『天空の美容室』 ~あなたと出会って人生が変わった~
✂ 第4章 ✂ MBAへの道

(1)


 大学院の講義が2年目を迎え、1年間かけて卒論を書く日々が始まった。
『MBA取得後の新たな挑戦』というのがテーマだった。
 昼食時や講義終了後に4人は毎日集まり、それぞれの計画を語り合った。

「MBAを取得したら経営企画室へ異動することが決まっています。そこでは西園寺建設の将来ビジョン策定のためのプロジェクトに参加する予定です」

「神山不動産では本業への積極的な投資と共に新たな展開を考えています。ベンチャー企業への投資です。個性的なベンチャー企業を支援育成するための子会社『神山VC(ベンチャー・キャピタル)』を設立したのです。現在は兄が社長をしていますが、MBAを取得したら、私も経営の一翼を担う予定です」

「競争が激化している製薬業界で生き残るためには自社の強い分野を伸ばすことが必須になっています。費用対効果の低い網羅(もうら)的な研究開発は止めなければなりません。MBAを取得したら、研究員という立場ではなく、ポートフォリオ・マネジャーとしての役割を担いたいと思っています。なので、休職する前に研究開発推進本部への異動希望を出してきました」

 西園寺も神山も宮国も皆しっかりとした計画を持っていた。
 流石だ。
 わたしも負けていられない。

「特徴ある美容室の全国チェーンを作りたいと思っています。人は髪型や髪の色を変えることで気持ちが前向きになり、行動が変わります。すると人生が変わります。それはわたし自身が実感しています。しかし、わたしには美容室業界の経験がありません。そして、残念なことにMBA資格者を求める美容室もありません。だから先ずはMBA資格者を募集している理容室チェーンに就職して、経験を積むつもりです」

 その後も語り合いは続き、熱い思いだけでなく、課題や不安までも吐露し合った。

 西園寺はオリンピック終了後の、つまり2021年以降の景気低迷と競争激化を懸念しながらも、訪日客の増加と日本文化への関心の高まりに期待を抱いていた。
 そして、それをどう取り込んでいけばいいか、ピンチとチャンスを両睨みしながら突破の糸口を探していた。
 
 神山はどのベンチャー企業に投資すべきかを考えていた。
 AI(人工知能)やIOT(様々なモノがインターネットに繋がって制御される仕組み)、ロボット関連への投資が思い浮かんだが、既に著名なベンチャー・キャピタルが有望な企業を囲い込んでおり、新規参入の壁は高かった。
 まだ光が当たっていない分野はないか、突破の糸口を探していた。

 宮国は自社のポートフォリオをどう組み替えるか、会社の経営資源をどの分野に集中させるかで思い悩んでいた。
 現在の主力薬は高血圧や糖尿病などの生活習慣病治療薬に偏っているだけでなく、その多くは数年のうちに先発権が切れて、後発薬に取って代わられることがほぼ確実だった。
 自社の研究開発をガン領域や難病治療薬にシフトすべきか、それとも遺伝子治療や抗体医薬の技術を持つベンチャー企業を買収すべきか、それとも皮膚科や眼科などのニッチ領域でグローバル・ナンバーワンを目指した方が良いのか、突破の糸口を探していた。

        *

「チョッカクに相談してみようか」

 居酒屋に移って乾杯したあと、神山が切り出した。

「チョッカクか~」

 宮国が呟いてから、西園寺に視線を向けた。

「来ますかね~、チョッカクが……」

 西園寺がビールの泡を指で弾いた。

「誘ってみようよ、ダメもろで」

 ろれつ(・・・)が怪しくなってきたわたしに皆が笑った。

        *  

 教授が付き合ってくれたのは、1週間後だった。
 場所は大学院近くのイタリアンレストラン。
 安くておいしいと評判の店だった。

「直角教授に乾杯!」

 わたしたちがグラスを上げると、学外ではチョッカクと呼んでいる直角(なおかど)(いわお)教授も付き合ってくれた。

「4人は仲がいいんだな~」

 珍しく笑みを浮かべた教授が陽気な声を出すと、西園寺家の御曹司が両手をついて、「ご臨席賜り、この上なき幸せでございます」と頭を下げた。
 すると、教授が大きな声で笑ったので、つられてわたしたちも笑い、一気に和やかな雰囲気になった。

 生ビールが3杯目になる頃、教授に質問をぶつけた。
 それは、MBA取得後の計画を立てるにあたって、どうしても知っておかなくてはいけないことだった。

「2021年以降の日本がどうなるのか、オリンピックという国家的なイベントの終了と人口減少が同時並行する経験したことのない変換点をどう捉えればいいのか、教授はどういうふうに考えていらっしゃいますか?」

 神山が刺すような視線を向けると、教授は即座にきっぱりと言い切った。

「非連続の時代が来る! 過去の経験が役に立たない非連続の時代が必ず来る! 明治維新を考えればいい。終戦を考えればいい。既得権が消滅し、新たな挑戦者が主導権を握る、そんな時代が必ずやってくる」

 そして、具体的な企業名を上げた。

「アップルが創業して40年、アマゾンが創業して25年、グーグルが創業して20年、フェイスブックが創業して15年、アメリカの産業構造は激変した。この流れは更に加速する。その結果、革新的な技術やサービスが既存の技術やサービスを駆逐する。それも一気に。そして全世界的に!」

 それを聞いて、アメリカの背中さえも見えなくなりつつある日本の惨めな姿が頭に浮かんだが、それを打ち消すように教授が処方箋を提示した。

「昨日の次は今日、今日の次は明日、明日の次は明後日、そんな緩やかな流れに身を任せていたら茹でガエルになってしまう。だから昨日の続きを今日やってはいけない。昨日を否定して新しい今日を作らなければならない」

 それは、わたしたちの脳みそに活を入れるような強い声だったが、それで終わりではなかった。

「他社に陳腐化されるか、自らを陳腐化するか、選択肢はその二つしかない。答えはもうわかるだろう。自らの事業を他社に陳腐化される前に自らが自らの事業を陳腐化して新たな領域に踏み出さなければならないのだ。非連続の時代に必要なものは、経験ではなく、習熟でもなく、独創性と革新性だ!」

        *

 教授が帰ったあと、わたしはしばらく茫然としていた。
 それは3人も同じようだった。
 独創性、革新性という言葉が頭の中をぐるぐる回っているのは間違いなかった。
 それだけでなく、「君たちに独創性、革新性はあるのか?」と問われていることは明白だった。

 わたしに独創性、革新性はあるのだろうか?

 ワイングラスに映る自分の顔に向かって問い続けた。

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