服毒

22.『隙』


夜はすっかり更け、薄暗いリビングには映画の静かな音声がぼんやりと響いていた。

レオはソファの隅に座り、ふと隣を見れば、ヨルの目は閉じられ、深い眠りに落ちている。
彼女の呼吸は穏やかで、まるで世界のすべてから守られているかのように安らかだった。

レオはゆっくりと映画のリモコンに手を伸ばし、音量を下げてからテレビの電源を切る。
微かな光が消えた部屋は、静けさに包まれ、二人だけの時間が静かに流れていった。

「ん......」

レオの動きにヨルは僅かに体勢を変え、レオの肩へと体重を預ける。そして安心しきった様子でゆっくりと繰り返される呼吸。その全てが、胸の奥を柔らかく撫でるようだった。

レオは肩に感じる温もりを確かめるように、小さく息を吐いた。
起こさないように慎重に動きながら、彼女の背に腕を回し、そっと抱きとめる。
細い身体を支えると、そのままソファのクッションに寝かせようと、膝をついてゆっくりと傾けた。

彼女の髪がふわりと流れ、額にかかる前髪が小さく揺れる。レオはそっと指先を伸ばし、それを優しく払った。

静かな夜の空気に包まれ、レオの視線は自然とヨルの穏やかな寝顔に向けられる。薄暗がりの中で、静かに眠るその顔はどこまでも穏やかで、美しかった。

こんなにも無防備に、自分のそばで眠ってくれる。信頼して、安心して——そんなヨルの寝顔を見つめながら、レオの瞳がやわらかく細められる。

「……油断しすぎだ」

低く小さな声で、誰に聞かせるわけでもなく呟いた。
けれどその声にあるのは、呆れでも怒りでもない。ただひたすらに、愛しさだけだった。

そっと彼女の頬に手を添える。体温を確かめるように、優しく親指で撫でて。
そのまま、微かに躊躇うように——けれど吸い寄せられるように、彼女の額へキスを落とした。

彼女のぬくもりが唇に残る。
それを離したあとも、まだ胸が静かに高鳴っていた。

それでも彼女の反応はない。
いつもなら自分を見返す夜空のような瞳も、悪戯に試す甘い言葉も。それら全てが、ただ静かに眠っている。

そんなヨルを見て、レオはふっと微笑んだ。
目を閉じたままの彼女は穏やかで、柔らかい。
普段はなかなか見せない隙だらけのその姿に、胸の奥がじんわりと温まる。

「たまには……こういうのも、悪くないな」

レオは静かに立ち上がると、そっとヨルの身体を抱え上げた。細い肩にかかる髪を撫でながら、彼女をベッドの方へと運んでいく。
夜はまだ深く、言葉よりも静けさが心に染みる時間だった。

さらさらとした髪が手のひらを滑っていく感触。微かにシャンプーの香りがした。
そして、静かに耳元で続く、一定の呼吸。

レオはしばらく黙ってその音を聞き続けた。
守りたいと、心の底から思うのはきっとこういう瞬間なのだと、思いながら。

足音を殺すようにして寝室まで運び終えると、レオはそっと彼女をベッドの上に寝かせた。
その身体が沈み込むたび、自分の腕から離れていく温もりに名残惜しさを感じる。
けれど、彼女の呼吸は変わらない。何ひとつ乱さず、変わらずに、安心しきった眠りのまま。

枕元に手をついて、彼女の顔を覗き込む。
揺れる前髪を指先でそっと払いながら、濡れたように光るまつげを見つめる。

「……ヨル」

そう呟く声は優しく、触れた頬にほんの少しだけ指を滑らせた。
その肌の温度と柔らかさに、思わず息が漏れる。

ゆっくりと顔を近づけて、瞼に、頬に、唇へと。触れるか触れないかの距離で止まり、彼女の寝息を感じたその瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。

こんなにも、誰かを愛しく思うなんて。
こんなにも、ただ傍にいてくれるだけで心が満たされるなんて。

「……おまえが居てくれればそれだけでいい」

囁くようにそう告げて、彼女の額にそっと唇を落とした。
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