『天空の美容室』 ~あなたと出会って人生が変わった~
(2)
「助けてください」
二人の若者が縋るような声を出した。
早桐社長の長男と次男だった。
開店準備に忙殺されている最中の訪問に面食らったが、忙しいからと追い返すわけにはいかなかった。速攻カットの経営が厳しくなっているというのだ。
早桐社長が強引に推し進めた住宅地立地の店舗がうまく行っていない状態で、開店した店舗は何処も閑古鳥が鳴いているという。
「利益率が急速に悪化しています。このままいけば大変なことになりそうで……」
長男が顔を歪めた。
「もちろん、私たちも『住宅地立地の店舗を閉めましょう。このまま続けたら大変なことになります』と進言しました。でも、聞く耳を持ってくれませんでした。『俺のやることに口を出すな。黙ってついてくればいいんだ!』と一括されたのです」
余りの剣幕に口を噤むしかなかったそうだ。
「来年には赤字になるかも知れません」
次男が心配でたまらないといった表情でわたしを見た。
「助けていただきたいのです」
長男が必死の表情を浮かべた。
しかし、急にそんなことを言われても返事などできるはずはなかった。
開店準備で精一杯なのだ。他人を助ける余裕などあるはずがなかった。
それでも、こんなに必死に助けを求める2人を見捨てるわけにもいかなかった。
わたしは腕を組んだまま、どうすべきか、思いあぐねた。
*
「何か打つ手はないだろうか」
早桐社長の兄弟が尋ねてきた翌日、神山に相談を持ち掛けた。
喧嘩別れのようになってしまって縁が切れた会社だったが、それでも、経営企画室長として処遇してくれた恩義のある会社だ。放っておくわけにはいかなかった。
「う~ん、どうでしょうね~」
理髪業界には詳しくないから何とも言えないという。
「その会社が将来有望なベンチャー企業だったら融資とか経営人材の派遣とかを考えてもいいんですけどね」
過当競争の業界で、かつ、オーナーのワンマン体質となるとリスクが大きすぎるという。
「その上、下り坂というのでは……」
デューデリジェンス(企業価値を評価するための適正な手続き)さえできないという。
「そうだよね~」
情を挟む余地のない明確な投資判断基準がある以上、そこをなんとか、ということは言えなかった。
「とにかく、今は他人のことに構っている暇はないのですから、目の前のことに集中しましょう」
その通りだった。
余計なことを考えている時ではないのだ。
時間を取らせたことに礼を言って、会社を辞した。
*
「心配なことがあるのですけど」
神山の会社から帰ったわたしを待っていた夢丘が不安そうな声を出した。
「何?」
「実は、言いにくいんですけど、英語がちょっとダメなので……」
新しい美容室では外国の女性ミュージシャンのヘアメイクがルーチン業務になっているが、通訳がいないとコミュニケーションが難しいという。
「前回は神山さんが通訳を付けていただいたのでなんとかなりましたが、開業したら自分でやらなければならないと思うと気が重くなって……」
確かにその通りだった。女性ミュージシャンだけでなく、裕福な外国人観光客も来るだろうし、その対応を考えておかなければならなかった。
「そうか~、困ったね~」
富士澤さんも英語は苦手らしいし、採用が内定した美容師にメールで確認したが、英会話が得意な人はいないという。
もちろん、わたしも自信がない。大学院時代にアメリカの文献を読んだが、辞書を引きまくってなんとか理解できた程度で、コミュニケーションが取れるレベルではない。
「通訳を何人も雇うわけにはいかないしね~」
「そうですよね~」
それで会話が止まったが、その時、大変なことに気がついた。
予約での対応だ。準備中のホームページは英語対応になっていないのだ。裕福な外国人観光客を見込んでいるのに、これでは門戸を閉ざしていることになる。
「大変だ!」
わたしは慌てて東京美容支援開発の担当者に電話を入れた。
*
「わかりました」
彼の声は落ち着いていた。
「早速、英語対応の追加に取り掛かります」
依頼しているシステム会社は外資系なので、英語対応はお手の物だという。
更に、AIによる自動変換を使えば、高い精度で日本語に変換して表示できるという。
「わ~、ありがとうございます。助かります」
これでホームページの予約システムの問題は解決した。
あとは、外国の人から電話があった時の対応と来店時の対応だ。
「予約はネット限定にされたらどうですか? そうすれば電話がかかってきた時に慌てなくて済みますから」
「あっ、そうですね。そうします、そうします。ありがとうございます」
次々に解決策を出してくれる担当者が頼もしく感じられて思わず顔が綻びそうになったが、最後に残った課題が頭に浮かぶと、その高揚感は消えた。
「お客様との直接の会話を支援してくれるようなものは……」
ないですよね? と言ってしまうと話が終わってしまいそうなので口の中にとどめたが、〈あります〉という答えは返ってこなかった。
「こればっかりはどうしようもありませんね」
かなり精度の高い翻訳機はあるが、接客時に使うのは難しいという。
「実際の場面では、美容師は両手で施術しながら会話をするわけですから、翻訳機を手に持って使うわけにはいきませんので、ちょっと難しいと思います」
その通りだった。カットもカラーリングもパーマもトリートメントもブローもすべて両手を使うのだ。翻訳機を持ちながら施術ができるわけはない。
「そうですよね。会話の度にいちいち施術を止めるわけにもいかないし……」
「ですよね。こればっかりは人が対応しないと無理だと思います」
通訳を雇うしか方法がなさそうだった。
「どこか良いところがあれば紹介いただきたいのですが」
「いや、それはちょっと難しいですね。今までそういうご依頼をいただいたことがありませんから」
会社の取引先に通訳の派遣会社はないという。
「わかりました。他を当たってみます」
「お役に立てなくて申し訳ありません」
「とんでもないです。ホームページの英語対応やネット限定予約など多くのお知恵をお借りでき、とても助かりました。本当にありがとうございました」
*
丁寧に礼を言って通話をOFFにしたが、心は軽くなかった。
根本的な問題が解決していないからだ。
ネットで調べても、どこに連絡を取ればいいのか、さっぱりわからなかった。
そもそも、美容業界の専門用語に対応できる通訳なんているのだろうか?
根本的な疑問が浮かんでくると、スマホを操る指が止まった。
いるわけはないのだ。
そんなことは聞いたことがない。
施術している美容師の横に立って通訳する姿は想像すらできなかった。
無理だよな~、
それ以上検索しても意味がないと思うと、一気に気が重くなった。
スマホの画面を閉じて、机の上に置いた。