隠れ御曹司の恋愛事情(改稿版)


「さて、花咲さん。このホテルに着いてから名刺を受け取っていますよね? 僕が責任を持って処分して差し上げますから、と出してくれませんか」


 能面のような表情から一転、晴れやかな笑顔で物騒なことを言い募る彼に驚いて目を丸くする。
 はお見合いが始まる前に貰った名刺。

(なんで桐山くんが名刺を受け取ったこと知っているの?)

 無意識に名刺を仕舞ってある鞄を守るように持ち手を握りしめれば、さらに不自然なほどに彼の笑顔が深まる。

「……どうして名刺を出さないんです?」
「どうしてもなにも桐山くんに名刺を差し出す理由がないもの。それにどうして桐山くんが名刺のことを知っているの?」
「……っ……たまたま、名刺を受け取っているところを目撃しただけですよ。花咲さんだって、あの男の連絡先なんて必要ないでしょう?」
「それを決めるのはわたしよ」


 実のところ、別に家に帰ってから名刺を確認しようとしただけで、連絡先が書いてあってもこちらからはアクションはしないつもりだし、特に必要とはしていない。
 けれどさすがに渡された名刺をすぐに捨てるのはいかがなものか。意固地に似た気持ちで否定すれば、彼の笑顔は崩れた。

「言っておきますけど、あの男は結婚していますからね」
「は?」
「花咲さんに名刺を渡したのなんて恐らくは僕に対する嫌がらせなんですよ」
「桐山くんは、どうしてあの人のことをそんなに知っているの?」


 忌々しそうに眉根を寄せてはいるけれど、苛立っているだけで、憎悪している様子はない。
 むしろ親しみが混ざっているからこそ怒っているのではないだろうか?

「……兄なんです」
「兄弟が居たの?」
「ええ。ちなみにさっきまで僕の傍に居たのは妹です。多分わざとらしく腕を何度も組んできたのは、花咲さんに誤解させようとしたからです。アレは兄さんに似て愉快犯に育ったから」


 重たい溜息をついて眉根を寄せる彼に苦笑する。なんでも器用にこなす彼の思いがけない苦労が垣間見えたような気がして純粋におかしかったからだ――しかし彼はそれに釣られてはくれなかった。
 ガシリと急に肩を掴まれ、真正面から向き合う彼はひどく切羽詰まった様子だった。


「ねぇ、花咲さん――どうしてよりにもよってこのホテルでお見合いなんかしているんですか?」
「それは……」

 あまりにも真剣な彼の表情に、ハッと息を呑む。母に言われるがまま来たホテルだったけれど、もしかしたら彼にとっては特別なホテルだったのだろうか。それとも偶然わたしと被ってしまったことに対する不満か。
 ふと以前、彼に言われていた言葉を思い出す。


『花咲さん。なんで、見合いなんてするんですか?』
『僕は、ずっと、貴女を……』

 あの時彼がわたしを抱きしめた時の感触。それは今も鮮明に覚えている。
 だからこそ彼が近くに来られると、そのことを意識してしまい、恥ずかしくてつい慌ててしまう。


「桐山くん! コレが必要だったんでしょう」

 乱雑に鞄の中から目的の物を漁り出し、受け取っていた名刺を彼に突き付ける。
 意地を張っていたくせに異性に対する免疫の無さのせいで、あっさりと差し出してしまった自分に対する嫌悪。空回りしている自分がとにかく恥ずかしかった。
 年甲斐もなく情けない姿を見せてしまったことへの焦りから彼の手を振り払って慌てて立ち上がる。
 どうか赤面してしまった顔を見ないで欲しいと俯きながら通り過ぎようとしたのに。


「……好きです」


 彼の熱情に釣られてつい見上げてしまった。
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