『天空の美容室』 ~あなたと出会って人生が変わった~

(3)


 宮国のことが気になって頭を離れなかったが、しかし、それにかかわっているわけにはいかなかった。
 面貸しの交渉が迫っていたからだ。
 シミュレーションの結果を見て一時的に落ち込んでいた夢丘だったが、一晩眠るとネガティヴな考えを一掃し、どうやったら集客できるか考え抜き、ある結論に達したのだ。
 それは、今の職場と連携するというものだった。
 夢丘を指名してくれているお客さんを開業先に紹介してもらえたら、1人に付き1,500円を店に払うと提案したのだ。
 それによって利益率は低くなるが、その代わり、毎日2人以上のお客さんを見込める率が高くなるという。
 彼女はそれを式に当てはめていた。

(15,000円-1,500円)*2人*24日=64万円-15万円-25万円=24万円

 これなら何とか生活ができるという。
 そして、更に軌道に乗って毎日3人の施術ができるようになったら、(15,000円-1,500円)*3人*24日=97万円-15万円-25万円=57万円となり、本格的開業のための貯金ができるようになると目を輝かせた。

「店長ははっきり約束してくれたの?」

「はい。もちろん社長の許可が必要ですけど、たぶん大丈夫だろうと言ってくれました」

「そう。それなら大丈夫かもしれないね」

 夢丘が現在持っている指名客数を考えると、この試算は無謀なものではないと思われた。
 ただ、思い通りいかないことも想定しておかなければならない。
 そのことを念頭に、更に詳細を詰めていった。

・紹介に頼らない独自の集客方法…これは、東京美容支援開発が持つネット予約システムを導入することにした。SNSやブログと連携して24時間自動で予約を受け付けるだけでなく、顧客データの管理もしてくれる優れものらしい。

・バックオフィス機能…売上管理、経費計算、確定申告などの経理業務は東京美容支援開発が連携する会計ソフトを導入することにした。

・賃料の交渉…月額15万円を値切るのは難しそうだが、開業当初の集客が不安定であることを考えると、少しでも安くしていきたい。そこで、当初3カ月間は月額10万円にしてもらえないか、打診してもらうことにした。

        *

 具体的な相談をするために、東京美容支援開発の本社に再び出向いた。
 対応してくれたのは、前回と同じ営業部主任だった。
 検討事項をまとめた紙を渡して、説明をすると、すぐさま返事が返ってきた。

「ネット予約システムは月額5,000円で、クラウド型の会計システムは月額1万円で使用できます」

「ということは、毎月15,000円ですか……」

 夢丘の口からため息のような声が漏れた。
 損益計算が更に厳しくなることへの落胆のようだった。
 確かに毎月の利益が15,000円減るのだから無理もないが、それでも、導入によって夢丘の負担が減ることを考えると、適正な投資のように思われた。

「人を雇うことを考えたら安いもんだと思うよ。それに、困った時には東京美容支援開発さんがバックアップしてくれるのだから、安心して使えるしね」

「まあ、そうですけど……」

 まだ不安そうな表情が続いたが、ここで話を止めるわけにはいかない。
 次の質問に移った。

「賃料の件なのですが、当初3カ月間だけ月額10万円にしていただくことは可能でしょうか?」

「う~ん、どうでしょう。交渉はしてみますが、現時点ではなんとも言えないですね」

 過去にそういう交渉はしたことがないので、まったくわからないという。
 わからないことをこれ以上話し合っても仕方がないので、次の確認に移ることにした。

「契約にあたって付帯事項というのはありますか?」

 これにはすぐに返事が返ってきた。

「色々ありますが、特に重視されているのは〈お客様とトラブルを起こさない〉ということです。それでも、万が一、トラブルが発生した場合は、責任を持って迅速に解決してもらいたい、ということになります」

 店のスペースを貸しているため、トラブルがあると店のイメージが傷つくことになるので、もしそれが続くようだと、契約を解除すると共に、損害賠償を請求することになるという。

「わかりました。それについては、お店にご迷惑をおかけしないように充分に注意を払って接客をしていきます」

 答えたのは夢丘だった。
 さっきまでの不安そうな表情は消えていた。
 それを見て安心したので、その他の確認事項に話を移した。
 その結果、
 ・契約における保証人は高彩がなること、
 ・保健所への美容所登録をおこなうこと
 ・個人事業として開業届を提出すること
 ・事業用の銀行口座を解説すること
 などを確認して、オーナーとの交渉を進めてもらうことにした。

        *

 1週間後、担当者から電話がかかってきた。
 賃料を当初3カ月間10万円に値下げすることに対しては難色を示したという。
 それでも粘って交渉した結果、10%引きなら受け入れてくれることになったという。15万円*0.9=13.5万円である。

「ありがとうございます。助かります」

 これによって、ネット予約システムとクラウド型会計システムの月額使用料が3カ月間賄えるのだから、良しとしなければいけない。
 粘り強く交渉していただいたことに礼を言って、電話を切った。

        *

 すぐさま開業準備に取り掛かった。

 ①夢丘の退職日は12月末とした。
 ②店の名前は『ビューティーサロン夢丘』とした。
 ③プレオープンを2月1日とし、本開業は4月1日とした。
 いきなり本開業してトラブルがあってはいけないので、施術や予約システム、会計システムなど、2か月間かけてオペレーションがスムーズに行えるかどうかをチェックする為である。その間の予約は1日1人とする。
 ④認知拡大のためのチラシの作成
 費用を抑えるため、パワーポイントで作成し、家庭用プリンターで印刷する。

        *

 あっという間に時は過ぎ、2月1日になった。
 夢丘は円満退職していた。
 また、前の店から紹介については、本開業後ということで話がついたという。
 ここまでは順調に進んでいた。

        *

「よろしく頼みます」

「はい、こちらこそ」

 最初の客はわたしだった。
 カットとヘアマニュキュアを施術してもらった。
 いつも通りに仕上げてくれたので、礼を言ってお金を支払おうとすると、きっぱり断られた。

「高彩さんは恩人ですからお金を受け取るわけにはいきません。もちろん、これからも」
 
 さも当然というように笑みを返された。
 それは予想していたことだったので、上着の内ポケットから袋を取り出した。
 10万円が入っている祝儀袋だった。
 差し出すと、少し躊躇ったようだったので、「お祝いは拒否しないでくれよ」と言うと、「ありがとうございます」と素直に受け取ってくれた。

 翌日の客は東京美容支援開発の担当者だった。
 もちろん施術料はいただかなかったが、お祝いだけは頂戴した。
 会社名義と個人名義の袋にはそれぞれ1万円が入っていた。
 ありがたかった。

 その後は、神山や西園寺、宮国が来てくれたし、神山の奥さんも来てくれた。
 その度にお祝いをいただいたが、全員が10万円を包んでくれていた。
 まだ一般客が見込めない中、涙が出るくらいありがたかった。

 わたしは毎日、仕事帰りに夢丘の部屋に立ち寄って、その日あったことを聞いていた。
 神山の奥さんは友達を連れてきてくれたし、西園寺は会社の女性社員を紹介してくれた。宮国もガールフレンドを伴って来店してくれた。もちろん、夢丘の元同僚も足を運んでくれたという。
 更に、花輪や花束もいただいた。
 その度に夢丘は涙を止めることができなかったらしい。
 多くの人に支えられていることに感謝してもしきれないと涙目になった。

「この気持ちを忘れないようにしなきゃね」

 常に感謝の心を持って、かつ、謙虚に仕事をしていこうと誓い合った。

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