荒廃した世界で、君と非道を歩む
数十分後。風呂から上がり、用意されていた浴衣に着替えて脱衣所を出ると、待ちくたびれた様子の新汰が椅子に座って待っていた。
彼の隣を見ても蘭の姿はない。俯いていた新汰は物音で顔を上げ、暖簾を潜る志筑を見た。
「お、出てきた」
「悪いな、風呂まで」
「客人なんやから饗すのは当たり前。もう何回も言ってんで。あと、そういう時は『悪い』やなくて『ありがとう』って言うべきや」
「……ありがとう」
「あっはは! 風呂入ってちょっとは温かい心取り戻したかー」
チッと舌打ちを零せば、笑い声を上げっていた新汰の笑顔が愛想笑いへと変わる。その一連の仕草があまりにも自然で、志筑は一瞬歩みを止めた。
「どした?」
「なんでもねぇ」
再び歩き出し新汰の隣の座ると、首にかけていたタオルを頭に乗せ視界を覆った。
視界は真っ白に染まり、機能を果たしている耳には時計の秒針の音と自分と新汰の息遣いの音だけが聞こえる。
風呂場よりも新汰の隣でこうしている方が落ち着くのは何故だろうか。
「なあ」
「んー?」
この心地良さは自分の一言で崩れてしまう。わざわざ聞かなくても分かりきっていることだし、自ら地獄へ足を突っ込むようなことだ。
それでも不安が背中を押して口を開いてしまう。新汰の警戒心のない笑顔が見舞ってくれるが、この笑顔を見られるのはこの一瞬だけだった。
「気づいてんだろ」
「……何に?」
「俺が“そうだって”」
新汰の顔つきが変わったのは図星を突かれたからか、それとも今更こんなことを白状する志筑が愚かに見えたからか。
どちらにせよ、新汰にはずっと前から気づかれていたようだった。海辺で出会い、彼が声を掛けてきたあの瞬間から。
何故、警察通報すること無く志筑と蘭をこの場に置いておくのかなど志筑に分かるはずもない。
このまま匿い続ければ、いずれ新汰も罪に問われてしまう。にも関わらず、新汰も女将も饗すのは当たり前だと言って志筑と蘭をこの場に留め続けているのだ。
ただ優しいだけではこんなことできるわけがないだろう。
「お前は、俺に通報すよう促してんのか?」
新汰の鋭い視線が志筑を射抜く。初めて見るその視線は、まるで別人のようだ。
今すぐにでも警察に通報すれば、新汰や女将が罪に問われることはないだろう。まだ間に合うのだ、今なら誰も巻き込まずに済む。
「それは、俺がお前と同じにならないようにするためか? それとも、蘭ちゃんを独りにして、どっかに行こうとしてんのか?」
低く重く伸し掛かる新汰の声には怒りが混ざっている。新汰らしくないと言えば、それは失礼に当たるだろうか。
膝の上で組んでいた手を強く握り、怒りに打ち震える新汰は志筑を睨みつけた。
薄暗い廊下に新汰の声が響き渡る。もはや言い返す気力など、志筑には残っていなかった。
「自分勝手、っていう言葉知ってるやろ。お前は独りで何処かに行っても困らんかもしれん。けどな、蘭ちゃんにはお前しかおらんのや。独りにするんか? 蘭ちゃんを」
「今ならまだ間に合う。近くに交番があったし、自主だってできる。でも、それはあいつとの約束を破ることになるんだ。お前達は通報してくれたら、あいつだって諦めが付くだろ」
「それを自分勝手やって言ってんの。俺はお前が人を殺した場面を見たわけでも、聞いたわけでもない」
「けど、お前が言い出したんだろ。晩飯の時のあれは、ただの独り言とは思えない」
新汰の瞳の奥に映る自分を見つめながら、志筑は思いつく限りの言葉を口にする。
いつかこの瞳が揺れ動くと思ったのだ。新汰の中の決意のような頑固な部分が崩れてくれたら、この逃避行を終わらせられる。
このまま蘭と遠い世界へ逃げたとしても、長くは続かないと分かっているのだ。
必ず終わりはやってくる。それが遅かれ早かれ受け入れなければならないことなのだから。
彼の隣を見ても蘭の姿はない。俯いていた新汰は物音で顔を上げ、暖簾を潜る志筑を見た。
「お、出てきた」
「悪いな、風呂まで」
「客人なんやから饗すのは当たり前。もう何回も言ってんで。あと、そういう時は『悪い』やなくて『ありがとう』って言うべきや」
「……ありがとう」
「あっはは! 風呂入ってちょっとは温かい心取り戻したかー」
チッと舌打ちを零せば、笑い声を上げっていた新汰の笑顔が愛想笑いへと変わる。その一連の仕草があまりにも自然で、志筑は一瞬歩みを止めた。
「どした?」
「なんでもねぇ」
再び歩き出し新汰の隣の座ると、首にかけていたタオルを頭に乗せ視界を覆った。
視界は真っ白に染まり、機能を果たしている耳には時計の秒針の音と自分と新汰の息遣いの音だけが聞こえる。
風呂場よりも新汰の隣でこうしている方が落ち着くのは何故だろうか。
「なあ」
「んー?」
この心地良さは自分の一言で崩れてしまう。わざわざ聞かなくても分かりきっていることだし、自ら地獄へ足を突っ込むようなことだ。
それでも不安が背中を押して口を開いてしまう。新汰の警戒心のない笑顔が見舞ってくれるが、この笑顔を見られるのはこの一瞬だけだった。
「気づいてんだろ」
「……何に?」
「俺が“そうだって”」
新汰の顔つきが変わったのは図星を突かれたからか、それとも今更こんなことを白状する志筑が愚かに見えたからか。
どちらにせよ、新汰にはずっと前から気づかれていたようだった。海辺で出会い、彼が声を掛けてきたあの瞬間から。
何故、警察通報すること無く志筑と蘭をこの場に置いておくのかなど志筑に分かるはずもない。
このまま匿い続ければ、いずれ新汰も罪に問われてしまう。にも関わらず、新汰も女将も饗すのは当たり前だと言って志筑と蘭をこの場に留め続けているのだ。
ただ優しいだけではこんなことできるわけがないだろう。
「お前は、俺に通報すよう促してんのか?」
新汰の鋭い視線が志筑を射抜く。初めて見るその視線は、まるで別人のようだ。
今すぐにでも警察に通報すれば、新汰や女将が罪に問われることはないだろう。まだ間に合うのだ、今なら誰も巻き込まずに済む。
「それは、俺がお前と同じにならないようにするためか? それとも、蘭ちゃんを独りにして、どっかに行こうとしてんのか?」
低く重く伸し掛かる新汰の声には怒りが混ざっている。新汰らしくないと言えば、それは失礼に当たるだろうか。
膝の上で組んでいた手を強く握り、怒りに打ち震える新汰は志筑を睨みつけた。
薄暗い廊下に新汰の声が響き渡る。もはや言い返す気力など、志筑には残っていなかった。
「自分勝手、っていう言葉知ってるやろ。お前は独りで何処かに行っても困らんかもしれん。けどな、蘭ちゃんにはお前しかおらんのや。独りにするんか? 蘭ちゃんを」
「今ならまだ間に合う。近くに交番があったし、自主だってできる。でも、それはあいつとの約束を破ることになるんだ。お前達は通報してくれたら、あいつだって諦めが付くだろ」
「それを自分勝手やって言ってんの。俺はお前が人を殺した場面を見たわけでも、聞いたわけでもない」
「けど、お前が言い出したんだろ。晩飯の時のあれは、ただの独り言とは思えない」
新汰の瞳の奥に映る自分を見つめながら、志筑は思いつく限りの言葉を口にする。
いつかこの瞳が揺れ動くと思ったのだ。新汰の中の決意のような頑固な部分が崩れてくれたら、この逃避行を終わらせられる。
このまま蘭と遠い世界へ逃げたとしても、長くは続かないと分かっているのだ。
必ず終わりはやってくる。それが遅かれ早かれ受け入れなければならないことなのだから。