暇な治療院

第3章 起承転結 2

 本当は鍼灸師なんてなりたくはなかった。 それがなっちまった。
勉強していた頃、『経絡治療要綱』という本に魅了されちまったから。
 でもなんか複雑だった。
 80年代といえば『北斗の拳』だよね。 経絡といえば北斗神拳。
アニメと現実が重なってしまって頭の中は混乱した。
その中で経絡治療にどんどん引かれていったんだ。
 ぼくらが使う鍼は太さ0,2ミリくらい、髪の毛よりも細い鍼なんだ。
それで皮膚に軽く触れる程度から2,3ミリ刺し入れるくらいの治療をする。
(こんなもんで治療なんて出来るのか?) 本気で疑ったりもした。
でもやってみて実感した。 本物だったって。
 それから30年。 続けてきたね。
酸素ボンベを担いで生きているおばあちゃんがボンベを忘れてくるくらい元気になったりパーキンソン病のおじいちゃんが自分で何でも出来るようになったり。
小脳脊髄変性症の女の子を楽にしたり、、、。 やるだけのことはやった。
その上で今が有る。 気は抜けないなあ。
 もちろんお返しも有るよ。 治療をするってことは患者さんの邪気をもろに貰うってことだ。
だから死にたくなるくらいに苦しんだことだって何度も有るよ。 半日動けなかったことだって。
でもそれは治療がうまくいった証拠。 患者さんの苦しみを抜き取れた証拠だ。
そこまで言い切れる施術者がどれくらい居るだろう? 居ないと思うな。
刺せばいい、揉めばいいって思ってるからね ほとんどの人は。
 揉んで気持ち良くなったって一か月もすればまた揉んでくれって来るんだ。
だったら苦しみを取ってあげたほうがいいじゃないか。 ぼくはそう思っているよ。

 学生時代、忘れられないのは「私の体を使って一人前になってね。」って言ってくれたおばあちゃんが居たこと。
見ず知らずのおばあちゃんにそう言われたんだ。 それで何でも試させてもらった。
 そんな人が居てくれたから今が有る。 そう思うよ。
 それにさあもう一人。 実習助手だった玉沢さん。
実習に出るようになった頃、彼女は毎日ぼくの治療を乞うてきた。
何がどうしてそうさせたのかは今でも分からないけど、彼女は毎日やってきた。
 実習中もお灸を据えたり手伝ってくれてたからいろんな話もしたなあ。
そしてそして土曜日は彼女と二人きりになるんだ。 ぼくは洗濯当番にさせられてたから。
 いつもさあ他の連中は何もしないで帰っちゃうんだよ。 洗濯すらしたことは無い。
どっかで訴えてやろうかって思ったけど言っても無駄だなって思ったから言わなかった。
 その代わりに洗濯機が回っている間、玉沢さんと二人きりでいろんな話をしたんだ。 カルテの整理をしながらね。
その日はさあ、昼食もまたまた特別だった。
 寄宿舎に入ってたんだけど土曜日は2時過ぎに帰るんだよ。 そしたらね、食べられなかったラーメンがぼくのテーブルにドンと置いてある。
調理のおばちゃんたちはぼくが大食いなのを知ってるから余った物を全部持ってきたんだよ。
「全部食べていいよ。」っていつも言われた。 その通りに全部食べた。
多い時で丼が6個並んでたっけなあ。 あだ名は〈残飯掃除のネズミ君〉だったよ。
ネズミは無いだろうに、、、。
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