恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない
第六話
正午を、少しだけ過ぎた頃。
僕は三藤先輩の家の、門の前に立つ。
そこから、玄関をのぞいてみるが。
予想外に、先輩の姿がない。
なるほど、きょうはどうやら。インターフォンを押すところから始まるらしい。
……そういえば、これまではいつも先輩が外に出ていてくれたので。
先輩の家のそれを押すのは、初めてだ。
僕はカメラの前で、少し姿勢を正す。
まず押してから、名乗って、要件を告げよう。
えっと、『お弁当をいただきに参りました』でいいのかな?
あれ、それだと持ち帰り弁当屋みたいで失礼か。
でも『食べにきました』って、食堂みたいで変じゃないか?
……そんなことを考えていると、玄関が静かに開いて。
先輩のお母さんが、笑顔で現れた。
「あ……。お、お母様……。こ、こんにちは」
「海原君、いらっしゃい。カメラの前の練習姿、月子が喜んで見ていましたよ」
「えっ!」
「お母さん、どうして勝手に出てるいるの! 余計なこと、いわないでよ!」
両耳を赤くした三藤先輩が、慌てて外に出てきて。
その姿は、いつもと変わらず。
やはりきょうも、せ、制服だけど……。
ただ、きょうの三藤先輩は……。
『哺乳類』の描かれたエプロンを、つけていた。
三藤家の、立派な日本家屋の中にお邪魔するのは。これが二回目だ。
今回も玄関にあがらせていただき、広縁をとおり和室に進むのかと思いきや。
三藤母が、僕を通せんぼする。
「月子、あなたのお部屋でよかったかしら?」
うしろにいた先輩の頭が、僕の背中にゴツンとあたる。
「え、縁側です! 変なこといわないでよ!」
「あらー、別に構わないじゃない〜」
「お客様なのだから、和室ですっ!」
「いつまでもお客様扱いしたら、かえって失礼じゃないかしら? ね、海原君?」
三藤先輩と、姿形はよく似ているけれど。
先輩よりも『明るい系』のお母さんが、楽しそうに笑っている。
「そうなの? ではこちらへどうぞ」
「し、失礼します……」
そう答えて前に進もうとすると、三藤先輩が。
「ちょっと。いま余分なこと、付け加えなかったかしら?」
僕のシャツの背中をつまみながら、聞いてくる。
……どうやら、僕はまた。
心の中を、読まれてしまったようだ。
縁側だと、わざわざ先輩が指定したとおり。
そこには向かい合わせで、座布団が敷かれていた。
円卓には、既にクロスが敷かれ。
一輪挿しには、灯台躑躅の枝が飾られている。
「初めてお邪魔したときに、あの奥に咲いていましたよね?」
「まぁ……」
先輩のお母さんが、少し驚いた声をあげたあとで。
「いつもその調子で、娘も観察してくれているの?」
また予想外のことを聞いてくる。
「い、いえ。そ、そんな……」
「ちょ、ちょっとお母さん!」
僕以上に、先輩のほうが慌てていて。
「あ、あとは自分でやりますから! お母さんの分は、ご自由にどうぞ!」
そう母親に告げたのだけれど。
「それなら、こちらでいただこうかしら?」
「えっ……。どうしてここなの……」
「あら。月子が自由にしていいって、いったのよ?」
あの三藤先輩が、完全に手玉に取られている。
「き、客間はダメです!」
「つまらないわねぇ〜。では海原君、ごゆるりと」
三藤母は、そういうと。先輩に背中を押されて名残惜しそうに消えていく。
「……お、お待たせしました」
「な、なんだかすいません」
「……飲み物と、お弁当を持ってくるわ」
「お手伝い、しましょうか?」
「そうしたら母がまた出てくるから、絶対にここから動かないで」
「……はい」
そんな会話を交わしてから、先輩は一旦奥へと消えていく。
……外はまだまだ暑いけれど、不思議とここは心地よい。
きっと、流れる風がおだやかなのだろう。
奥のほうで、また先輩が母親となにかいっている声が聞こえてきて。
それはそれで、新鮮な気分ながら。
またなにか、心が落ち着く気がする。
「お、お待たせしました」
藤色のグラスには、氷と飲み物が入っている。
氷の周りで弾けるそれは、炭酸の効いた甘い飲み物だろう。
それにどうやら、先輩もお茶ではなくて。
きょうは僕と、同じ物を飲むようだ。
明るい青色の布に包まれたものが、目の前に置かれる。
「勿忘草色と、いいます。以下省略で、いいわよね?」
反対側に座った先輩が、やや伏目がちに僕に告げる。
先輩の思い出の色で、『あのとき』のことか……。
はい、以下省略で、結構です。
僕が、結び目を開こうとすると。
先輩がいい忘れていた、という顔で慌てて付け加える。
「ちょ、ちょうどいいお弁当箱がなくて。お正月のお重を使ったから……。少し変かもしれないけれど、ごめんなさい」
「いえ、夏なのにおせちなんて。めちゃくちゃ豪華ですよ」
「そ、そうなの? あ、ありがとう……」
少し驚いたような顔の、先輩が見守る中。
目の前に重箱が現れると。
「わ、忘れていたわ……。ちょっと待っていて……」
先輩がパタパタと、慌ただしく奥に戻る。
するともう一度、お盆を取りに戻ってきて。
「あ、あと少しだけね!」
そういって、また奥に消える。
先輩の、普段見たことのないような慌てように。
逆に僕の緊張が、だいぶほぐれてきた。
……墨色の和皿が、手元に置かれる。
なるほど、この重箱の中身をふたりでわけるのか。
「本当に、お正月みたいな感じですね」
「お、お雑煮までは作っていなくて! ご、ごめんなさい!」
「い、いやそこまでは……」
「そ、そうよね……」
そう答えてから、先輩は一度深呼吸をして。
ここでようやく、落ち着きを取り戻してきたらしい。
いただきますをしてから、僕にあけさせて下さいとお願いして。
ゆっくりと重箱の蓋を、持ち上げる。
「おおっ……」
そこには、やさしそうな色の料理の数々が。几帳面に並べられていた。
「すごい。これ、全部ひとりで作ったんですか?」
三藤先輩が、少し左の頬を膨らませながら僕を見る。
「あのね、いきなりその質問するの、意地悪してる?」
「へ?」
「さすがに……。そこまではまだ無理よ」
またやってしまった、ま、まずい……。
「す、すいません。気遣いが足りなくて……」
先輩は、一呼吸置いてから僕を見ると。
美味しそうな卵焼きを、やさしく僕のお皿にのせなながら。
「そう、そのあたりよ。海原くん、もう少し考えてもらえないかしら?」
背筋を伸ばし、そんなふうに僕にいう。
……ようやく、いつもの三藤月子に戻ってきた。
三藤先輩が、取り箸を使うたび。
人差し指に巻かれた、真新しい絆創膏が目につく。
少しだけ学んだ僕は、傷の理由を質問しなかった。
万願寺唐辛子を切った時なのか、丸茄子のヘタのせいなのか。
もしかしたら、鰆の骨取りのときかも知れないけれど。
その傷を作ったのは、間違いなく僕の『せい』だ。
いや、訂正しよう。
それは間違いなく、僕の『ため』なのだから。
ひとつひとつの作業を、丁寧に。
お母さんが見守りながら、じっくりと作ってくれた。
そんなことがわかる味のおかずを、いただきながら。
僕は、先輩の藤色の瞳の奥の奥まで。
この感謝の気持ちが、届いて欲しいと思った。