡めてきた。
「今日は、甘やかしてくれる日らしいですよ」
「え?誰が?」
「世間が。バレンタインって、そういう日でしょう?」
「……世間が、ねえ…」
彼の顔をちらと見れば、にやけた表情をしていて、思わず肩をすくめた。
そして少し遅れて、口の中で笑う。
バレンタイン。
一年に一度の、特別な日。
その特別を、こんなふうに誰かと過ごすことができる日が、来るなんて思っていなかった。
(だけど——)
なぜかその“だけど”の先が、うまく言葉にならなかった。