恋するだけでは、終われない / 告白したって、終われない

第十話


 勉強タイムが終わり、三藤(みふじ)先輩が紅茶をみんなに淹れはじめると。
「わたし、これ使うね!」
 玲香(れいか)ちゃんが知ってかしらずか、三藤先輩の『湯呑み』を机に置く。
「あなたは、紙コップよ」
「えー。ティーカップ持ってくるとか知らなかったんだからいいでしょ? 紙コップじゃないのがいいから、これにして〜」
「その湯呑みは、お茶用だからダメよ」
「紅茶もお茶でしょ?」
「日本茶用だからダメよ」
「わたしは気にしないからさぁ〜」
「わたしの日本茶用の湯呑みだから、ダメなの!」
「も〜! わたしの湯呑みかしてあげるから仲良くして〜!」
 春香(はるか)先輩がまた、ふたりの仲裁に入っている。

 ……先ほどの勉強中も、英単語のスペルミスを玲香ちゃんが見つけたり。
 お返しにと、三藤先輩が英文法の間違えを指摘したりして。
 それが延々と続くので、春香先輩が困り果てていた。
「間違いに気づくのが勉強なのよ」
「だから教えてあげたんでしょ!」
「その程度の文法の人にいわれたくないわ」
「間違えるから勉強っていったそばから、それはないよね!」

「……まったく、仲がいいんだか、悪いんだか」
 都木(とき)先輩が、世界史の教科書をカバンにしまいながら。話題を変えてくれる。
「そういえば来週からお盆まで、わたしだけみっちり講習あるけど。そのあいだの部活はどうするの?」
「えっと……まだ決めてませんでしたね」
海原(うなはら)君は、予定とかあるの?」
「コイツに予定なんて、あるわけないですよ。ね?」
 高嶺(たかね)、話題に加わってもいいけど。断定しないでくれよ、な。
「なによ、じゃぁ予定あるの?」
「……なにもないのも、予定のうちだ」
「じゃ、毎日。部活しよ!」
 湯呑みの件がひと段落したらしく。玲香ちゃんが話しに乱入してくる。
「毎日ですか? 講習ないのに、また学校くるんですか……」
(すばる)君、部長がそれじゃダメだよ! わたしだって、陽子ちゃんと『思い出』作りたいから。いいよね?」
「え、知ってるの?」
 留学のことを指しているのだと気づいた春香先輩が、驚いた顔をする。
「そのほうが、あとから聞いて妙な気を使わなくて済むでしょう。もっとも、そんな気を使う人かは疑問ですけど」
 三藤先輩が皮肉を込めていうけれど。
 玲香ちゃんには、あまり通じていない気がする……。


 ……それはそうと。
 さっきから、なにかおかしいんだよなぁ。
 藤峰(ふじみね)先生が、いつもと違った意味で挙動不審だ。
 これはきっと、なにか隠してる。
「先生、どう思いますか?」
 だから僕は、話しを振ってみたのだけれど。
 え? なにその、不適な笑み。

 藤峰先生が、一度大きく息を吸って。
 それからいきなり。
「買っちゃった!」
 また不思議なことをいい出す。
「いったい、なにを買われたのですか?」
 三藤先輩が、聞いてあげるわよという感じで質問すると。
「放送機器の入れ替えですね!」
 玲香ちゃんが、わざと被せてうれしそうな声をあげる。
「そうなの! このあいだのことで校長がご機嫌だったからね。いまこそ、ここは勝負だって思ってね! おねだりしたのよ〜」
「よかったー。ある意味。ザ・昭和みたいな設備だったんでうれしいです!」
「だよね! 実は副顧問の響子(きょうこ)とも相談しててね……」

 藤峰先生と玲香ちゃんが、盛り上がる中。
 三藤先輩は、極めて冷静で。
「……先生。部長に相談しましたか?」
「あ、忘れてたかも〜」
「きっと副部長も反対するでしょうし、ですか?」
「そ、そんなことはないんだよー。ま、きっかけだからさぁ……」
「もう、そんなこと気にしないんだよ、月子ちゃん」
 玲香ちゃんが、なんだかご機嫌なだけじゃなくて。
 なんなのその不適な笑みが……。別のことを企んでない?

「そうと決まれば、体力作りからですね! それなら先生、やっぱりここは部活に燃える高校生。ザ・夏の定番の……」
「『合宿』ですね!」
 おい、高嶺。
 どうしてお前は、そこだけわかるんだ?


 ……ただ、普段なら。
 このあと、一気にノリがよくなるはずなのに。
 先生のテンションが、どうも変だ。
 あの藤峰先生の口が、半開きのまま次の句が出てこないのって。

 ……あ、わかってしまったかも。
 ふと周囲を見ると。
 三藤先輩と、春香先輩もわかりましたね。
 またやっちゃったんだね……みたいな表情がすべてを物語る。
「海原君、わたしも混ぜてよ」
 都木先輩がそういって、僕たち四人で。
 どうしても聞かなければならないことのために、じゃんけんをする。
 はい、それでは負けた春香先輩。……お願いします。

「もう、部費がないんですね?」
「ご、ごめんねー。ちょっと勢いで……」

 要領を得ていない高嶺と、意外とその辺は疎いらしい玲香ちゃんに解説しよう。
 要するに、部費がないので。
 これからの活動は、全部『自腹』だ。
「え〜。飛行機で、ビューンと北海道にいきたかった……」
「船とか乗って、温泉いきたかった……」
 ちょっとそこのふたり!
 たとえ部費があっても、そんな所で合宿なんかできませんけど!


「よし、やっとわたしの出番だね!」
 そのとき、部室の扉が勢いよく開いて。
 三藤先輩が、明らかに大きなため息をついて。

 めちゃくちゃ得意げな顔で、高尾(たかお)響子(きょうこ)が登場した。

 あぁ……。
 い、嫌な予感しかしない……。

「みんな、来週からうちに集合ね!」
「は?」
「嘘よね……」
「へ?」
「ほんと!」
「やったー!」

「わたしもですか?」
 割と冷静だった都木先輩に、高尾先生が返事する。
「あなたは一日中講習だから、勉強しなさい」
「わたしも、いきたかった……」
 落ち込む都木先輩を、春香先輩がやさしくなぐさめる。

「残りはみんな、月曜七時にうちに集合!」
 それを聞いた藤峰先生の目が、パッと輝く。
「久しぶりに、響子の家にいける〜!」
「いや、あなたここの教師だから無理でしょ」
 ……ガックリと肩を落として、それでもめげない藤峰先生は。
「よし、美也! 講習サボるよ!」
 そう宣言しようとしたのだけれど。
「先生……」
「それはありえません」
 都木先輩と三藤先輩の息が見事にぴったりあって、即座に否定した。


「……すいません、イマイチわからないんでー。来週響子先生の家にいくとか、合宿とか。海原でもわかるように解説してもらえませんか?」
 高嶺よ、そうやって僕をダシにするな。
 でもまぁ、僕も全部はわからないから、許してやろう。

 ……以下に、要点をまとめてみた。
 高尾先生の実家は、神社らしい。
 で、そこでバイトをして、部費を稼ぐ。
 朝のボックスシートの面々は、基本自宅から通えばよい。
 留学準備中の春香先輩は、通うのは大変だから誰かの家に泊めてもらう。
 それで英語の勉強は、藤峰先生の代わりに高尾先生が担当する。


「……あの、ものすごく疑問だらけなんですけど、いいですか?」
 三藤先輩が、代表して聞きなさいとばかりに僕に目で催促してくるので。
 やむを得ず、高尾先生への質問を担当する。

「あの……。そもそも本校はアルバイト禁止なのでは?」
「お小遣いのためじゃないのよ、部費を貯めるためだけど?」
「それって、手段じゃなくて目的の話しなので違う気が……」
「いちいち細かいねぇー。そもそもわたし、まだここの教師じゃないわよ?」
 ……ダメだ、藤峰先生なみに話が通じない。

「バイトは毎日ですか?」
「あなたたち、暇なんでしょ?」
「えっと……。でも勉強に差し障りが出るのでは?」
「じゃぁ、ついでに勉強もしたら?」
「神社でですか?」
「部室でやっても一緒でしょ。はい次!」
 ……ダメだ、高尾先生に勝てる気がしない。

「海原もういいからさ。多数決ね、はい賛成!」
「わたしも!」
 玲香ちゃんと高嶺は、こういうときのコンビとしては最高だ。
 いや、高尾先生……。
 先生が手を挙げても……。そもそもカウントする対象ですか?
「陽子ちゃんはどうしたい?」
 珍しく藤峰先生が、誰かに配慮した発言をする。
「わたしは、えっと……」
「夏の思い出だから、いっときなよ!」
 訂正、結局賛成させたかっただけらしい。

「部員がやるっていっているのに、部長と副部長がこないなんてあり得ないでしょ〜。じゃぁ、あとは美也、仕方ないからわたしたちは週末は参加できるように、講習がんばろうね!」
「はい。楽しみがあれば頑張れそう!」

「いえ先生。両親に説明するのは……」
 三藤先輩が、まだまだ粘る。
「部活の練習よ? 問題あるなら、わたしがまた電話してあげるけど?」
「……佳織先生。それは、結構です」
 ダメだ。先輩も、白旗をあげてしまった……。

「学校の許可、いまからでも取れるんですか!」
 最後に粘るのは、僕しかいない。
 どうだこの渾身の質問!
 これまでほとんど実態のない部活だから、きっと厳しいはずだ。
「校長には、ぜんぶ終わってから伝えればいいんじゃない?」
「そうだね、それでいいよ」
 ダメだ、この顧問副顧問に、常識は通じなかった……。


 ……でも、あれ?
 部費を使い果たしただけなら、そもそもそんなに稼がなくてよいハズだ。
 え……もしかして?

「あの、先生?」
 藤峰先生と、高尾先生がギョッとした顔で。
 僕と、もうひとり気がついた三藤先輩を交互に見る。
 その泳ぎすぎている目を見て、確信した。
「まだ、隠していることがありますよね?」


「……まったくもー」
「まぁでも陽子ちゃん、楽しめるからいいんじゃない?」
「そうですよー。海原とか月子先輩がやってくれますからぁー」

 部費だけで足りるはずもない、機器更新費用を『稼ぐ』のが。
 僕たちに勝手に課せられたミッションだった。
 いくら他校のキャンセル品で、格安だったといわれても……。

「お給料で自腹切ったら、二度とパンが買えなくなるのよ!」
「お洋服の可愛くない副顧問なんて、みんな嫌だよね?」
 目だけ涙ぐんでも、どう見ても顔が笑ってますけど……。

「ごちゃごちゃいわない!」
「そう、遊ぶよ!」
「い、一応部活だけどね……」
「代わりに講習いってくれたら、わたしやるよ?」
 そんなに目を輝かせて、キラキラされて、ほほえまれて、最後に包み込むような笑顔でいわれたら……。

「あんな大人には、ならないわ……」
「部員が顧問ふたりを養う必要、ありませんよね……」
 三藤先輩と僕の意見は一致しているけれど、とても勝てそうにない。

 とにかくこうして。
 僕たちの『合宿』の夏が始まることが、決定して……。




 ……迎えた月曜日の、朝六時半。
 僕は三藤先輩の家の、門の前に立っている。

「う、海原くん。お、おはよう……」
 いつもと変わらないその姿で、三藤先輩がややぎこちない挨拶をする。
 ……って、いつもと変わらない?
 せ、先輩!
 制服ですよ、それ。

「あら海原君、おひさしぶり」
「お、お母様! ご、ご無沙汰しております……」
「もう、なんで出てきたの!」
 三藤先輩の、両耳が赤くなる。
「だって、なんだかいいじゃない!」
 今朝も三藤母は、すこぶるご機嫌だ。
「わざわざ家の前までお迎えなんて。ちょっとうらやましいわ。ねぇ海原君?」
「……えっと。と、とおり道ですので、立ち寄らせていただきました」
 三藤母が、少しイタズラっぽい笑顔をしながら、ひそひそ声で教えてくれる。
「この子ってば。昨日からずっと、着るもの迷っててねぇ……」
「えっ……」
「朝も三回着替えて、結局制服にしたのよ〜」
「それはいわないでってお願いしたのに! もう、いってきます!」
 珍しく大股で歩き出した先輩を。
 僕は、三藤母に一礼してから慌てて追いかける。


 ……しばらく桜並木を進んだ、三藤先輩が。
 突然立ち止まって、その藤色の瞳で僕をじっと見る。
 な、なにかお気に召しませんでしたでしょうか?
「ちょっと、海原くん。朝から感じ悪い」
「す、すみません!」
「……絶対なにか、わかっていないよね?」
 痛いところを突かれた。
 多分、多分だけど、制服のくだりでしたか?
「制服のことじゃないよ。もっと大切なこと!」
 月曜早朝から、これはマズイ。
 僕は必死に、先ほどのわずか数分のやり取りを思い出すけれど。
 やっぱり、わからない……。


「……あのね、海原くん」
 小さくため息をついた、三藤先輩が。
 一歩僕に近づいて、上目遣いでぐっと目を合わせてくる。
「わたしはね! ついでに拾った、みたいにいわれたくない!」

 あぁ……。
 ようやく、理解した。
 僕が『とおり道なので』といったのが、気に入らなかったんですね……。

 思いがけない理由で、片頬を膨らませたまま同じ姿勢でいる三藤先輩に。
 不覚にも、僕の口元が緩んでしまう。
 それがきっかけで先輩も、自分のいつもと違うテンションに気づいたのだろう。
 慌てて一歩下がると、今度は足元のほうに視線を落として。
 声もボリュームダウンして、ボソッとつぶやく。
「そういうところは、直さなきゃダメなんだから……」


 それから。三藤先輩がもう少しいいかけた、ちょうどそのとき。
 並木道の横の線路で、駅に向かって減速しつつある列車のほうから。
 聞き覚えのある騒がしい声が、幾重にも重なって聞こえてきた。

 わざわざ窓をあけるなよ、玲香ちゃん。
 こんな朝から叫ぶなよ、高嶺。
 すでにやけになっていません? 春香先輩。

「近い、近いよそのふたりー!」
「朝から、離れなさーい!」
「ふたりとも、降りるからもうやめて〜!」


「……知らない人のフリをして、いいわよね?」
 三藤先輩は、そういうけれど。
 口元だけは、ほほえんでいる。

 そうだった。
 真夏の、まだ朝七時前なのに。
 僕達五人は、めちゃくちゃ元気な笑顔だ。



「春香陽子のために、夏休みはたくさん笑おう。笑顔で送り出そう」
 先週金曜日の帰りに、みんなでそう誓い合った。

 いい出したのは高嶺で。
 もちろん、誰ひとり反対しなかった。


 この朝、そんな想いを胸に。

 僕たちはまた、新たな日々を。
 みんなで、迎えていくことになる。


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