素顔は秘密ーわたしだけのメガネくんー
第3章
ーめんどくせぇー
数日後の昼休み
教室内は相変わらず賑やかだった
女子たちはグループに分かれておしゃべり
男子はスマホをいじったり騒いだり
そんな中
彼ーー葵はいつものように静かに教科書を読んでいた
それでも最近、少しずつクラスの空気が変わり始めていた
「…ねえ、葵くんってさ」
「意外とイケメンだったりして?」
近くの女子グループからそんな声が漏れる
「ちょっと分かるかも〜」
「メガネ外したら絶対イケメンだよ」
「でもあの静かな感じが逆にかっこいいんだよね」
私はその会話を横で聞きながら
胸の奥が少しザワついていた
ーー知らないくせに
誰よりも
本当の彼を知っているのは私だけ
メガネを外した時の素顔
甘く意地悪に囁く低い声
そっと髪に触れてくる優しい指先
誰にも知られたくない秘密
「なにボーッとしてんの?」
友達に肩をつつかれて
私はハッとした
「い、いや、なんでも…!」
ドキドキしながら笑って誤魔化す
でも内心では
その女子たちの言葉に、少しモヤモヤしていた
そして、その日の放課後
ふたりきりになったタイミングで
私はつい口にしてしまった
「……葵くんのこと、最近少し噂になってるよ」
「……噂?」
葵はいつもの穏やかな”僕”の声で返す
「クラスの女子がね、『葵くんってイケメンじゃない?』とか」
彼はほんの僅かに目を伏せた
「……それはだるいね」
静かな声で呟いたその言葉には
少しだけ、本音が滲んでいた
私は少しだけ勇気を出して聞いた
「…そんなに嫌なの?」
葵はふっと小さく笑った
「俺は……」
一瞬だけ声が低くなる
そして、少し間を置いてから
「七海以外に注目されるのは、正直めんどくさい」
ドクン、とまた心臓が跳ねた
初めて呼ばれた、自分の名前
それだけで、顔が一気に熱くなる
「…え…?…いま…」
驚いている私を見て
葵はゆっくりと微笑んだ
「ん?……あれ?今、名前呼んだの初めてだったっけ?」
「そ、そうだよ……びっくりした……」
私がしどろもどろになるのを
彼は少し楽しそうに眺めていた
「そっか。じゃあ…
これからは普通に呼ぶわ」
柔らかく笑いながらも
その目の奥には、いつもより深い色が滲んでいた
ふっと溜息をつきながら、彼はぽつりと言った
「“僕”を演じるの…もうめんどくせぇ」
「え…?」
「七海の前ではさ。もう俺でいいだろ」
その低い”俺”の声に
また胸がぎゅっと締め付けられる
「……え…?それって……」
「……そっちのほうが楽だし」
彼の声はいつになく自然で
まるでこれが本当の彼なんだと教えてくれているようだった
私は
驚きと、ドキドキと、嬉しさがぐちゃぐちゃに入り混じって
なにも言葉が出せなかった
それでも
「……なんか、かっこ良すぎるよ…」
ぽつりと漏らしてしまった
彼は微かに笑って、静かに近づいてきた
「んだそれ……じゃあ、七海だけの ‘俺’ でいるわ」
ゆっくりと
そっと七海の耳元で囁いた
「他の誰にも見せない。…お前専用な」
心臓が跳ね上がるほどのドキドキに包まれたまま
私はもう、何も言えなかった