結婚式の日に裏切られた花嫁は、新しい恋に戸惑いを隠せない


仕方なくリビングに戻ると、海里はジュースをもらって満足したようだ。
小さな布団の上でごろごろしているうちに、お昼寝してしまった。

母は彩奈に何も言わずに、海里から少し離れた場所で趣味の刺しゅうを広げている。
よく見たら手が止まってぼんやりしているから、湊斗のことが気になっているのかもしれない。

結婚がなくなって彩奈が家を出てから、両親はあれこれと口を挟まなくなった。
学生時代は放任されていても、着るものや友人関係について尋ねられたことはあった。
だが今は彩奈がなにをして、どこに住んでも「そうか」と言うだけ。

エクセレント誠に就職したときも、琵琶湖のペンションに住み込みで働き始めたときも。
おまけに妊娠したからひとりで産んで育てると伝えても、怒るどころか「思うとおりにしなさい」のひとことだった。

両親は井口病院のために彩奈を結婚させようとしたことを後悔していて、彩奈の生き方に一切口を出さなくなってしまった。

今回は母が「帰ってきてほしい」と手紙をよこしたのは、さすがに父が倒れて心細くなったからだろう。
久しぶりに帰ったわが家は、とても懐かしかった。少し年老いていたが、両親はやはり大切な人に変わりない。

キッチンにぼんやりと立ち尽くしていたら、コツコツと杖の音がした。
振り向くと、父がじっと彩奈を見ている。ゆっくり話しおいでと言っているのだとわかった。

実家で暮らし始めてから静かに流れていた時間が、湊斗が現れたとたん、急にごうごうと音を立てて流れる急流になったようだ。



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