『天空の美容室』 ~あなたと出会って人生が変わった~
✂ 第11章 ✂ 難題

(1)


 店長が円満に退職してチームに加わると、早速、Sクラス美容師の選考作業に取り掛かった。
 内装工事が順調に進んでいく中、こちらの準備を遅らせるわけにはいかなかった。

 候補者は23人だった。
 女性が13人で、男性が10人。
 どの人も一流の店でトップスタイリストとして活躍していた。
 そして、いつかは開業する夢を抱いていた。

「技術力と人柄をしっかり見極めないといけないね」

 1回に5万円を払っても惜しくないと言われるだけの高い技術力は必須だし、特別なお客様に対する丁寧でフレンドリーな接客態度も重要だと店長が力説した。

「はい、そうだと思います。ですので、技術試験と面接試験で見極めたいと思います」

 相談した結果、客として協力してもらうのは神山不動産の女性社員がいいのではないかということになり、これは私が神山にお願いすることにした。
 また、試験会場としては、店長が卒業した美容専門学校の休校日に部屋と設備を使わせてもらうのがいいのではないかということになり、交渉は店長に任せることになった。

「ところで、いつまでも店長とお呼びするのもどうかと思うのですが」

 技術顧問という呼び名がいいのではないかと提案したが、堅苦しい肩書で呼ばれるのは嫌だと断られた。

「本名でいいよ。富士澤(ふじさわ)と呼んで」

 そう言われても、急に名前で呼ぶのは抵抗があった。
 三顧の礼を尽くして迎えた人物を「さん」付けでは呼びにくかった。
 それで逡巡(しゅんじゅん)してしまったが、夢丘は違うようだった。

「では、富士澤さん、よろしくお願いいたします」

 いきなり慇懃(いんぎん)に頭を下げた。
 すると、彼の顔に笑みが浮かんだ。

「こちらこそ、愛乃、じゃなかった、夢丘さん、よろしく頼みます」

 真顔になって頭を下げた。

        *

 試験の結果、上位10名を採用することに決めた。
 基本となるブラントカット(指間刈り)やチョップカット(ハサミを縦に入れて、毛先をギザギザに切ることで軽い感じに仕上げる)、セニングシザー(すき鋏)やはさみの片刃を使った髪すきなどの技術が一流で、かつ、パーマやカラーリング、洗髪やトリートメントの施術に秀でているトップクラスの美容師たちだった。
 もちろん、人格的にも申し分なかったし、多くの指名客を抱えるトップスタイリストたちだけあって、笑みを絶やさず話しかける接客態度は好感の持てるものであった。

「でも、まさか全員が女性になるとは思いませんでした」

「本当だね。俺も驚いたよ」

 採点結果の表を見ながら、富士澤が両手を広げて肩を上げた。

「でも、ちょっと考えないといけないですね」

「何を?」

 夢丘の言っていることがわからなかった。

「女性が長く働き続けられる環境が必要だと思います」

 それは、女性のライフサイクルを考えた支援のことだった。

「今は子供のいらっしゃる方はいませんけど、半数の方が結婚されていますし、いつ妊娠・出産ということになるかもわかりません。その時にしっかり支援してあげる態勢がないと辞めてしまわれる可能性が高いと思うんです」

 女性が結婚し、子供を産み、子育てをする場合、夫の協力だけでは充分ではないという。出産休暇、育児休暇、時短勤務などは当然として、プラスアルファの支援が必要だというのだ。

「それは何?」

「はい。美容室の近くに保育所があれば、安心して仕事に集中できると思うんです」

「保育所か~」

 思わず、うなってしまった。
 超高層ビルの最上階に保育所なんてできるわけがないからだ。
 そんな利益を生まない空間を企業が造るわけはない。

「う~ん、ちょっと、それは……」

 いくらなんでも無理だと思ったが、夢丘の真剣な訴えを簡単に退けるわけにもいかず、神山に相談してみるということで話を引き取った。

        *

「いいですよ」

 神山はあっさり頷いた。

「いいですよ、って……」

 二の句が継げなかった。
 口が開いたままになっていると、神山不動産の取り組みについて話してくれた。

「実は、女性活躍推進室という部署を3年前に作って女性社員が働きやすい環境の整備に取り組んでいるのですが、その一環として、今年、本社内に社員専用の保育所を作ったばかりなのです。ですので、そこを利用していただければいいのではないでしょうか」

 国からの補助を得て運営している企業内保育所で、まだスペースと保育士に余裕があるので、数人程度なら十分預かれるという。

「もちろん、タダというわけにはいきませんが、月額1万円とリーズナブルな価格設定にしていますので、余り負担を感じないでご利用できると思います」

 神山不動産の社員と同等の費用で利用してもらって構わないという。

「うわ~、ありがたい。これを聞いたら夢丘がどれほど喜ぶか」

 思わず神山の右手を両手で握ってしまった。
 美容室といい、保育所といい、彼の発想と行動力には頭が下がるばかりだった。

「本当にありがとう」

 両手で握ったまま深く頭を下げた。

        *

 その後も準備は着々と進んでいったが、開店前に決めておかなければならない重要事項がまだ残っていた。
 志だ。
 この美容室がなんのために存在するのか、
 誰のために存在するのか、
 何を目指すのか、
 それを決めなければならない。
 それは夢丘とわたしの想いを込めたもので、それによって美容室に集う全員が心を(いつ)にするものでなければならない。
〈志=サロン・コンセプト〉を決めるための話し合いを夢丘と続けた。

「先ず、お客様の幸せだね」

「そうですね。それから、この店で働く美容師の幸せも盛り込みたいですね」

「あと、自分たちを支えてくれる人たちへの感謝もだね。神山不動産、神山VC、西園寺建設、そして、美容ディーラーやメーカーの方たちがいなければこの美容室は成り立たないんだから」

 夢丘が大きく頷いた。

「では、これでいいかな?」

 マジックで書いた紙を夢丘に向けた。

《サロン・コンセプト》

・お客様の素敵と笑顔を最大限に!
・ステークホルダーへの感謝を最大限に!
・美容師の夢と希望を最大限に!
 常に心を磨き、技術を磨き、お客様とステークホルダーと美容師の明るい未来を創造します!

< 41 / 51 >

この作品をシェア

pagetop