恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない
第九話
……夏休み第一週。
我が『丘の上』では、夏期講習が絶賛開催中だ。
とはいえ講習は、午前中だけで終了し。
昼からは例によって、みんなで部室に集合している。
ただその前に、この日も僕は担任でもない藤峰先生の野暮用を済ませて。
一度教室に戻ろうと、中央廊下を歩いていた。
「……ねぇ、海原君?」
控えめに、ただターゲットを定めたように。三組の女子が、声をかけてくる。
「あの、もしかして……」
そこまでいいかけて、その子は左右を素早く見回したあと。
小さな声で、妙なことを聞いてくる。
「『坂の上』の制服、知ってる?」
「へ?」
「わたしね、中学の親友が『坂の上』だから。あそこの制服、よく知ってるんだ」
「う、うん……」
その子のいうことが、さっぱりわからない。
「制服『好きな人』は、知ってるけど……」
僕は以前、三藤先輩から聞いたことを思い出しながら、答えたのだけれど。
「なんかそのいいかた、聞いたわたしは複雑だよ……」
そうか、先輩は自分から制服に詳しいといった気がするから……。
どうやらこの子は、制服が『趣味』ではないようだ。
「でね、その制服の人が海原君を探してたよ」
「そ、そうなんだ……」
その子は、チラリと僕を見てから。
「その人が、彼女なの?」
「へ?」
また、わけのわからないことを聞いてくる。
その女子は、まだなにかをいいかけていたのだけれど。
なんらかの『物体』を発見したようで。
「じゃ、じゃぁ……」
それだけいうと、高速で僕から離れていく。
おそらく、この勢いで女子が逃げていくとすれば。それはきっと……。
「し、師匠っ!」
や、やめてその呼びかた。そしてやっぱりお前か!
挙動不審すぎるスピードで、首を左右に振りながら。
山川俊が僕を目掛けて、廊下の中央を進んでくる。
さっきの女子は、どうしてもその生き物から逃れたいらしく。
必死に壁際によって、そいつをかわしている。
「なんすかー! あの美女はー!」
なんだよ、また『誰か』きたのか?
……でもあれ?
山川が認知していいない、美女って誰?
「……ちょっと、あなたの出番はもう終わりよ。消えなさい」
僕の背中側から、容赦ない声がすると。
「ヒ、ヒィッ……」
山川が、喉にワラでも詰まらせた鹿みたいな声をあげて消えていく。
で、その有無をいわさぬ冷たい声って……。
「どうして『あの子』が、乱入しているのかしら?」
お、怒ってるんです……ね。
三藤先輩が、極めて冷たい視線を僕に送っている。
「あ、あの?」
「なにかしら?」
「ま、まさかとは思いますけど……」
先輩は、僕の視線の先を追いかけて。先ほどまで話していた三組の女子の姿を捕捉すると、あきれたような声で僕に……。
「あのね、いくらヒトに興味がなくてもね」
「は、はぁ……?」
「由衣さんと同じ『制服』を着ていれば、一年生だとはわかるわ」
なるほど。
先輩の『あの子』とは、三組の子ではないようだ。
「聞いたでしょう。『外来種』が、学内に乱入しているのよ」
三組の女子、そんなふうにいってたっけ?
「ねぇ?」
ゲッ……。同学年女子、話しかけてきただけなんです!
「あの子も『制服好き』なの?」
なんだ……。同じ趣味かどうかを確認したかったのか。
「詳しいだけで、好きではないようです」
「そうなの、まぁそれでいいわ」
よくは、わからないけれど……。
どうやって先輩が、先ほどの会話を知ったのかとか。
どこまで聞こえていたのとかも、深く聞いてはいけない気がする。
そうだ、平和に生きよう。
なんといっても、夏休みが近いのだ。
「……お話し、戻していいかしら?」
す、すいませんでした……。
「ちょっと気に入ったのでもう一度いうわよ。あの『外来種』が……」
妙な言葉を好きになった先輩が、そこまでいいかけると……。
「あ、昴君。やっほー!」
まさかの、声がして。
『坂の上』の『制服姿』で赤根玲香が、笑顔で手を振っている。
おまけにその隣では、春香先輩が。
とんでもなく不満げな視線を、僕に向けているじゃないか!
「えっ。『外来種』って、もしかして……」
「海原くんが、わざわざ呼んだっていうのは本当かしら?」
三藤先輩は、僕の質問など完全無視で。
「昴君、そうだよねー? 早く会いにきてくださいっていってくれたもんねー」
「へ?」
玲香ちゃんが、ズンズン歩いてきて話しに割り込んでくる。
「そうか海原君って、そんなに軽い人だったんだ〜。相当見損なったよ」
「春香先輩。ち、違いますよ!」
まったく心当たりがないけれど。事実、玲香ちゃんが校内にいる。
でも、こういうときってたいてい……。
「あ! 玲香ちゃんここにいたんだ〜!」
やっぱり!
都木先輩まできてしまった! これはまずいぞ……。
ん?
……あれ?
いま。都木先輩見て固まったよね、玲香ちゃん?
「……ごめんごめん月子ちゃん。単なる冗談だよ〜」
「趣味が悪いわ、『赤根さん』」
「そこは、『玲香さん』で決着したよね〜?」
「月子が元に戻っても構わないし。うん、あんまり笑えない」
「陽子ちゃん、ちょっとひどいよぉ〜」
二年生の三人が、盛り上がっているけれど。
被害者、僕じゃないんですか?
「玲香ちゃんが、夏休みで暇だってメール送ってきたからね」
「それなら遊びにきたらどうですかって、誘ったんですよね〜」
都木先輩と、いつのまにか合流した高嶺が。のんびりした声でいう。
「それならせめて、『制服』くらい着てきなさいよ」
「え? 月子ちゃん。ちゃんと前の着てきたよ?」
「いいえ、『丘の上』のを着てくるべきよ」
「月子ちゃん、なんでそんなに『制服』にこだわるの?」
「そ、それはちょっと……」
制服好きのこだわりだとは、三藤先輩がいえるわけもなく。
かといってもちろん、僕が補足するわけにもいかず。
「ねぇ、どうして?」
でもそうやって粘る玲香ちゃんと、三藤先輩の姿はなんだか。
……ちょっとだけ、おかしかった。
……やれやれ、お昼はこれで平和に食べられるだろう。
そう思って、『機器室』に入ると。
「お腹すいたね〜!」
講習に入ってからは、ランチも一緒に食べるようになった藤峰先生が。
玲香ちゃんを見ても、驚くようすもなく手を振っている。
よし、やっとお弁当だ!
張り切って、みんなの湯呑みを用意しよう。そう思ったのに……。
「そこだけはダメ!」
こ、今度は。都木先輩ですか……。
珍しいセリフですけど、いったい……?
「れ、玲香ちゃん?」
「ん?」
あろうことか、隣で玲香ちゃんが。
僕の『指定席』にちょこんと座ろうとしている。
「あ、昴君のってことだね。じゃ、半分こでいいよ!」
玲香ちゃん、お願いだから笑顔でいわないで……。
「赤根さん、あなたはあちらにいきなさい」
極めて事務的な声で、三藤先輩が移動するようにうながす。
「えー。昴君の隣でいいよー。だって……」
いいかけた玲香ちゃんが珍しく固まる。
あぁ……。
目の前のサンドウィッチに心を奪われている、藤峰先生以外の女子たちが。
みんな、玲香ちゃんを見ながら。
空いた椅子を、じっと指さしている。
おまけに。
「ここ、だからさ……」
都木先輩が、低い声でうながしていて。
……なんでか知らないけれど。
ものすごーく。こ、怖いっ……。
「へへっ。ちょっとした冗談だよ、ねぇ由衣ちゃん?」
「知りません」
高嶺まで、冷たい声だったので。
さすがの玲香ちゃんも、指定された席へと移動する。
……と思ったら、まだ粘るらしい。
「ねぇ、じゃぁさ。じゃんけんしない?」
「ダメっ!」
ちなみに、そう答えたのは。
意外にも、春香先輩が一番早かった。
「……う〜ん、すごい団結力〜」
背伸びしながら、藤峰先生がなにかいっている。
逆にあの鈍感力、僕にも少しわけてくれないかなぁ……。
こうして結局、講習中の部室の長机の『指定席』は。
いわゆる王様席が部長の僕。対面が藤峰先生。
長辺の窓側に三藤先輩、春香先輩が並んで。
その反対側に都木先輩、玲香ちゃん、高嶺が座ることになった。
いわば猛獣を、珍獣と猛獣使いが挟む感じですね、はい。
「……でさでさ、午後はなにするの?」
今度こそお昼ご飯を食べ始めると。玲香ちゃんが目を輝かせながら聞いてくる。
「とりあえず最初の一時間は、勉強よ」
「そうなの、月子ちゃん?」
「嫌なら、帰りなさい」
「せっかくきたのに、つまんなーい」
玲香ちゃん、口ではそういってるけど、僕にはわかる。
あぁ、なんだかまた余分なことをいい出しそうな顔をしている……。
だ、大丈夫なのかな?
「ま、いっか!」
「へ?」
「わたし、ここでも『トップ』取りたいからやるしかないね!」
……部屋の中が一瞬、静まり返る。
「あなた、なんの話をしているの?」
「え? だって月子ちゃん、勉強するんでしょ?」
「そうよ……。でもあなたいま、なにか口にしなかったかしら?」
「えっと……。『トップ取らなきゃ』って、いったけど?」
「どういうこと?」
今度は、陽子先輩が驚いて。続いて玲香ちゃんが、サラリと。
「えー、わたし。去年からずっと、学年一位だよ?」
また恐ろしいことを、口走る。
「……ここの一位はわたしか、陽子の指定席なのだけれど?」
三藤先輩が、戦闘モードに入ったと思ったら。
「え、そうなの? うーん……。『丘の上』は確かに、わたしのところより少しレベル高いけど……」
「けれど?」
「でも、負けないように頑張ってみる!」
あっけらかんといわれて、一気に戦意を喪失したようだ。
多分、先輩もお腹が空いたのだろう。でも、ちょっと気になったみたいで。
「ね、念のため聞くけど……。どんな感じの一位なのかしら?」
「えっ、もしかして気になる?」
なんて答えようかと、ワクワクしている顔の玲香ちゃんが。
いかにもたったいま思いついた、みたいな顔になると、高らかに宣言する。
「えっとねぇ、ぶっちぎり!」
「うわーっ、すごいのきた〜! 月子と陽子、大ピンチ!」
極めて平静を装おうと、必死の三藤先輩を見つめながら。
藤峰先生が、完全に遊んでいる。
都木先輩は、やれやれという顔でため息をつき。
春香先輩は、といえば……。留学してよかった、みたいな苦笑いですね、それ。
最後に、高嶺が少し憂鬱そうな声で。
「な〜んか、わたし学年三十番って……」
そこまでいいかけて、玲香ちゃんが。高嶺の肩をポンと軽くたたいて。
「大丈夫、由衣ちゃん!」
「えっ?」
「わたしたち、学年違うから!」
高嶺は、そういう問題じゃないんだよねぇ……という顔をしていて。
……たまに玲香ちゃんも、ズレたことを口にするよな。
さすがの僕でも、そう思ってしまった。