荒廃した世界で、君と非道を歩む
煙草の煙
「お前に出会わなきゃよかったよ」
音が、止まる。色が、消える。時間が、止まる。息が、詰まる。
目の前がぐらりと歪んで、後頭部を陶器でぶん殴られたような衝撃が襲った。開いた口が塞がらないとはこういうことなのだろうか、口を閉じようとすると唇が痙攣して上手く閉じられない。
志筑の琥珀色の瞳が伏せられた瞼に隠れる。空が雲に覆われ月を隠すように、何度も自分を見てくれた二つの三日月は瞼に覆われてしまった。
出会わなければよかった。であわなければよかった。デアワナケレバヨカッタ。
何度も何度もその言葉が脳内を横切っていく。ずっと思わないようにしてきたのに、ずっと言葉にしないようにしてきたのに。
自分の覚悟も気遣いも後悔も不安も何もかも分かっているはずなのに、どうして志筑は今になってその言葉を口にしてしまったんだ。
「な、なんで……なんで、そんなこと………」
「ずっと餓鬼ん頃のお前が頭の中でチラついてたんだよ。目障りなくらいお前の縋るような眼差しがな」
立ち止まったまま固まる蘭の脇を通り過ぎ、獣道を抜けた志筑は木々の名開けた空間に躍り出た。
彼が立つのは断崖絶壁の崖で、先程二人が歩いていた海辺の堤防は遠くの足元よりもずっと下にある。
「あん時のお前の顔を思い出すたび、俺がお前に言った言葉が蘇った。その度に思ったよ、なんでこいつを匿っちまったんだろうって。独りでいりゃ気楽なのによ」
コートのポケットに手を突っ込んで振り替える志筑は、背後に灰色の世界が広がっているからかやけに浮いて見えた。
まるで昭和に取られた写真に現代の写真を後から取って付けたような、そんな違和感。
辛うじて露出している顔と首は白を多く混ぜた橙色のはずなのに、彼の身体の大部分を締めている黒いコートとズボンのせいでモノクロに見えた。
この場所へ来てから世界が灰色に見える。色を失った世界は自分が追い求めていた希望すらもぶち壊していく。
「本当、出会わなけりゃよかったよな」
伏せられていた瞼が開いた時、志筑の目には初めて見る大粒の涙が浮かんでいた。