蜜味センチメンタル
「残念ながら、ここから先は対価が必要です」
「は? 対価?」
「そうです。なんで恋人でもない赤の他人に、赤裸々な家庭事情を話さなきゃならないのか意味が分かりませんから」
「……」
皮肉めいた口ぶりに、思わずムッとして口をつぐむ。
「それ……出会ってすぐ家庭事情を話した私を、遠回しにバカにしてる?」
「まさか」
那色はさらりと否定し、続ける。
「むしろそうしてくれなかったら、今こうして一緒にいられてませんから」
「……。じゃあ聞くけど、その“対価”って何?」
「前にも言いましたよ。羅華さんが身も心も僕にくれるなら、話してもいいって」
その言葉に、胸の奥がまた静かに揺れた。
何度も口を開いては、言葉にならずに閉じる。
どうしても、気持ちが決められない。
先輩を本当に忘れて、この人の手を取っていいのか。この先、どうなるのか分からなくて、怖くて、踏み出せない。
迷って、怯えて、決めきれずにいる自分がいた。
「いいですよ。待ちますから」
「え?」
不意に注がれた優しい声。那色は軽く微笑んで、羅華のティーカップに静かに紅茶を注いだ。
「身から出た錆だって、ちゃんと分かってます。それに羅華さんが答えを出すまでの間も、週末にはちゃんと会いに行きますから」
「えっ、それって……」
「だって、会えないと飢餓状態になるんで」
にこり、と笑うその顔は、どこか冗談めいて見える。けれど、瞳の奥だけは冗談じゃなかった。
たぶんこの人は、本当に、飢えている。
それがただの依存か、それとも真剣な気持ちなのか、まだ判別はつかない。けれど無視もできなかった。
そっと顔を伏せた。
もう、冗談にすることも、気づかないふりをするのも難しくなってきている。
それを一番分かっているのは、自分だった。
さっきまでキラキラして見えたスイーツは今はただ静かにそこにあり、冷めた紅茶から立ちのぼるフレーバーティーの香りがやけに沁みた。
——もう少しだけ。この気持ちに名前を与えるのを、待ってほしい。
心の中で、そっとつぶやく。
そして羅華は、静かにフォークを手に取った。