クマとナデシコ 博堂会次期若頭候補の熊井宗一郎は撫子さんの愛が欲しい
撫子は自分の部屋のテレビをつけるとソファーに座る。
ちょっとしたキッチン付きの広々としたワンルーム。仕事用のデスク、セミダブルのベッド、ゆったりと座れる大きめな二人掛けのソファーが楽に納まっている部屋に来訪者があるのは珍しい。
自分の家に友達なんて呼べなかった。撫子には家に呼べるような同じ年頃の女の子の友達なんていなかった。
それで心が荒んだり、ざらついたりもして……寄せる時代の流れに流されてしまったのだ。
その時はまだ若すぎて、世間知らずで、抗いようが無かったのも事実で。
宗一郎が上がるまで手持無沙汰で付けたテレビに流れている夜中のニュース番組。頻りに取り上げられている芸能人とテレビ局の不祥事による大幅な株価の動きに博堂が関わっているのを撫子も知っていた。
でもそれよりも更に上、極道者たちよりも悪い者たちは存在しているのだ。自分の父親ですら頭を下げるような相手は幾人も存在している。
そんな裏社会に自分たちは身を置いて……まともな交友関係、ましてや恋愛なんて出来ないと諦めた自分に期待される許婚、宗一郎との結婚の話。
「撫子さん、お風呂の換気扇つけときますね」
洗面所の扉が開いたな、と目を向ければ上半身だけこちらに見せた宗一郎が言う。彼の几帳面さに撫子も「ありがとう」と言葉とともに頷いてやる。酒が入っていても、宗一郎はしっかりとそう言うところに気が向けられる男性。別にいいのに、と思っても彼の生真面目な思いは大切にしてあげなくてはならない。
(それは自分が年上だから……って、全部に理由を付けてないとやってられないなんて、ね)
ソファーに座ってテレビを眺めていた撫子はなんとなく隣に置いてあったクッションを手に取ると、抱き締める。さきほど、宗一郎が自分にしてくれたように。
洗面所からは宗一郎が髪を乾かしている音がする。家族すら滅多に訪れない来客の無いこの部屋でこうも人の気配があると安心すると言うよりは落ち着かなかった。
回数は少ないが宗一郎とは肉体関係があると言うのに、どうしてこんなにそわそわしてしまうのだろう。考え込んでしまう撫子はほとんど顔をクッションにうずめてしまう。
「あ、撫子さんもう眠いですよね」
髪乾かしてたら遅くなっちゃった、と言う宗一郎に顔を上げたがその彼女の表情は彼の真っ直ぐな瞳にどう、映ったのか。
彼とて、もう十分に大人の男。父親の代行として色々な場所に出向いている為に他人の腹の中を読むことに関しては長けている。
「でもちょっとだけ、お邪魔していても」
にこっと笑うハンサムな笑顔に撫子は頷いてしまう。
「冷蔵庫に水とかお茶のボトルが入ってるから、好きなの出して」
「ええ、頂きます」
撫子の心のパーソナルスペースをずけずけと踏んだりはしない宗一郎はいつも何か恩を受ければそれに対する受け答えを丁寧にしてくれる。大胆で、慎重で。だからこそ、心が揺さぶられてしまう。
肩書きがどうであれ、宗一郎は異性として……一緒にいて嫌じゃない。撫子が少し座り直して宗一郎にも座るよう促すと彼の重みで少し、撫子の体が傾いた。
「親父さん、相変わらず強靭な肝臓してますね」
「あれでも自分ではお酒セーブしてるって言うんだから。私も多分強いんだろうけどそこまで飲んだこと自体無いし……でも今日は宗君が来たから飲んでただけかも」
他愛ない話だった。
シャワーを浴び、ミネラルウォーターをひと口飲んだ宗一郎も意識がすっきりしたのか「さっきの、すみません」と謝って来た。
スキンシップにしては少し強引だった彼の行為。別に咎めたりはしないが動揺はしていた。撫子も「大丈夫」と何でもなかったかのように言葉を返すと膝にあったクッションを抱き直す。
「……宗君、最近どう?クラブの中じゃあんまり話せなかったし」
途端にパッと彼の雰囲気が変わったのが分かった。
聞いてくれて嬉しい、の雰囲気。
「そうですね……そう、ウチの親父が本当に出不精になっちゃって」
「博堂の会合とかは出てるんでしょ?」
「ええ、それだけは一応。でも組の統合が視野されているから周りに顔を知って貰う為に俺にも一緒に出ろって。まあ、今までも何回か顔を出したことはあるんですけどあくまでも軽く息子の紹介って感じで」
「でも宗君のこと、みんな一回見たら忘れないと思う」
「撫子さんまで言う……俺、小さい時は兄貴分たちに子熊って呼ばれてたし、今じゃまわりからは野生のヒグマ扱いだし」
「ごめんごめん。でもね、裏社会ってそう言うのも大切だから」
風呂上りの宗一郎は半袖の黒いストレッチの肌着に下はグレーのスウェットズボン。袖がみちみちとしている腕まわりなど、元から筋肉が発達しやすい体質的なものもあるらしいが背の高さと相まって隣に座ると本当に大きく感じる。
龍堂に住み込みでいる青年、鈴木いわく冗談抜きに掛布団の丈が足りないかもしれない。
もし、彼とどこかに住むことになったら布団とかもキングサイズとかロングの物になるのかな、と撫子はふと考えてしまった。
「やっぱり撫子さんもう寝た方が良いかな」
「ん……ごめんね。せっかく宗君来てくれたのに。あと掛布団が足りないかもしれないから」
ソファーから立った撫子はクローゼットの中にある布団袋を取り出すとまだクリーニングしたばかりだから使って、と同じくソファーから立った宗一郎に手渡す。
「部屋まで送ってあげる」
着替えのシャツなどが入ったガーメントバッグを手にした撫子はまたしても嬉しそうにしている宗一郎の姿を見て胸の奥が切なく、苦しくなってしまった。