蜜味センチメンタル
自宅に戻った途端、羅華は全身の力が抜けたように、その場に座り込んだ。
玄関の扉に背中を預けて、ゆっくりと息を吐く。
でも、肺の奥まで入ったはずの空気は、どこか苦く、重たかった。
手元のスマートフォンが、通知の振動と共に光る。
——新しい那色からのメッセージが届いていた。
[羅華さん、大丈夫ですか?]
いつもの、何気ないやさしさ。変わらない気遣い。
だけど今の羅華は、その優しさをまっすぐに受け取ることができなかった。そうしてはいけない気がした。
震える指で、羅華は返信を打った。
[……ごめん。少し疲れちゃったから、今夜はこのまま休むね]
ほんとうは会いたかった。
ただ、顔を見たら、きっと泣いてしまうから。
そして——その涙が、那色のためじゃないと気づかせてしまうから。
メッセージを送ると、スマホを伏せて目を閉じた。ベッドに体を沈めて、何も考えないようにしても、弥の声が、名前を呼ぶ口ぶりが、何度も頭の中で繰り返された。
——やめてよ、頭の中に、入ってこないで
あれほど辛い過去なのに。
あれほど嫌いになったはずなのに。
なのに、どうして。
「……那色くん、ごめんね……」
ぽつりと漏れた声は、誰にも届かないまま、静かな部屋に溶けていった。