クマとナデシコ 博堂会次期若頭候補の熊井宗一郎は撫子さんの愛が欲しい
一路、流行りのカジュアルなイタリアンレストランに向かった撫子と宗一郎はお店に入る。外観も可愛らしく、ターゲット的に自分たちより少し若い世代向け。
リザーブ席へと案内をされた撫子は少し店内を見回した。
甘い可愛らしさをコンセプトにしているがごちゃごちゃはしておらず、清潔感も伺える。
「可愛いお店ですね」
「っ、ごめん。また職業病が」
にこにこしている宗一郎の真っ直ぐな眼差し。
職業的な癖が出てしまっていると言うことは、撫子は無意識のうちに宗一郎に素のままの自分を見せていると言うこと。自身はそれに気づいていないが撫子は「私ったら」と恥ずかしそうに笑う。
店員からの今日のおすすめのコース料理の説明を受けながら「宗君どうする?」と二人で話し合うのも楽しい。
「じゃあそれにしましょうか」
美味しそうだし、と話し合った末に宗一郎はスマートに主導権を持ち、注文をしてくれる。
「デザートは両方ともオプションの三種盛りをお願いします」
撫子も撫子で慣れたように彼に任せ、すらすらと店員に対して丁寧に述べる彼の声を聞く。
その声がなんとも心地よくて、少し耳を澄ませる。
撫子さん、と愛情いっぱいに呼んでくれる声も好きだがこうして社交の場での少し低めな、落ち着いた知的な印象をもたらす声音を使う宗一郎も良い。熊井組の看板を背負う男の計算と言うよりも洗練された大人の仕草があった。
食前に深煎りのイタリアンコーヒーをアイスで頼んだがその美味しさに撫子の表情がパッと華やぐ。
「深煎りは苦味だけが強調されがちだけどここのコーヒー、美味しい」
関本君知ってるかな、と喉元まで来て言うのを控えた撫子は同じくひと口飲んだ宗一郎の表情を見て「舎て……じゃなかった。宗君の所の松田君、本当に良いセンスしてる」と褒める。
「撫子さんが褒めてたって伝えておきますね」
抗う事の出来ない縦社会の中、いずれ自分の兄貴分である宗一郎の妻になる撫子から褒められたとなれば誉れ高い。そんな宗一郎の舎弟、松田が勧めてくれたカジュアルなイタリアンランチは二人の心の距離を優しく縮める、が。
店内はその可愛らしさから比較的若い女性が多く、撫子はなんとなく過去、自分が言われた事をふいに思い出してしまった。
・・・
――時間は去年の夜に遡る。国見組が持っているホストクラブで飲んでいた時のこと。
彼女の両隣には新進気鋭の若い男が座ったが普通ならヘルプになど入らないような安定した人気の古参も卓についた。
しかもその時間、一番のVIPしか座る事の出来ないこの店にカネを落としている者なら誰しもが羨む女王の為の一画に撫子はいた。
「ここに座ったからには何かボトル入れるけど」
「いえ、撫子さんはそのままでも……ああ、何か食いたいモンとかあったら黒服に買いに行かせますんで」
「そう?でも……あ、じゃあせっかくだから二人の為に一本ずつお小遣い。ね?それなら角も立たないし。あとそうね……」
撫子はグラスメニューからソフトドリンクを選んでいたのだが店のロゴが入ったオリジナルラベルのシャンパンを二本入れる。そんな彼女の行動に古参は恐縮しきりとなってしまった。
今夜のこの席は特別、と言うか撫子はホスト遊びをしているのではなく、そこでとある人物を待っているだけだったのだが……。
「いつも若い衆に小遣い貰っちゃってすみません。さっき連絡があって到着まであと三、四十分くらいかかるそうで」
「分かった。じゃあそれまで私に付き合って貰って良い?」
にこっと営業向けに笑顔を作る撫子に頭を下げる古参。その様子を見ていた事情を何も知らない若手もやっと違和感を覚える。お金の使い方が妙であり、さらにキャスト以外の者を待っているとは。卓につく前、古参からは絶対に下手を打つな、彼女の言う通りにしろと言われていたがそもそもそんな上客だと言うのに顔を全く知らない。
しかもさらっとボトルを二本、飾りで置いておくための物を入れたが本人はソフトドリンクのアイスレモンティーだ。
お喋りの話題も特に当たり障りのない何でもない話で、彼女が不動産屋をやっている事くらいしか身分を明かさない。派手に賑わうこともなく、だんだんと仕事の話に移って女性をもてなす側の若い男二人は逆に撫子に話を聞いて貰ってしまっていたその時。
「なんであんなオバサンが座ってんだよ!!」
ふ、と顔を上げた撫子は自分よりも十歳は離れていそうな若い女性の怒鳴り声を聞く。
両隣にいるホストは新進気鋭、エース候補となる子だと撫子は古参から聞いているがどうやら悪い酔い方をしている様子。喚く女性の卓についていたホストが止めに入るが下手に触れて怪我もさせられず、やきもきとしていた。
撫子が座っているのは半個室の比較的静かな場所だったのだが空気が変わる。
しかし女性は撫子の正体を知らないし、撫子も名乗るつもりは毛頭ない。女性の怒気が引くのを待つしかないのだが古参は撫子を守るように何も言わずに卓の前に立つ。どれだけの上客なのか、と言うか多分この人はそもそも客ではなくて……と若手ホストの二人がこっそりと顔を見合わせたころ。
「撫子ちゃん、遅くなって悪かったね」
店の従業員用の通用口から大勢の黒服やダークスーツを従えた年配の男がフロアに入って来る。今どき珍しいダブルのスーツにうっすらと白髪交じりの髪はすっきりと後ろに流され、如何にも……であった。
「まあこんなところだ。動線も良くないし、改装しようと思ってね」
明らかにヤのつく生業をしている男の派手な登場に呆気にとられている若い女性。いよいよホストたちも女性の手を引っ掴んで下がらせる。
「お久しぶりです、国見さん」
軽い会釈をする撫子と問題の女性客が退いた代わりにやって来た男、国見に速やかに卓を空けるよう古参は若手に指示を出す。
「俺にとって撫子ちゃんはまだまだ可愛い娘さんなんだけどな」
「またそんな事を言って。国見さんにはボトル出しませんよ」
「相変わらずだねえ」
店の方の黒服が卓上の全てを取り払い、女王の為の半個室はクラブ内の黒服ではない格式高い色調の深い色合いをした何人ものダークスーツの人の壁によって個室状態となった。
「にしても悪いな。仕事の話の為に呼んだのに店の若い衆に小遣いまで」
「いえ、営業中のお店を見たいと言ったのは私ですから。それに実際、どんな提案をすべきか」
「まあ先ず、上客専用のゆっくり楽しめる個室は必要だな」
「そうみたいですね」
撫子を見て「オバサン」と言った客はもう店内にいない。
入り口側からはフリーの客や同伴の客が何事も無かったかのように店内に入って来る。
「この手のことなら撫子ちゃんに頼んでおけばと思ったんだがさて、どうだろう」
撫子とは適切に距離を置いて座る国見……博堂会直参国見組の組長、国見隼人は店舗の改装の仲介を彼女に任せようとしていた。なによりこの土地建物、元は龍堂が持っていた地所で国見組が直参に昇格した祝いに撫子の父が兄貴分として十ほど年下の国見にくれてやっていたのだ。
そして当時、国見が来るまで撫子の隣に座っていた片方が兄弟でホストをやっている宮野木兄弟の弟の方だった。
・・・
自分は若くない。身を置いている場所が場所なだけに気が付いてないだけで実年齢より老けてるかもしれない。
だからこういう若い女性向けの可愛らしいお店には仕事以外では足を運ばなくなった。
目の前には宗一郎がいて「ケーキも美味しいですね」とまわりの目なんてなんにも気にせず、自分だけに笑顔を向けてくれている今の状況はきっと貴重な時間。この甘いスイーツのような時間に対して野暮な事を言われる筋合いなんて本当はなにもないのだ。
撫子は「スーパー寄ったらアイスも買って帰る?」と宗一郎に問えば「良いですね、お風呂上がりはやっぱりアイスですよね」と彼はまた笑ってくれた。