氷壁エリートの夜の顔
「大学のとき告白されて──『彼氏はいないけど、誰とも付き合う気がない』って言ったら、余計にしつこくされたことがあって……。それから、彼氏がいるってことにしてた」

 彼の周囲の空気がやわらいだような気がした。誤解を生まないように、慌てて付け足す。

「あ、でも結城さんが、私のことをそういうふうに見てないのは、ちゃんとわかってたよ。だからこれは、あくまで世間向けの予防線というか……美玲以外には、彼氏がいるってことで通してただけ」

 彼は小さく頷いた。

「だけどそのうち、海外赴任中だとかエリートだとか、いろいろ尾ひれがついちゃって……。否定したら、どんな人なのかって聞かれるだろうなって思って、それも面倒で、曖昧なままにしてたの。否定も肯定もしないで」

 彼のまなざしは変わらず、ただまっすぐだった。

「──じゃあ、ダブルワークしてるのは?」

「それは……ちょっとした家庭の事情ってやつ。大したことじゃないから、気にしないで」

 ふたりのあいだに静けさが落ちる。柔らかく包み込まれるような、優しい沈黙だった。
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