敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
翌朝は、日が昇り始める前に出発した。凍った雪の上でも、馬たちの動きは滑らかだった。ルヴェランはセレバルよりも積雪が多いらしい。よく訓練された御者の絶妙な手綱さばきと、馬車の車輪に取り付けられた滑り止めの装具に、鍛え抜かれた馬との阿吽の呼吸で、困難な路面を乗り越えていく。
雪の扱いには慣れているから安心しろ、とラスの言った通り、旅は順調に進んだ。決して、馬車の乗り心地がいいとは言えなかったが、疲れ切る前に、次の町に到着した。そこで、水とパンをもらい、馬を休ませたあと、またすぐに出発した。そして、空が黄昏色に染まるころ、雪に満たされた街道の先に、ひときわ大きな街が見えてきた。
「あれは、王都ミュルセールの城下町だ。俺の屋敷はあの先に見える森林の中にある。じきに着くだろう」
窓の外を眺めていると、ラスが後ろからのぞき込むようにして教えてくれる。ずいぶん遠くまでやってきた。ようやく到着するのだと安堵したティナは、もう少しよく見ようと、窓から顔を出して前方を眺めた。
石造りの門の先に広がる街並みは、セレバルの王都ダルハインのような華美な豪華さは感じられないものの、自然豊かな木々に囲まれつつも、厳かで穏やかな──とても大きな街だった。
子どもたちが作ったのであろう、雪だるまのある街を馬車はすり抜けて、ふたたび丘へと入った。雪の積もるゆるやかな坂道を、最後の一仕事を遂行するべく、馬たちは力強く登っていく。
「俺の屋敷は、もともとゲレール侯の縁戚である伯爵家の邸宅だったものだ。主人を亡くし、朽ち果てていたところを修繕して暮らしている。カリスト公の邸宅のような立派なものは何もないが、生活に困ることはないだろう。気の済むまで暮らすといい」
ラスは謙遜と気づかいを見せると、さらには、ゲレールの支援を受け、何人かの使用人を雇い、独り身で暮らしていると教えてくれた。爵位がないと聞いていたが、騎士団長にまでのぼり詰め、屋敷まで与えられているのは、ゲレールが惚れ込んでいる証拠だろう。
(どれほど、有能な方なのかしら……)
ティナは不安と期待を胸に、ラスの清々しい横顔を見つめた。
和平交渉でのラスはとても立派な紳士だった。今も、敵国の騎士とは思えないほど、親切にしてくれている。カタリーナやルシアン……気に入らないとすぐに激昂する者たちに囲まれていたティナにとって、ラスは居心地のいい存在のような気がして、戸惑った。
(こんなふうに簡単に信用してしまって、よいのかしら……)
しかし、ティナはもう行き場がない。ラスのそば以上に、今は居心地よく過ごせる場所はないのだ。ルヴェランでの暮らしにも慣れていかなくてはならず、戸惑ってばかりいられない。そう自身に言い聞かせたとき、雪深い丘の中に白い洋館が現れた。
「おまえたち、ご苦労であった。馬の世話を終えたら休め。夕げの支度はできている。今日は、ひさびさに人心地つこう」
先に馬車を降りたラスが御者たちをねぎらう。ティナもお礼を言いたかったが、もたもたと炭筆を探しているうちに、御者たちは馬を連れてどこかへ行ってしまった。
「急いで駆けてきたが、体は大丈夫か?」
ラスに手を差し伸べられて、ティナは首を横に振ると、その手を取った。
(本当に、親切な人だわ……)
ティナは戸惑いながら馬車を降り、屋敷を見上げた。
石造りの外壁には、冬の苔がしっとりと張りつき、柱には小さなひびが入っている。古びた造りだが、どこか温かみを感じる建物だった。まるで、傷つきながらも誰かを迎え入れようと立ち続けているような屋敷──ラスにも、きっと傷ついた過去があるのだろう。だからこそ、誰にでも優しくできるのかもしれない。この屋敷が持つぬくもりのような、優しさで。
雪の扱いには慣れているから安心しろ、とラスの言った通り、旅は順調に進んだ。決して、馬車の乗り心地がいいとは言えなかったが、疲れ切る前に、次の町に到着した。そこで、水とパンをもらい、馬を休ませたあと、またすぐに出発した。そして、空が黄昏色に染まるころ、雪に満たされた街道の先に、ひときわ大きな街が見えてきた。
「あれは、王都ミュルセールの城下町だ。俺の屋敷はあの先に見える森林の中にある。じきに着くだろう」
窓の外を眺めていると、ラスが後ろからのぞき込むようにして教えてくれる。ずいぶん遠くまでやってきた。ようやく到着するのだと安堵したティナは、もう少しよく見ようと、窓から顔を出して前方を眺めた。
石造りの門の先に広がる街並みは、セレバルの王都ダルハインのような華美な豪華さは感じられないものの、自然豊かな木々に囲まれつつも、厳かで穏やかな──とても大きな街だった。
子どもたちが作ったのであろう、雪だるまのある街を馬車はすり抜けて、ふたたび丘へと入った。雪の積もるゆるやかな坂道を、最後の一仕事を遂行するべく、馬たちは力強く登っていく。
「俺の屋敷は、もともとゲレール侯の縁戚である伯爵家の邸宅だったものだ。主人を亡くし、朽ち果てていたところを修繕して暮らしている。カリスト公の邸宅のような立派なものは何もないが、生活に困ることはないだろう。気の済むまで暮らすといい」
ラスは謙遜と気づかいを見せると、さらには、ゲレールの支援を受け、何人かの使用人を雇い、独り身で暮らしていると教えてくれた。爵位がないと聞いていたが、騎士団長にまでのぼり詰め、屋敷まで与えられているのは、ゲレールが惚れ込んでいる証拠だろう。
(どれほど、有能な方なのかしら……)
ティナは不安と期待を胸に、ラスの清々しい横顔を見つめた。
和平交渉でのラスはとても立派な紳士だった。今も、敵国の騎士とは思えないほど、親切にしてくれている。カタリーナやルシアン……気に入らないとすぐに激昂する者たちに囲まれていたティナにとって、ラスは居心地のいい存在のような気がして、戸惑った。
(こんなふうに簡単に信用してしまって、よいのかしら……)
しかし、ティナはもう行き場がない。ラスのそば以上に、今は居心地よく過ごせる場所はないのだ。ルヴェランでの暮らしにも慣れていかなくてはならず、戸惑ってばかりいられない。そう自身に言い聞かせたとき、雪深い丘の中に白い洋館が現れた。
「おまえたち、ご苦労であった。馬の世話を終えたら休め。夕げの支度はできている。今日は、ひさびさに人心地つこう」
先に馬車を降りたラスが御者たちをねぎらう。ティナもお礼を言いたかったが、もたもたと炭筆を探しているうちに、御者たちは馬を連れてどこかへ行ってしまった。
「急いで駆けてきたが、体は大丈夫か?」
ラスに手を差し伸べられて、ティナは首を横に振ると、その手を取った。
(本当に、親切な人だわ……)
ティナは戸惑いながら馬車を降り、屋敷を見上げた。
石造りの外壁には、冬の苔がしっとりと張りつき、柱には小さなひびが入っている。古びた造りだが、どこか温かみを感じる建物だった。まるで、傷つきながらも誰かを迎え入れようと立ち続けているような屋敷──ラスにも、きっと傷ついた過去があるのだろう。だからこそ、誰にでも優しくできるのかもしれない。この屋敷が持つぬくもりのような、優しさで。