最後に名前を呼べたなら ―君の記憶と、永遠に―

怖いんだよ

「……なあ、菜亜」

帰り道、夕暮れの影が長く伸びてる中で
ぽつりと、俺は言った

 

「俺さ、今日のこと――忘れたくない」

 

菜亜は、少しだけ驚いた顔をして俺を見た

 

「忘れそう、って思ってるってこと?」

「……わかんねぇけど」
「朝起きたときに、“何か大事なもん”が抜けてる気がするんだ」

 

「それが何なのかも、ちゃんと思い出せねぇくらい…ぼんやりしてて」

「怖いんだよ」

 

声が震えた

俺の中の“男としてのプライド”とか、
そういうのはもう、とっくにどうでもよかった

 

「菜亜の声とか」

「目を見て話した言葉とか」

「笑った顔とか、ふいに膨れてくる顔とか――」

 

「全部、どんどん遠ざかってく気がして」

 

俺は、立ち止まった

そして、
菜亜の前に立って、真正面から見つめた

 

「ごめんな」

「俺、今すごく情けねぇこと言ってると思う」

「でも」

 

「お前のことだけは、絶対に忘れたくない」

 

その言葉を聞いて
菜亜は目を伏せて、小さく笑った

でもその瞳の端は、潤んでいた

 

「じゃあさ、悠」

 

「わたし、毎日言うよ」

「“わたしは悠が好き”って」

「その言葉を聞くたびに、悠の中にわたしがちゃんといるって証拠になるように」

 

「だから――忘れてもいいよ、全部」

 

「でも、“好き”だけは、何度でも言わせて?」

 

 

俺は、一歩だけ前に出て
菜亜を引き寄せた

 

そして、そっと
その頭に手を置いて、つぶやいた

 

「……そんな優しいこと言われたら、忘れられるわけねぇじゃん」

 

菜亜がくすっと笑って、ぎゅっと服の裾を握った

 

(忘れたくない)

(忘れられないように――今、ちゃんと焼きつけておきたい)

 

 

その日、俺は初めて
菜亜の額にそっとキスをした

 

小さくて
あったかくて

でも、涙がこぼれそうになるくらい
大切な時間だった

 

 

(この想いを、ちゃんと閉じ込めておけたらいいのに)

(どんなに、時間が壊れても)

(どんなに、記憶が消えても)

 
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