君の隣が、いちばん遠い
「……こんばんは」
花岡さん。
週に一、二度やってくる大学院生の常連さんだ。
今日も黒ぶちの眼鏡をかけ、落ち着いたネイビーのコートに身を包んでいる。
「こんばんは。……これと、これで」
差し出されたのは、クラフト紙のノートと、万年筆のインク。
渋い選択だった。
レジを打ちながら、わたしはふと、最近の自分を思い出していた。
紗英ちゃんとのカフェ。
一ノ瀬くんとの夕焼けのベンチを———
「……最近、雰囲気変わったね」
花岡さんの言葉に、わたしは驚いて顔を上げた。
「……え?」
「表情。前より、やわらかくなった。……いいと思う」
それだけを静かに言って、彼は代金を受け取り、コーヒー片手に出て行った。
その後ろ姿を見つめながら、そっと手のひらを胸に当てた。
気づけば、自分は変わっていた。
誰かと笑う時間が、心地よくなっていた。
何かを無理に演じるのではなく、自分のままでいられるような。
そんな日々を、大切にしたいと思えるようになってきた。
遊ぶ理由なんて、きっといらない。
ただ、誰かと一緒にいることを、少しずつ楽しめるようになってきた。
その小さな変化を、今のわたしははそっと抱きしめていた。