『天空の美容室』 ~あなたと出会って人生が変わった~
(8)
寝袋は簡単に見つかった。
3,000円台のものから5万円を超えるものまであったが、店員のおススメに従って、外国有名メーカーの2万円のものを購入した。
次は加湿器。
これは、駅前の電気店で容易に見つけることができた。
これも店員のおススメのものを買った。
よく目にする外国のメーカーの加熱超音波式加湿器だ。
スピード加熱と雑菌が繁殖しにくいという特徴に加えて、フィルターがないので手入れが簡単だし、給水は本体の上から水を注ぐだけという簡便さも気に入って、温湿度計と共に購入した。
そして、最後に食料品を買った。
泊まり込むのだから、少なくとも今晩の分と明日の朝の分を買わなければならない。
自分用に幕の内弁当とミックスサンドと牛乳と缶コーヒーを買い、夢丘用にバナナと卵サンドとフルーツゼリーとイオン飲料を買った。
*
夢丘の部屋に戻ってベッドを覗き込むと、また眠っていた。
わたしは冷蔵庫に食料品を仕舞ってから、加湿器の説明書を読み、水を入れて、ヒーターをOFFにして、スイッチを入れた。
すると、運転音は静かなのに、大量のミストがあふれ出した。
そのせいか、たちまち湿度が50%近くになった。
おやすみモードに切り替えて、ミスト量を調整した。
夢丘はまだ眠っていた。
わたしは寝袋をビニール袋から取り出し、説明書を読み始めた。
オールシーズン用で、色はグレージュ、材質はコットン、幅が90センチあるので、自宅の布団のような寝心地を感じるという。
実際に中に入ってみたが、とても気持ち良かった。
これなら風邪を引かずに眠れそうだ。
余りにも気持ちが良いのでしばらくそのままでいると、いつの間にか眠っていた。
*
「高彩さん」
夢丘の声で目が覚めた。
喉が渇いたという。
急いで冷蔵庫からイオン飲料を取り出して、それをコップに入れ、ストローをさして、寝ている夢丘に渡した。
「おいしい」
今日初めて笑みがこぼれた。
でも、額に手を当てると、燃えるように熱かった。
まだ高熱が続いているようだった。
「何か食べる?」
フルーツゼリーやバナナがあることを伝えたが、首を横に振った。
食欲はないらしい。
「ところで、」
彼女の目は寝袋に注がれていた。
「うつるから帰れと言われても、帰らないからね」
機先を制した。
「でも、」
「余計なことを気にしないの!」
とにかく寝て治すしかないのだから、目をつむってしっかり休むようにと命令口調で言って、話を終わらせた。
*
日が暮れたので、幕の内弁当を食べ始めた。
鮭、海老天、唐揚げ、野菜の煮物、佃煮、かまぼこ、ショウガ、卵焼き、どれもおいしくいただけた。
食後のお供は音なしテレビだった。ニュース番組で女性アナウンサーが口をパクパクさせているのを見ながら缶コーヒーをすすった。
*
夢丘が目を覚ましたのは、それから1時間後だった。
汗をかいたので着替えたいという。
タオルとパジャマの替えと下着のある場所を聞いて、それを取りに行った。
引き出しを開けて、ブラジャーとパンティが現れると、ドキドキした。
パステルカラーのそれらは禁断の果実のようで、手に取るのがはばかられた。
それでも、持っていかないわけにはいかないので、恐る恐る手に取って、彼女の元に運んだ。
「体を拭こうか?」
どうしてか大胆なことを言ってしまった。
「いや、しんどそうだから手伝おうかと思って」
何も言われていないのに言い訳をした。
でも、彼女は何の警戒もなく受け入れた。
「お願いします」
背中を拭いてほしいという。
わたしは裸をできるだけ見ないように目を半分にして、彼女がパジャマを脱ぐのを待った。
上半身がブラジャーだけになった。
白くてきれいな背中にドキッとしていると、彼女は後ろ手に手を回して、ホックを外した。
「お願いします」
ブラの上に両手を置いた彼女に促されて、背中を拭いた。
「ありがとうございます。あとは自分でやりますから」
タオルを渡して、わたしは背中を向けた。
振り返りたい欲望を抑えながら、そのまま待った。
「もう一つ、お願いしていいですか」
洗濯機の横に置いてある洗濯籠と洗濯ネットを持ってきて欲しいという。
わたしは言われた通り持ってきて、彼女に渡した。
「もう一つ、いいですか?」
トイレに行きたいという。
わたしは彼女の手を取って体を支え、ゆっくりとトイレまで同伴した。
流す音がして、トイレのドアが開いたので、迎えに行き、ベッドまで連れていって、横になるのを手伝った。
「お手数かけて、ごめんなさい」
本当にすまなさそうな声だった。
わたしは強く否定した。
「好きでやっているんだから謝ることはないよ。いつでもどんな時でも支えになるつもりだから、遠慮せずに声をかけて欲しい」
それだけ言って、背を向けた。
照れくさくて、まともに顔が見られなかった。
でも、本音だった。
彼女のためだったらなんでもやる。
そのことをしっかり伝えられたことに安堵もしていた。
*
その夜に起こされたのは2回だった。
寝汗対応とトイレ。
その時にバナナを半分ほど食べることができた。
少し楽になったと言って、また横になった。
寝袋に入って目をつむると、大胆な考えが浮かんできた。
一緒に暮らしてもいいな、と思ったのだ。
まだキスさえしたことはなかったが、ブラジャーとパンティを手に取ったのだ。
上半身裸の彼女を目にしたのだ。
背中を拭いてあげたのだ。
もう完全に友人の域を超えたと言っても過言ではないだろう。
そんなことを考えていると、次々にその先が浮かんできた。
彼女の花嫁姿、
新婚旅行、
愛らしい我が子、
新築の家、
……、
空想が止まらなくなった。
でも、あくびがそれを中断させた。
明日も彼女を介助しなければならない。
睡魔に抱かれることにした。
*
翌朝、熱を測ると、38.6度だった。
かなり下がったが、まだ安心できる状態ではなかった。
それでも、バナナを丸々1本食べたので、元気が戻る兆しが見えたようにも思えた。
わたしは精が付くものを買うために、9時過ぎに部屋を出た。
ネットで検索した情報に従って、昼食は鮭入りのパスタをメインにし、フルーツヨーグルトを添えることにした。
夕食は肉うどんをメインにし、野菜たっぷりスープを添えることにした。
食材を買って部屋に戻ると、ベッドの上で上半身を起こしていた。
寝てばかりいたので腰が痛いという。
「テレビでも見る?」
「ううん」
まだそんな気分ではないという。
本も読む気にならないし、音楽を聴く気にもならないので、何も必要ないという。
そう言われて、困った。
他に考えつくことはないし、といって、黙っているわけにもいかない。
健康な時だったら無言で見つめ合っても、それだけで幸せだが、病気の時は違う。
なんとか彼女をリラックスさせてあげたいのだ。
そう思うと、何かをしなければならないと気が急いた。
そのせいか、意外なことが口から飛び出した。
「じゃあ、お話しでもしようか?」
「えっ、お話し?」
「うん。お話し」
何も頭に浮かんでいなかったが、辻褄を合わせるしかなかった。
「どんな?」
「う~ん、そうだな~」
糸口を探して頭の中をパトロールしていると、不意に「どんぶらこ」という言葉に行き当たった。
桃が川を流れてくる音だった。
おじいさんとおばあさんの顔が浮かぶと、それがわたしと彼女の顔に変わった。
これだ! と思った瞬間、口から声が出ていた。
「昔々ある所に若白髪の男と髪結いの女が住んでいました。男は山に柴刈りに、女は川へ洗濯をしに出かけました。夕方になって男が薪になる小枝を持って帰ると、女は待ちかねるようにして、川で拾った大きな桃を男に見せました。すると、男のお腹が鳴りました。山の中を歩き回ってお腹がペコペコだったからです。すぐさま男は台所から包丁を持ってきて、桃を二つに割りました。するとどうでしょう、桃の中からかわいい赤ちゃんが出てきたのです。でも、その体は真っ黒でした。抱き上げた女は、それが汚れだと思ってすぐに体を洗いましたが、いくら洗っても白くなりませんでした。それで男に渡すと、顔が怖かったのか、いきなりビェ~っと泣き出しました。その瞬間、口から黒い液体が飛び出してきました。すると、赤ちゃんの体は白くなっていきましたが、男の頭は真っ黒になりました。男は驚いてすぐに頭を洗いましたが、いくら洗っても黒いものが取れることはありませんでした。それ以来、男の髪は死ぬまで黒いままだったとさ。めでたし、めでたし」
「なに、それ?」
「桃から生まれた黒太郎」
「変なの」
でも、くすっと笑って、他にもある? とせがまれた。
とっさに思い付いたことを口にした。
「昔々、ある所に髪結いの女が住んでいました。別のある所には若白髪の男が住んでいました。2人は仲の良い友達だったので、お互いの夢を語り合いました。そうするうちに、男は女の夢を聞くのが好きになりました。それだけでなく、自分の店を持ちたいという夢を叶えさせてあげたいと思うようになりました。だから、なんとか力になるために頑張っていましたが、ある日、突然、女が熱を出して倒れてしまいました。これは大変と、男は必死になって看病しました。寝る間を惜しんで看病しました。すると、新たな想いが浮かんできました。一緒に住んで今まで以上に応援したいなって。それを女に話すと、女は受け入れてくれました。一緒に住むようになった女と男は力を合わせて頑張りました。すると、小さいながらも自分たちの店を持つことができました。そして、お店はいつまでも繁盛しましたとさ。めでたし、めでたし」
話し終わって、恐る恐る彼女の方に顔を向けると、いつの間にか横になっていて、布団を頭まで被っていた。
それがどういう意味なのか、わからなかったが、〈目を合わせたくない〉という意思表示のように思えた。
一気に不安になった。
調子に乗って余計なことをしゃべってしまった自分に嫌悪を覚えた。
なかったことにしたかったが、話してしまったことを取り消すことはできない。
「ごめん」
とっさに謝った。
心の中には「なんてことをしてしまったんだ」という悔恨が渦巻いていた。
取り返しの出来ない失敗をしでかした愚かさが胃液を口まで運んできた。
「ごめん」
それしか言えなかった。
ところが、
「ううん」
くぐもった声に耳を疑った。
でも、聞き間違いではなかった。
怒ってはいなかった。
否定されてもいなかった。
「それって……」
ドキドキしていると、布団の中で夢丘が動いた。
頭まで被ったままだったが、寝返りをするように、こちらを向いたようだった。
「うん」
その声は小さかったが、耳の中で何倍にも増幅し、頭の中を占領してしまった。
わたしは金縛りにあったように動けなくなった。
「うん」という声の鎖が何重にも巻き付いて、いつまでも私を束縛していた。