敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
ラスに続いて石畳を歩いていくと、内側から玄関扉が開き、初老の男が出迎えに現れた。
「あれは、執事のライモンドだ。少々口やかましいところがあるが、頼れる男だ。屋敷のことで困ることがあれば、あれを頼るといい」
ラスはわずかに苦笑しながら教えてくれると、白髪まじりのライモンドに近づいていく。
「旦那様、おかえりなさいませ。おかえりは明日と聞いておりましたので、急いで部屋を暖めております」
「急用ができてな」
「何ごとかございましたか?」
ライモンドは心配するように尋ねつつ、見過ごせないとばかりにティナへと視線を移す。
「この娘の面倒をしばらく頼みたい」
「こちらのお方は?」
「セレバルのカリスト公は知っているだろう。彼女はカリスト公のご令嬢、フロレンティーナ・カリスト嬢だ。少々、わけがあって、しばらく預かることになった。丁重にもてなしてくれ」
わけなど何も知らないのに、ラスはまるで、すべてを承知の上で引き取るような態度を見せる。ティナはフードをはずすと、伏せていたまぶたをあげて、丁寧に頭を下げた。
「カリスト公といえば、王家に次ぐ名門……まさか、あの、モンレヴァルのご令嬢でございますか」
驚きの声をあげたライモンドは、ティナの薄紫の瞳に気づき、ハッと息を飲んだ。そこにいるだけで空気が澄むような、気品にあふれた佇まい──なるほど、確かにあの名門の令嬢に違いない。ライモンドはそう納得したように、態度をわずかに和らげる。
「そうだ。俺はこれからゲレール侯のところへ行き、事情を話してくる。屋敷の者にはいらぬ詮索をせぬよう、しっかり言いつけてくれ」
「かしこまりました。しかし……、モンレヴァルとは、とてつもなく高貴なお方です。セレバルの国王が手放すとは到底思えません。ルヴェランにお連れして、新たな火種にはなりませぬか。……ご無礼を承知で申し上げますが、まことによろしいので?」
ライモンドという男は用心深いようだ。ラスが愉快そうに目を細めているところを見ると、そういう性格だからこそ、信頼を寄せているのだろう。
「心配するな。俺の責任でやる。客人として扱え」
「そうはおっしゃいますが……」
「かまわぬと言っている。彼女も長旅で疲れている。暖かな部屋に、服と食事を用意してやってくれ」
ラスはめんどくさそうに言いつけると、ティナに申し訳なさそうな顔を見せる。
「いまライモンドに話した通りだ。これからゲレール侯に帰還の報告をしてくる。あなたのことを黙っているわけにはいかないが、悪いようにはしない。安心して今夜はゆっくり休んでくれ」
ラスはつまびらかに話をしてくれたあと、すぐに出かけようとしたが、何か思い出したように戻ってくる。
「……それから、彼女は声を失っている。筆談にはなるが、戸惑うことのないよう頼む」
ライモンドはそれを聞くなり驚いたようにまばたきをしたが、あからさまな嫌悪感を見せずに一礼する。
「ライモンド、あとは任せた」
ラスはティナを置いて、足早に来た道を戻っていく。
(本当に、すぐに出かけてしまうのね……)
急にひとりにされてしまって、不安になりながらラスの背中を見送っていると、ライモンドが話しかけてくる。
「ゲレール様のお屋敷は坂を下った先にございます。旦那様もすぐにお戻りになりますゆえ、どうぞ、中へお進みください。お部屋へご案内いたします」
屋敷の中へ一歩踏み込むと、そこには豪華とはいえない質素な空間が広がっていた。しかし、よく手入れされて、とても清潔感がある。
「普段はあまり来客がございません。旦那様も華美なものを好みませんので、何かとおさびしい思いをなさるかもしれません」
エントランスホールを眺めるティナを見て、何を誤解したのか、ライモンドはへりくだると、胸に手をあてる。
「申し遅れました。私は執事のライモンド・ローヴェルと申します。以前はゲレール様のお屋敷に勤めておりました。お困りごとがございましたら、遠慮なくお申しつけくださいませ」
(それなら、あの人のこともよく知っているかしら)
二階へ続く階段へ向かおうとするライモンドに、ちょっと待って、としぐさで伝えると、ティナは木製ボードに『あの方はどうしてこんなにも親切にしてくださるの?』と書いて見せた。
ライモンドは「ああ」と何か思い当たるように嘆息し、表情をやわらげる。
「旦那様はもともとセレバルのご出身なのですよ。セレバルとは敵対関係にありますが、心の片隅ではそれを悲しんでおられるのでしょう」
(セレバル……。だから、優しく……?)
驚くティナに、ライモンドはそっと笑むと、彼女を促すように階段をのぼり始める。ティナは黙って従った。そうして連れていかれたのは、エントランスホールよりも華やかな客室だった。客人は丁重に扱う。そんなラスの性格が透けて見えるような、質の良い調度品でしつらえられている。
「すぐにお食事をメイドに運ばせます。少々お待ちくださいませ」
ライモンドは両手を重ねると、深々と一礼して立ち去る。部屋にひとり残されたティナは、物音が聞こえた気がして、窓辺に移動した。雪化粧された針葉樹の先に、黒毛馬に乗って坂道をくだるラスの後ろ姿が見えた。
ラスがティナを助けたと知ったら、ゲレールはどうするだろうか。もし、彼がとがめられるようなことがあれば……。
落ち着かないまま外を眺めていると、扉の開く音がして、ティナは振り返る。メイド服を着た若い女の人が、入り口で柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
「メイドのマルグリッド・ラセルタと申します。どうぞ、マギーとお呼びください。お客様のご滞在中は、私がお世話させていただきます」
(マギー……、優しそうな方ね……)
カリスト公爵邸のメイドたちはカタリーナに厳しく管理されていて、お互いが気を許すことはほとんどなかった。ティナの知るメイドとは異なる雰囲気を持つマギーに、ティナは思い切って近づいてみることにした。
(せっかくなのだから、仲良くしたいわ)
マギーは年上に見えたが、それほど年齢差はなさそうだ。カリストの名を明らかにしながらルヴェランで生きていくのも困難な気がして、ティナは木製ボードに名前を記してマギーに見せる。
「フロレンティーナ・カリスト様とおうかがいしておりましたが……ティナ様とお呼びしてもよろしいのですか?」
少々恐縮するマギーに、ティナはゆっくりとうなずいて、にこりとする。幼いころから、ずっと呼ばれなれていると伝えると、彼女も納得したようだった。すぐに彼女は食事の準備を整えて、ティナがテーブルにつくと尋ねてくる。
「お着替えは後ほどお持ちいたします。必要なものがあればご用意いたしますが、何かございますか?」
ティナは何もないと答えようとしたが、少し考えて、炭筆を手に取る。
『羊皮紙と羽ペンを……』
「あれは、執事のライモンドだ。少々口やかましいところがあるが、頼れる男だ。屋敷のことで困ることがあれば、あれを頼るといい」
ラスはわずかに苦笑しながら教えてくれると、白髪まじりのライモンドに近づいていく。
「旦那様、おかえりなさいませ。おかえりは明日と聞いておりましたので、急いで部屋を暖めております」
「急用ができてな」
「何ごとかございましたか?」
ライモンドは心配するように尋ねつつ、見過ごせないとばかりにティナへと視線を移す。
「この娘の面倒をしばらく頼みたい」
「こちらのお方は?」
「セレバルのカリスト公は知っているだろう。彼女はカリスト公のご令嬢、フロレンティーナ・カリスト嬢だ。少々、わけがあって、しばらく預かることになった。丁重にもてなしてくれ」
わけなど何も知らないのに、ラスはまるで、すべてを承知の上で引き取るような態度を見せる。ティナはフードをはずすと、伏せていたまぶたをあげて、丁寧に頭を下げた。
「カリスト公といえば、王家に次ぐ名門……まさか、あの、モンレヴァルのご令嬢でございますか」
驚きの声をあげたライモンドは、ティナの薄紫の瞳に気づき、ハッと息を飲んだ。そこにいるだけで空気が澄むような、気品にあふれた佇まい──なるほど、確かにあの名門の令嬢に違いない。ライモンドはそう納得したように、態度をわずかに和らげる。
「そうだ。俺はこれからゲレール侯のところへ行き、事情を話してくる。屋敷の者にはいらぬ詮索をせぬよう、しっかり言いつけてくれ」
「かしこまりました。しかし……、モンレヴァルとは、とてつもなく高貴なお方です。セレバルの国王が手放すとは到底思えません。ルヴェランにお連れして、新たな火種にはなりませぬか。……ご無礼を承知で申し上げますが、まことによろしいので?」
ライモンドという男は用心深いようだ。ラスが愉快そうに目を細めているところを見ると、そういう性格だからこそ、信頼を寄せているのだろう。
「心配するな。俺の責任でやる。客人として扱え」
「そうはおっしゃいますが……」
「かまわぬと言っている。彼女も長旅で疲れている。暖かな部屋に、服と食事を用意してやってくれ」
ラスはめんどくさそうに言いつけると、ティナに申し訳なさそうな顔を見せる。
「いまライモンドに話した通りだ。これからゲレール侯に帰還の報告をしてくる。あなたのことを黙っているわけにはいかないが、悪いようにはしない。安心して今夜はゆっくり休んでくれ」
ラスはつまびらかに話をしてくれたあと、すぐに出かけようとしたが、何か思い出したように戻ってくる。
「……それから、彼女は声を失っている。筆談にはなるが、戸惑うことのないよう頼む」
ライモンドはそれを聞くなり驚いたようにまばたきをしたが、あからさまな嫌悪感を見せずに一礼する。
「ライモンド、あとは任せた」
ラスはティナを置いて、足早に来た道を戻っていく。
(本当に、すぐに出かけてしまうのね……)
急にひとりにされてしまって、不安になりながらラスの背中を見送っていると、ライモンドが話しかけてくる。
「ゲレール様のお屋敷は坂を下った先にございます。旦那様もすぐにお戻りになりますゆえ、どうぞ、中へお進みください。お部屋へご案内いたします」
屋敷の中へ一歩踏み込むと、そこには豪華とはいえない質素な空間が広がっていた。しかし、よく手入れされて、とても清潔感がある。
「普段はあまり来客がございません。旦那様も華美なものを好みませんので、何かとおさびしい思いをなさるかもしれません」
エントランスホールを眺めるティナを見て、何を誤解したのか、ライモンドはへりくだると、胸に手をあてる。
「申し遅れました。私は執事のライモンド・ローヴェルと申します。以前はゲレール様のお屋敷に勤めておりました。お困りごとがございましたら、遠慮なくお申しつけくださいませ」
(それなら、あの人のこともよく知っているかしら)
二階へ続く階段へ向かおうとするライモンドに、ちょっと待って、としぐさで伝えると、ティナは木製ボードに『あの方はどうしてこんなにも親切にしてくださるの?』と書いて見せた。
ライモンドは「ああ」と何か思い当たるように嘆息し、表情をやわらげる。
「旦那様はもともとセレバルのご出身なのですよ。セレバルとは敵対関係にありますが、心の片隅ではそれを悲しんでおられるのでしょう」
(セレバル……。だから、優しく……?)
驚くティナに、ライモンドはそっと笑むと、彼女を促すように階段をのぼり始める。ティナは黙って従った。そうして連れていかれたのは、エントランスホールよりも華やかな客室だった。客人は丁重に扱う。そんなラスの性格が透けて見えるような、質の良い調度品でしつらえられている。
「すぐにお食事をメイドに運ばせます。少々お待ちくださいませ」
ライモンドは両手を重ねると、深々と一礼して立ち去る。部屋にひとり残されたティナは、物音が聞こえた気がして、窓辺に移動した。雪化粧された針葉樹の先に、黒毛馬に乗って坂道をくだるラスの後ろ姿が見えた。
ラスがティナを助けたと知ったら、ゲレールはどうするだろうか。もし、彼がとがめられるようなことがあれば……。
落ち着かないまま外を眺めていると、扉の開く音がして、ティナは振り返る。メイド服を着た若い女の人が、入り口で柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
「メイドのマルグリッド・ラセルタと申します。どうぞ、マギーとお呼びください。お客様のご滞在中は、私がお世話させていただきます」
(マギー……、優しそうな方ね……)
カリスト公爵邸のメイドたちはカタリーナに厳しく管理されていて、お互いが気を許すことはほとんどなかった。ティナの知るメイドとは異なる雰囲気を持つマギーに、ティナは思い切って近づいてみることにした。
(せっかくなのだから、仲良くしたいわ)
マギーは年上に見えたが、それほど年齢差はなさそうだ。カリストの名を明らかにしながらルヴェランで生きていくのも困難な気がして、ティナは木製ボードに名前を記してマギーに見せる。
「フロレンティーナ・カリスト様とおうかがいしておりましたが……ティナ様とお呼びしてもよろしいのですか?」
少々恐縮するマギーに、ティナはゆっくりとうなずいて、にこりとする。幼いころから、ずっと呼ばれなれていると伝えると、彼女も納得したようだった。すぐに彼女は食事の準備を整えて、ティナがテーブルにつくと尋ねてくる。
「お着替えは後ほどお持ちいたします。必要なものがあればご用意いたしますが、何かございますか?」
ティナは何もないと答えようとしたが、少し考えて、炭筆を手に取る。
『羊皮紙と羽ペンを……』