眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。

これが、“日常”

「お父さん、今日はお子さんに会うことはできません」

佐原花音(さはらかのん)の声は静かだった。
だが、その一言で面談室の空気はぴんと張り詰めた。

目の前の男――保護された子どもの父親は、両手をぎゅっと握りしめ、椅子を乱暴に押しのけて立ち上がった。

「ふざけんな……。俺から子どもを奪っておいて、今度は会わせねぇってか」

鋭い視線が花音を射抜く。
彼女は一瞬だけ視線を下げ、深呼吸。
そして、まっすぐ彼を見返した。

「……帰り道、気をつけろよ」

低く呟かれたその言葉は、重く、粘つくように空気を揺らす。

だが、花音の表情は一切変わらなかった。

「それは、脅迫と受け取ってよろしいですか?」

場が凍りつく。
彼女の声には、法の重みと、それを扱い慣れた人間の冷静さが宿っていた。

男の眉がぴくりと動き、言葉を詰まらせる。
彼は知っている。

過去に同様の言動で略式起訴された自分のことを、目の前のこの女が把握していることも。

「……いや。そんなつもりじゃねえよ。言葉のあやだ」

「了解しました。念のため、今の発言は記録に残しますが、撤回されたと認識してよろしいですね?」

舌打ちとともに、男は何かを噛み殺すように肩をすくめた。

花音はマニュアル通りに場を収めた。
だが、背筋に走った冷たい感覚だけは、肌にじっと張りついたままだった。
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