隣の部署の佐藤さんには秘密がある
 晃太本名は水伊勢晃太。実家は様々な事業を展開する水伊勢グループの創業家だった。父は会長、祖父は相談役。姉のあかねはモデルとして活躍しているAkane。兄の龍司は、最近社長に就任したばかりで、新進気鋭の若手社長とテレビや雑誌で取り上げられている。

 そんな家で生まれ育った晃太は、幼少期から姉や兄と共に会社を支えるための英才教育を受けてきた。しかし全員が親や周囲の期待に応えられるわけではなかった。あかねのように強みもなく、兄のように優秀でもない。晃太は優秀な兄姉に比べて普通だった。

 高校を卒業して逃げるように家を出た晃太は、一人暮らしをしながら大学に通っていた。名前を佐藤晃太に変え、水伊勢と離れて生きようとしていた矢先に、父がアパートに押しかけてきた。

「水伊勢に貢献しろ。」

 父は大学卒業前に家に戻るように命じた。このままでは水伊勢から離れられない。父の命令に従い続けなければならない。反抗した晃太は、それまで手をつけていなかった母親からの仕送りをすべて引き出して高級ブランドを買い漁った。その時に出会ったのがサンチェス=ドマーニだった。

 サンチェス=ドマーニを着た晃太は無双状態だった。女にちやほやされて、湯水のように金を使い、酒を浴びるように飲んでいた。そんな生活を変えてくれたのは健斗だった。

 健斗に出会わなければ、あのまま遊ぶ生活を続けていたかもしれない。今はそんな生活から離れて、落ち着いた生活ができるようになった。理想の彼女にも出会えて順風満帆なのに、どうして父は壊そうとするのだろうか。

 晃太は、スマホを手に取って席を立った。

「磯山さん、父さんに番号教えた?」
「申し訳ございません。」
「……仕事中はかけてこないで。ちゃんと土曜日行くから。」
「かしこまりました。」

 電話を切ると、大きなため息が出てしまった。

「兄さんがやればいいのに。」

 兄の龍司は非の打ち所がなく勉強もスポーツも、やったことがないことでさえも完璧にできる。仕事をするなら兄の方が良いに決まっている。再び大きなため息をつくと、さきの声が聞こえた。

「佐藤さん、これ見てください。佐藤さんにそっくりじゃないですか?」

 さきは満面の笑みでスマホの画面を見せてきた。

「これは……犬?」
「ふふふ、すみません、こんなことわざわざ言いに来ちゃって……」

 スマホに映っているのは顔が見えないほど毛が伸びている犬の写真だ。この犬が似てるからってわざわざ写真を撮って、それを見せるために探してくれていたのだろうか。晃太はさきの手を掴んで非常階段へ連れ出した。

「可愛すぎるんだよ、俺の彼女は……」

 抱きしめるとさきの心臓の鼓動が伝わってきた。自分の胸に頭を預けるさきをじっと見つめると、ガチャンという音がした。

「ごめん。戻ろ。」

 周囲を気にしながら廊下へ出ると、小さく手を振って別れた。なんであんなに可愛いのだろうか。誰も来なかったら手を出していたかもしれない。デスクへ戻った晃太は片手でスマホを操作してさきへメッセージを送った。それでも気持ちがおさまらずに次々と文章を作っていると、本城に声をかけられた。

「佐藤、これ頼むわ。」
「っ!あ、はいっ!」
「なんだ、妙に元気だな。ははは。」

 晃太は前髪の奥で苦笑いした。
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