『仮面越しに、君を知る。』
二回目の勉強会は、前回と同じ市立図書館の隅の席だった。
前回よりも少しだけ打ち解けた空気が、四人の間に流れていた。会話の数こそまだ少ないが、お互いのペースや教え方を掴み始めている。
「……この問題、解き方、昨日のと似てない?」
雫が自分のノートを指しながら乙葉に尋ねる。
「そうだね。これは前回やった関数の応用問題。変化の割合をまず求めてから、式に当てはめてみて」
「そっか、変化の割合……変化の割合……よし、やってみる!」
隣で稲葉が小さく笑った。
「雫、言葉に出して覚えるタイプ?」
「そうなの! 黙ってやってると眠くなるんよ!」
「じゃあ次は俺が読む係やるから、雫は解いてって」
「え、優しい! ありがとう、稲葉くん!」
一方、如月は参考書をめくりながら、乙葉にぼそりと呟いた。
「……この資料、グラフの書き方がわかりにくい」
「ほんとだね。こっちの教科書のほうが、例題が見やすいかも」
「……ありがと」
その“ありがとう”が、小さくて真っ直ぐだったことに、乙葉は少し驚いた。
如月湊斗という人間が、ただの無機質な天才肌じゃないこと。言葉数は少なくとも、ちゃんと周囲を見ているということ。その片鱗が、少しずつ、見えてきた気がした。
三回目の勉強会は、中間テスト直前の土曜日。
さすがに図書館も混み合っていて、前回の席は使えず、四人はやや窮屈な角のテーブルに詰めて座った。
「今日は仕上げだ〜!」
雫がやる気を見せながら、いつもより早くノートを開いた。
「雫がやる気出してるとこ、初めて見たかも」
稲葉の冗談に雫がむくれる。
「ひどっ! 私だってやるときはやるんやから!」
「そうだね。今回はけっこう頑張ってたし」
乙葉がさらりと肯定すると、雫はふふんと得意気な顔をした。
勉強は、まるでパズルを組み立てるようだった。
如月が数式を板書しながら「これ、誰かやってみて」と問題を出し、乙葉がその手順を補足し、稲葉が「なるほど、つまり俺の苦手なパターンだ」と笑い、雫が「……え、もう一回言って」と真顔で聞き返す。
「如月くん、説明する時に“要するに”って付けてくれると、すごくわかりやすくなる気がする」
雫がぽつりと言うと、如月は「……気をつける」と、少しだけ気まずそうに目をそらした。
(前だったら、こんな指摘されたら無言になってた気がする)
乙葉はそんな変化を敏感に感じ取っていた。
稲葉も言葉を選ぶように、「如月、こういうときは“つまり”ってクッション挟むと柔らかくなるよ」と加えた。
そのやり取りは、決して“馴れ合い”ではなく、四人が互いに向き合って、理解しようとする努力だった。
仮面を被ることも、脱ぐこともせず、でも確かに心が重なり合う──そんな感覚だった。
中間テストが返却された月曜日の昼休み。
教室は、悲喜こもごもな空気に包まれていた。
「うわ、終わった……」
「理科20点ってなに……」
そんな中、乙葉は淡々と答案を回収していた。
英語はほぼ満点、数学も正確に点を重ね、全体の平均点を押し上げる形で、成績表のトップ3に再び名を刻んでいた。
放課後、昇降口で集まった四人。稲葉が封筒のように成績通知表を折りたたんで持っていた。
「俺、55位だった」
「え、めっちゃ上がってるやん!」
雫が目を丸くする。
「うん。前回たしか、70番台だったし……努力って報われるんだなって」
「雫は?」
「120位! 国語も英語も赤点回避できた!」
「それはすごい。おめでとう」
如月が静かに言うと、雫は照れたように笑った。
「ありがと。如月くんが教えてくれた数学、めっちゃ効いたかも!」
「……そう」
如月の言い方は相変わらず淡々としていたけれど、その頬の端がほんのわずかに、緩んだように見えた。
「如月くんは?」
「9位」
「すごっ!」
雫が言うと、如月は小さく首をすくめる。
「乙葉は……?」
「3位」
「さすがだなあ……尊敬する」
稲葉が笑いながら言って、雫が拍手した。
「でも、私だけのおかげじゃないよ。みんなでやったから」
そう言った乙葉の表情は、どこか柔らかかった。
稲葉がふと、ぽつりと呟く。
「仮面……外しかけてる?」
「……なにが?」
「いや、ちょっとね。前より、表情が見えるような気がしたから」
「……気のせいじゃない?」
乙葉は目線を逸らして言ったが、その声はどこか満更でもなさそうだった。
そして、帰り道。
四人で並んで歩く帰り道が、あたりまえになり始めていることに、乙葉は気づいていた。
まだ深く知っているわけではない。
でも、ほんの少し、心の温度が重なってきている。
この関係に、名前はまだつけられないけれど──。
前回よりも少しだけ打ち解けた空気が、四人の間に流れていた。会話の数こそまだ少ないが、お互いのペースや教え方を掴み始めている。
「……この問題、解き方、昨日のと似てない?」
雫が自分のノートを指しながら乙葉に尋ねる。
「そうだね。これは前回やった関数の応用問題。変化の割合をまず求めてから、式に当てはめてみて」
「そっか、変化の割合……変化の割合……よし、やってみる!」
隣で稲葉が小さく笑った。
「雫、言葉に出して覚えるタイプ?」
「そうなの! 黙ってやってると眠くなるんよ!」
「じゃあ次は俺が読む係やるから、雫は解いてって」
「え、優しい! ありがとう、稲葉くん!」
一方、如月は参考書をめくりながら、乙葉にぼそりと呟いた。
「……この資料、グラフの書き方がわかりにくい」
「ほんとだね。こっちの教科書のほうが、例題が見やすいかも」
「……ありがと」
その“ありがとう”が、小さくて真っ直ぐだったことに、乙葉は少し驚いた。
如月湊斗という人間が、ただの無機質な天才肌じゃないこと。言葉数は少なくとも、ちゃんと周囲を見ているということ。その片鱗が、少しずつ、見えてきた気がした。
三回目の勉強会は、中間テスト直前の土曜日。
さすがに図書館も混み合っていて、前回の席は使えず、四人はやや窮屈な角のテーブルに詰めて座った。
「今日は仕上げだ〜!」
雫がやる気を見せながら、いつもより早くノートを開いた。
「雫がやる気出してるとこ、初めて見たかも」
稲葉の冗談に雫がむくれる。
「ひどっ! 私だってやるときはやるんやから!」
「そうだね。今回はけっこう頑張ってたし」
乙葉がさらりと肯定すると、雫はふふんと得意気な顔をした。
勉強は、まるでパズルを組み立てるようだった。
如月が数式を板書しながら「これ、誰かやってみて」と問題を出し、乙葉がその手順を補足し、稲葉が「なるほど、つまり俺の苦手なパターンだ」と笑い、雫が「……え、もう一回言って」と真顔で聞き返す。
「如月くん、説明する時に“要するに”って付けてくれると、すごくわかりやすくなる気がする」
雫がぽつりと言うと、如月は「……気をつける」と、少しだけ気まずそうに目をそらした。
(前だったら、こんな指摘されたら無言になってた気がする)
乙葉はそんな変化を敏感に感じ取っていた。
稲葉も言葉を選ぶように、「如月、こういうときは“つまり”ってクッション挟むと柔らかくなるよ」と加えた。
そのやり取りは、決して“馴れ合い”ではなく、四人が互いに向き合って、理解しようとする努力だった。
仮面を被ることも、脱ぐこともせず、でも確かに心が重なり合う──そんな感覚だった。
中間テストが返却された月曜日の昼休み。
教室は、悲喜こもごもな空気に包まれていた。
「うわ、終わった……」
「理科20点ってなに……」
そんな中、乙葉は淡々と答案を回収していた。
英語はほぼ満点、数学も正確に点を重ね、全体の平均点を押し上げる形で、成績表のトップ3に再び名を刻んでいた。
放課後、昇降口で集まった四人。稲葉が封筒のように成績通知表を折りたたんで持っていた。
「俺、55位だった」
「え、めっちゃ上がってるやん!」
雫が目を丸くする。
「うん。前回たしか、70番台だったし……努力って報われるんだなって」
「雫は?」
「120位! 国語も英語も赤点回避できた!」
「それはすごい。おめでとう」
如月が静かに言うと、雫は照れたように笑った。
「ありがと。如月くんが教えてくれた数学、めっちゃ効いたかも!」
「……そう」
如月の言い方は相変わらず淡々としていたけれど、その頬の端がほんのわずかに、緩んだように見えた。
「如月くんは?」
「9位」
「すごっ!」
雫が言うと、如月は小さく首をすくめる。
「乙葉は……?」
「3位」
「さすがだなあ……尊敬する」
稲葉が笑いながら言って、雫が拍手した。
「でも、私だけのおかげじゃないよ。みんなでやったから」
そう言った乙葉の表情は、どこか柔らかかった。
稲葉がふと、ぽつりと呟く。
「仮面……外しかけてる?」
「……なにが?」
「いや、ちょっとね。前より、表情が見えるような気がしたから」
「……気のせいじゃない?」
乙葉は目線を逸らして言ったが、その声はどこか満更でもなさそうだった。
そして、帰り道。
四人で並んで歩く帰り道が、あたりまえになり始めていることに、乙葉は気づいていた。
まだ深く知っているわけではない。
でも、ほんの少し、心の温度が重なってきている。
この関係に、名前はまだつけられないけれど──。