不器用なプロポーズ
彼の戸惑いと私の賭け ~六日目 約束~
大きめに取られた窓から茜色の夕日が差し、室内に濃い影をいくつも落とす。
静かな部屋に響くのは、カタカタと小気味よく打たれるキーの音だけ。
そんな中、私は作業していたファイルを上書き保存し隣で印刷しておいた書類を手に席を立った。
書類の束を持ったまま、三嶋社長のデスクへ近づく。
彼のデスクの上には、昨日私に大事な事を伝えてくれたのと同じタイプの黒い手帳が置かれていた。
艶のある髪が少し揺れて、パソコンに落とされていた彼の視線が私の方へと向けられる。
髪と同じ黒い瞳に夕の光が映り込み、複雑な表情をそこに表した。
仕事中だからこれといって見せてはいないけど、突然変わった私の態度に未だ困惑しているのだろう。そんな思いが見てとれた。
うーん……本当に、来た当初とは違い過ぎてて吃驚だわ。
私も自分で自分に吃驚だけど。
主に自分の心境の変化にね。
「終わりました」
「ああ……」
何か言いたげな目はそのままに、三嶋社長が私から受け取った今日の仕事に軽く目を通していく。
黒い瞳が流れる様に動いていくのを、私は傍でじっと静かに見守っていた。
今思えば、連れてこられた当初の私は三嶋社長の態度が急変した事に戸惑って、小さなミスを連発していたと思う。
まあ、自分の事をコピー機か何かだと考えているのだろうと思っていた相手に、いきなり拉致されて無茶な契約をされたのだから当たり前と言えば当たり前だけど。
それに比べると、今の私は随分気持ちが落ち着いている。
きっと、ごちゃごちゃ考えていた事すべてに『答え』が出たことが原因だろう。
でもそれをいつ口にするか、打ち明けるか。
打ち明けてもらうか、少し計りかねていた。
恐らく突然ぶつけると彼は混乱してしまうだろう。
だけど、段階を踏むには時間が足りない。
明日は、この契約の最終日なのだから。
「ありがとう。今日はもう上がってくれて結構だ」
……正直、口振りの愛想の無さは、以前とそう変わりは無い。けれどちゃんと彼の顔を見てみると、戸惑いつつも表情が柔らかくなっているのがわかる。
それに気づけるようになったのは、彼が気持ちを私にぶつけてくれた事と、私自身がそれに気づいたからだ。
「判りました。お疲れさまでした」
それだけ短く告げると、私はこれまでと同じ様に書斎を後にし部屋へと戻った。
……胸の中に、一つの計画を抱いて。
◆◇◆
「少しよろしいですか」
「あ、ああ」
空の色が黒に近い青に変わり、白く輝く星が見えだした頃、私は再び書斎にいる彼の元へ来ていた。
なんとなくそうだろうなと思っていたけれど、彼は私を気遣ってここで夜を明かすつもりだった様だ。
その証拠に書斎の扉を開けた途端、三嶋社長がソファから慌てて身を起こした。
たぶんあの日も、この人はこうやってここで一人過ごしたのだろう。
いつまで気にしてるのかしら。
私は大丈夫だって見せてるし、言ったのに。
それが予想出来たからこそ、私はここに来たのだけど。
ちなみに、私は今はもう夕食も済ませネグリジェ姿である。
しかし左手だけは、まだ彼の目に触れないよう後ろに隠していた。
「貴方にお話があります」
ソファから半身を起こした状態の三嶋社長にそう告げると、黒い瞳が哀し気な色を帯びて逸らされた。
私から拒絶の言葉を聞かされるとでも思ったのかもしれない。
日中あれだけ、態度に出していたというのに。
仕事に関しては驚く程の手腕を発揮するのに、どうしてこういう所だけ鈍いのだろう。
といっても私も鈍かったから、お互いさまなのかもしれない。
「お話と言うのは、こちらのことです」
三嶋社長に向かって、私は背に隠していた『ソレ』を彼の目前に掲げた。
彼も私も見慣れている筈の黒い革の手帳。
けれどこれは、いつも使っているものとは違う。
今日も使用した手帳がなぜ今ここにあるのか一瞬不思議に思ったのだろう。
三嶋社長はじっと手帳を見つめた後、その事実に気づいたのか息を飲み、焦った様な声を出した。
「っなぜそれを」
「安近さんから頂きました」
「なっ――」
「あと六冊あるそうですね。今度見せて頂けますか?」
にこりと笑ってそう伝えると、驚愕に目を見開いている三嶋社長の顔が、次の瞬間にはみるみる赤く染まっていく。
……あらま。
真っ赤になっちゃった。
これまで頬が少し染まる程度の表情変化は目にしたけれど、ここまで茹蛸状態になっているのを見るのは初めてだ。
羞恥で固まっている彼の方にゆっくり近づいて行くと、怯えているみたいにびくっと後ろに引かれてしまう。
彼は赤い顔をしたまま、片手で口元を覆っていた。彫りの深い顔立ちに切れ長の瞳が、細フレームの眼鏡の奥で揺れている。
先程の台詞から、私が中身を把握している事に思い至ったのだろう。
だけど怒ったりしないのは、恐らく彼自身がこの手帳の中身を『知ってほしかった』から。
だってずっと彼は伝えてくれていた。
ここに私を攫ってきてから、ずっと。
自分を見下ろすほど背丈のある人に対して、可愛いなんて思うのは失礼だろうか。
でもそう思ってしまうのだからまあ仕方が無い。
不意打ちで悪いとは思ったけれど、こうでもしなければこの人は明日、罪悪感と後悔に挟まれたまま私との契約を終えてしまうだろう。
手帳でさえも言葉が足りていないくらいなのに。
そうなってしまえばもう彼の口から気持ちを表す言葉は出てこない。
だから私は今日、一つ目の賭けにでた。
羞恥と戸惑いに揺れる黒い瞳を見つめながら、私は不器用で可愛い人に微笑みかける。
「見たいんです。見せて下さい。と言うか出来れば今使っているもの以外これまでのもの全て頂きたいのですが」
「どう、して……」
畳みかける様に自分の要求を告げると、呆然としたままの三嶋社長から疑問の言葉が零れでた。
なぜ私が彼の手帳を欲しがるのか、その理由が知りたいと。
「答えは明日お答えします。あ、あとちゃんとベッドで寝てくださいね。一緒に寝てくれないなら、今の約束は無効です」
いつか言われたのと同じような台詞を口にする。
あの時の彼も他の部屋で寝るなら契約は無効だと、思えば滅茶苦茶な要求をしていた。
「し、しかし」
「来ないと言うなら私がここで寝ますよ。そのソファじゃちょっと狭いですけど」
尚も躊躇う彼に私は笑みを深めながら、最後の一押しをした。
すると赤い顔をしたままの彼が、戸惑いながらだけど少しだけ嬉しそうな空気を滲ませて「わかった」と小さく頷いた。
三嶋社長と交わした契約での期間は一週間。
明日はその最終日。
全ての答えは―――その時に。
静かな部屋に響くのは、カタカタと小気味よく打たれるキーの音だけ。
そんな中、私は作業していたファイルを上書き保存し隣で印刷しておいた書類を手に席を立った。
書類の束を持ったまま、三嶋社長のデスクへ近づく。
彼のデスクの上には、昨日私に大事な事を伝えてくれたのと同じタイプの黒い手帳が置かれていた。
艶のある髪が少し揺れて、パソコンに落とされていた彼の視線が私の方へと向けられる。
髪と同じ黒い瞳に夕の光が映り込み、複雑な表情をそこに表した。
仕事中だからこれといって見せてはいないけど、突然変わった私の態度に未だ困惑しているのだろう。そんな思いが見てとれた。
うーん……本当に、来た当初とは違い過ぎてて吃驚だわ。
私も自分で自分に吃驚だけど。
主に自分の心境の変化にね。
「終わりました」
「ああ……」
何か言いたげな目はそのままに、三嶋社長が私から受け取った今日の仕事に軽く目を通していく。
黒い瞳が流れる様に動いていくのを、私は傍でじっと静かに見守っていた。
今思えば、連れてこられた当初の私は三嶋社長の態度が急変した事に戸惑って、小さなミスを連発していたと思う。
まあ、自分の事をコピー機か何かだと考えているのだろうと思っていた相手に、いきなり拉致されて無茶な契約をされたのだから当たり前と言えば当たり前だけど。
それに比べると、今の私は随分気持ちが落ち着いている。
きっと、ごちゃごちゃ考えていた事すべてに『答え』が出たことが原因だろう。
でもそれをいつ口にするか、打ち明けるか。
打ち明けてもらうか、少し計りかねていた。
恐らく突然ぶつけると彼は混乱してしまうだろう。
だけど、段階を踏むには時間が足りない。
明日は、この契約の最終日なのだから。
「ありがとう。今日はもう上がってくれて結構だ」
……正直、口振りの愛想の無さは、以前とそう変わりは無い。けれどちゃんと彼の顔を見てみると、戸惑いつつも表情が柔らかくなっているのがわかる。
それに気づけるようになったのは、彼が気持ちを私にぶつけてくれた事と、私自身がそれに気づいたからだ。
「判りました。お疲れさまでした」
それだけ短く告げると、私はこれまでと同じ様に書斎を後にし部屋へと戻った。
……胸の中に、一つの計画を抱いて。
◆◇◆
「少しよろしいですか」
「あ、ああ」
空の色が黒に近い青に変わり、白く輝く星が見えだした頃、私は再び書斎にいる彼の元へ来ていた。
なんとなくそうだろうなと思っていたけれど、彼は私を気遣ってここで夜を明かすつもりだった様だ。
その証拠に書斎の扉を開けた途端、三嶋社長がソファから慌てて身を起こした。
たぶんあの日も、この人はこうやってここで一人過ごしたのだろう。
いつまで気にしてるのかしら。
私は大丈夫だって見せてるし、言ったのに。
それが予想出来たからこそ、私はここに来たのだけど。
ちなみに、私は今はもう夕食も済ませネグリジェ姿である。
しかし左手だけは、まだ彼の目に触れないよう後ろに隠していた。
「貴方にお話があります」
ソファから半身を起こした状態の三嶋社長にそう告げると、黒い瞳が哀し気な色を帯びて逸らされた。
私から拒絶の言葉を聞かされるとでも思ったのかもしれない。
日中あれだけ、態度に出していたというのに。
仕事に関しては驚く程の手腕を発揮するのに、どうしてこういう所だけ鈍いのだろう。
といっても私も鈍かったから、お互いさまなのかもしれない。
「お話と言うのは、こちらのことです」
三嶋社長に向かって、私は背に隠していた『ソレ』を彼の目前に掲げた。
彼も私も見慣れている筈の黒い革の手帳。
けれどこれは、いつも使っているものとは違う。
今日も使用した手帳がなぜ今ここにあるのか一瞬不思議に思ったのだろう。
三嶋社長はじっと手帳を見つめた後、その事実に気づいたのか息を飲み、焦った様な声を出した。
「っなぜそれを」
「安近さんから頂きました」
「なっ――」
「あと六冊あるそうですね。今度見せて頂けますか?」
にこりと笑ってそう伝えると、驚愕に目を見開いている三嶋社長の顔が、次の瞬間にはみるみる赤く染まっていく。
……あらま。
真っ赤になっちゃった。
これまで頬が少し染まる程度の表情変化は目にしたけれど、ここまで茹蛸状態になっているのを見るのは初めてだ。
羞恥で固まっている彼の方にゆっくり近づいて行くと、怯えているみたいにびくっと後ろに引かれてしまう。
彼は赤い顔をしたまま、片手で口元を覆っていた。彫りの深い顔立ちに切れ長の瞳が、細フレームの眼鏡の奥で揺れている。
先程の台詞から、私が中身を把握している事に思い至ったのだろう。
だけど怒ったりしないのは、恐らく彼自身がこの手帳の中身を『知ってほしかった』から。
だってずっと彼は伝えてくれていた。
ここに私を攫ってきてから、ずっと。
自分を見下ろすほど背丈のある人に対して、可愛いなんて思うのは失礼だろうか。
でもそう思ってしまうのだからまあ仕方が無い。
不意打ちで悪いとは思ったけれど、こうでもしなければこの人は明日、罪悪感と後悔に挟まれたまま私との契約を終えてしまうだろう。
手帳でさえも言葉が足りていないくらいなのに。
そうなってしまえばもう彼の口から気持ちを表す言葉は出てこない。
だから私は今日、一つ目の賭けにでた。
羞恥と戸惑いに揺れる黒い瞳を見つめながら、私は不器用で可愛い人に微笑みかける。
「見たいんです。見せて下さい。と言うか出来れば今使っているもの以外これまでのもの全て頂きたいのですが」
「どう、して……」
畳みかける様に自分の要求を告げると、呆然としたままの三嶋社長から疑問の言葉が零れでた。
なぜ私が彼の手帳を欲しがるのか、その理由が知りたいと。
「答えは明日お答えします。あ、あとちゃんとベッドで寝てくださいね。一緒に寝てくれないなら、今の約束は無効です」
いつか言われたのと同じような台詞を口にする。
あの時の彼も他の部屋で寝るなら契約は無効だと、思えば滅茶苦茶な要求をしていた。
「し、しかし」
「来ないと言うなら私がここで寝ますよ。そのソファじゃちょっと狭いですけど」
尚も躊躇う彼に私は笑みを深めながら、最後の一押しをした。
すると赤い顔をしたままの彼が、戸惑いながらだけど少しだけ嬉しそうな空気を滲ませて「わかった」と小さく頷いた。
三嶋社長と交わした契約での期間は一週間。
明日はその最終日。
全ての答えは―――その時に。