敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
 フードの隙間から吹き込む雪の粒が目に入り、視界がかすむ。それでも、真っ白な世界の中でぼんやりとともる、家の灯りに沿って、ティナは振り向くことなくまっすぐ走った。

 道を尋ねられる者はいない。しかし、それは幸いかもしれない。いくら金髪をフードで隠していても、ティナの持つ薄紫の瞳は珍しい。この姿を見られたら、いずれ、脱走に気づいたルシアンが捜索に乗り出したとき、たちまち、うわさになり、ルヴェランへ渡ったことが知られてしまうだろう。

 王都ダルハインには、東西南北に四つの関所がある。セレバルと隣接する各国は、和平条約に基づき、それぞれ国境付近の関所に管理の権利を持っている。

 その一つ──西の関所は、現在ルヴェランの管轄下に置かれている。紛争中、西の関所はセレバルが管理していたが、停戦合意の成立とともに、管理権がルヴェランへと移った。マリスの言っていた通り、現在は騎士団が駐在しているはずだ。

(ああ……、あれだわ)

 ティナはようやく歩をゆるめると、大きな門を見上げた。門の上部に、雪にまみれた青い旗が下がっている。あれは、ルヴェランの国旗だ。間違いない。西の関所に到着したのだ。

 振り返ると、すでにティナの足跡は、降りしきる雪に消されていた。どこからやってきたのか。関所の兵士が探ろうとしても、ティナが話さなければ知ることはないだろう。

 トランクを開けると、マリスが持たせてくれた木製ボードを取り出し、かじかむ指で炭筆を握った。その場にしゃがみ込み、ボードが雪で濡れないよう、外套で覆いながら、『ルヴェラン、行きたい。助けて』と書いた。

 関所の中へ入れてもらえたら、あとはラスに会わせてほしいと伝えるだけ──。ティナはぎゅっとボードを抱きしめると、関所の門を叩いた。

「何者だ?」

 門はすぐに薄く開いた。隙間から、甲冑の兵士がじろりとこちらを見下ろす。

 ティナは口を開きかけたが、のどを押さえ、ボードを突き出した。兵士はいぶかしむようにボードの文字を確認すると、ティナを眺め、フードをはずせと、指示するようなジェスチャーをする。

 ティナは迷った。ここで姿をさらしてもいいものだろうか。しかし、不審がられていては、中へ入れてもらえないだろう。

 勇気を出してフードをはずすと、兵士はハッと息を飲んだ。カリスト公爵の令嬢だと気づかれただろうか。もしかして、和平交渉に来ていた兵士かもしれない。不安になっていると、兵士はわざとらしい咳払いをし、すぐに厳しい顔つきになる。

「おまえはセレバルの者か?」

 その尋ねに安堵した。大丈夫。気づかれていない。ティナはすぐさまうなずいた。

「このところ、セレバルの民がルヴェランへの移住を望み、関所へ多くの者がやってくる。我がルヴェラン国王陛下はその事態をゆゆしく思われている。現在、ルヴェランへの渡航は、戦時中に家族と生き別れた者のみと制限している。該当者でなければ、立ち去るが良い」

(そんな話になっているの……?)

 兵士はティナの返事を待つように、ボードへと目を落とす。しかし、ティナには頼れる家族がルヴェランにはいない。

 何か言わなくては。身分を明かし、ラスを呼んでもらおうか。しかし、それでは事態がおおごとになってしまうかもしれない。ラスに会うまでは、公爵令嬢と知られずに過ごせないだろうか……。

 ぐずぐずしていると、時間だけが経過し、迷うティナに兵士がため息をついた。

「該当はしておらぬようだな。帰るが良い」

(待って……っ)

 兵士に手を伸ばしかけたとき、目の前で門扉は閉じた。あわてて扉を叩くが、今度は開けてもくれない。

(どうしよう……、どうしたら……)

 ティナは辺りを見回すが、人ひとり見つけることができない。

 重たい灰色の雲が晴れる様子はなく、雪はどんどんと降ってくる。どこか、暖かな場所へ行かなくては。ティナは明るい灯りを目指して歩き出す。

(ああ……寒い……。どうしよう……)

 次第に方向を見失い、その場にうずくまる。

(寒い……寒い……)

 もはや、それしか考えられない。雪をつかむ指先の感覚が消えていく。意識が遠のきかけたそのとき、雪をギュッギュと踏みしめる足音が聞こえた。

「……あれはっ」

 若い男の声がして、誰かが走り寄ってくる。ティナはブルブルと震えながら、こちらをのぞき込む男を、フードの中から見上げた。

 なぜ、彼がここにいるのだろう。小麦色の肌。グレーの瞳。ラスフォード・エイルズに違いない。ティナは震える指を伸ばす。

(助けて……)

 力を振り絞ってわずかに顔をあげたとき、いきなり吹いた風が、雪とともにフードを巻き上げる。あらわになる金の髪に、ラスはハッと息を飲む。

「関所でうわさを聞いて……まさかと思ったが。カリスト嬢が、なぜこんなところに」

 ラスはつぶやくと、すぐさまひざを折り、ティナをそっと抱き寄せた。
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