恋のレシピは、距離感ゼロで無口な先輩と

最終章

◾️橘side


 出勤すると、小林さんがプリンターを睨んでいた。
 私が来たことに気付くと、途端にその顔が泣く寸前のものへと切り替わる。

「だぢばなざん」
「動かないってことはないからね」

 ここ最近、率先して自分にできる仕事をしようと動いてくれる。そのことはとてもいい傾向だとは思うけど。

「動かないんですよ、このプリンター。もう20分も経つのに」

 20分前ということは、かなり早く出社していたらしい。

「何か表示されてると思うけど」

 私は小林さんと並んで、プリンターの画面をのぞき込む。
 すると、画面にはしっかりと「用紙詰まり」の表示が。紙の端がくしゃっと中で折れ込んでいた。

「ほら、ここ引っ張ったら直るから」

 カバーを開け、詰まった紙をゆっくり引き出す。
 カサ、と音を立てて出てきた紙を見て、小林さんが思わず小さく拍手する。

「さすが橘さん……!」

 これまでなら、すぐに投げ出していたかもしれないのに。
 今の小林さんは違う。ひとりで20分も粘ったなんて、成長してるなと少し感動する。

「自分でやろうとしただけでも、えらいと思うよ」
「ほんとですか!?」

 頬を染めて照れるように笑う彼女に、私はうんと頷いた。
 そこに、ふと今朝見たばかりのスーツが見えた。
 成川さんだ。
 仏頂面のまま、手に書類を抱えて通り過ぎていく──かと思った、その瞬間。
 すれ違いざま、ほんの一拍、私の耳元で、誰にも聞こえないくらい小さな声で。

「小春、今日は帰りが遅くなる」

 一文字一文字、落とすように、優しく。
 背筋がふっと熱くなる。
 それは、完全にプライベートの呼び方だった。
 思わず彼の背中を振り返ると、こちらはまったく気にしていないように、いつもの無表情で自席へ向かっていく。
 けれど。

「……え⁉  い、今、成川さん、小春って……⁉」

 小林さんの大きな声に、心臓が跳ねた。

「気のせいじゃないかな」
「嘘ですよ! 絶対聞こえてました! あの成川さんとですか⁉」

 これは、たぶん、ごまかせていない。
 でも、ほんの少しだけ、甘くてくすぐったい朝に心が弾んでいた。

END
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