敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
(こんな雪深い日に誰かしら?)
階段に近づくと、先ほどよりもはっきりとした声が聞こえた。それは、義母が誰かをもてなすときにあげる、上機嫌な甲高い声だった。
ティナは珍しく浮かれた声が気にかかって、階段を降りていった。父が倒れてからというもの、以前にも増してカリカリしていた義母の舞い上がる声が、ひときわエントランスに響き渡っている。
それに比べ、男の声は静かに応じている。その落ち着いた口調は、義母の浮かれた声をまるでたしなめているようだった。
父のもとにはさまざまな騎士が訪ねてくるが、義母の様子からすると、かなり高位の者が訪れたのではないか。ますます興味が湧いて、柱の陰からのぞく。ほんの少し先に、義母と向かい合う数人の男たちの姿があった。
彼らがまとう黄金のマントには、王国軍の紋章がある。華美なものを好む王族らしい、豪華絢爛たるドラゴンの刺繍が施されている。
(国王陛下の使いかもしれないわ。病床のお父様に何か無理を押しつけに来たのかしら)
セレバル国の国王は悪政を強いる王だった。このままでは国が崩壊するのではと父は心配し、粉骨砕身して働いていたが、ふと、糸が切れたように覇気を失ったのは、実母を亡くしたときだった。あのときの、さみしげな父の横顔は、いまでも鮮明に思い出せる。
父と実母は恋愛結婚であった。出会いは、遠方視察から帰る途中、大雨に見舞われて先へ進めなくなった父の率いる一行が、山奥にひっそりとたたずむ実母の屋敷へ宿泊したことに始まる。父は、慎ましく美しい実母に一目惚れをした。実母の実家は由緒正しい家柄ではあったが、すでに権力は手放しており、公爵家との縁組は難しいと思われていたが、父は実母のもとへ通って求婚し続けたという。
この時代、そういった結婚は珍しく、マリスから聞いた話は夢物語のようだった。(私だって、いつか好きな人と……)そんなふうに思った日も、遠い昔のことではない。
ロマンチックな結婚をした父の、妻を亡くした喪失感は、想像し得ないほどの絶望だっただろう。突如、浮上した義母──カタリーナ・ロシュフォール侯爵夫人との再婚をあっさりと受け入れたのも、自暴自棄によるものだったかもしれない。
義母のカタリーナは、公爵家の夫人としてとてもよく働いた。父が倒れてからも、落ちぶれたカリスト公爵家と言われないよう、方々に手紙を出し、縁が切れぬように尽力もしている。であるからこそ余計に、陛下の使いとあれば、張り切って最上級のもてなしをしようとするであろう。
(それにしても、あの人、どこかで……)
マントをまとった男たちの奥に、ひときわ目を引くたたずまいの、金色の髪の男が立っている。その後ろ姿には見覚えがあった。ティナはさらによく見ようと、大きな花瓶の陰に移動した。そこに活けられたヒイラギの枝が、赤い実をこぼしそうにわずかに揺れる。
その隙間から男の顔を眺め、ティナはほんの少し息を飲んだ。あれは、若くして宰相補佐にまで登り詰めた男、ルシアンに違いない。国王陛下から深く信頼される彼が、病床の父を直々に訪ねてきたとあれば、やはりただ事ではない。
「まだ良くならないのですか。王宮では、ルヴェランとの紛争を恐れて隠れているのではないかと笑う者もいます。あのような大きな屋敷であれば、隠れる場所には困らないであろうと」
ルシアンはいら立つような目つきをしていた。先ほどまで歓談しているように聞こえていたが、父が病床の身であることを告げるや否や、そのような態度をとったように見えた。
「も、申し訳ございません。医師の見立てでは、冬を無事に越せましたらと……」
上機嫌だったはずのカタリーナも、様子をうかがうようにひどく下手に出る。
「セレバルの冬が明けるまで、何ヶ月かかると思っているのです? ルヴェランは再度の和平交渉を求めてきました。使節団の陣頭指揮を取るカリスト公が出られないのであれば、交渉放棄と見なされます。そうなれば、春を待たずして進軍もあり得ますよ。相手に攻め入る隙を見せるつもりですか」
「い、いえ、そのようなつもりはまったくございません。しかしながら、本当に立つこともままならない状況でございまして……」
「それほど? ……うわさ通り、怠けているわけではないようですね。しかし、困りましたね。貴家には、他に代わりを務められる方はおいでではないのですか?」
カタリーナは黙り込み、思案するように険しい表情をする。彼女の頭の中ではいま、なんとしてでもルシアンの信頼を勝ち取り、カリスト家に汚名がつかない算段をすることでいっぱいになっているであろう。
しかしながら、カリスト家には父の代わりになる男子はいなかった。いつまでも黙っているわけにはいかない。カタリーナは苦渋に満ちた表情で口を開く。
「ティナ……、いえ、フロレンティーナと申します娘がおります。あの子はどうでしょうか?」
「フロレンティーナ嬢ですと?」
ルシアンもティナの存在は知っているようだ。なぜ、その名を出すのかといぶかしむ様子を見せる。
「はい。娘のフロレンティーナは……、正統な後継です。母親はモンレヴァルの血を引いており、セルヴァラン王家の縁者にあたります」
義母はもっともらしい理由づけをするが、ティナをそのような高潔な身として扱ったことなどただの一度もなかった。
「……そうでした。ルヴェラン国王すら敬意を抱く、あのセルヴァランの……」
そう言いかけて、ルシアンははたと口をつぐむ。何ごとかと、エントランスにピリリとした緊張が走った瞬間、彼の琥珀色の瞳がティナをとらえた。
「おや、そこにいらっしゃるのは、カリスト嬢ではありませんか?」
階段に近づくと、先ほどよりもはっきりとした声が聞こえた。それは、義母が誰かをもてなすときにあげる、上機嫌な甲高い声だった。
ティナは珍しく浮かれた声が気にかかって、階段を降りていった。父が倒れてからというもの、以前にも増してカリカリしていた義母の舞い上がる声が、ひときわエントランスに響き渡っている。
それに比べ、男の声は静かに応じている。その落ち着いた口調は、義母の浮かれた声をまるでたしなめているようだった。
父のもとにはさまざまな騎士が訪ねてくるが、義母の様子からすると、かなり高位の者が訪れたのではないか。ますます興味が湧いて、柱の陰からのぞく。ほんの少し先に、義母と向かい合う数人の男たちの姿があった。
彼らがまとう黄金のマントには、王国軍の紋章がある。華美なものを好む王族らしい、豪華絢爛たるドラゴンの刺繍が施されている。
(国王陛下の使いかもしれないわ。病床のお父様に何か無理を押しつけに来たのかしら)
セレバル国の国王は悪政を強いる王だった。このままでは国が崩壊するのではと父は心配し、粉骨砕身して働いていたが、ふと、糸が切れたように覇気を失ったのは、実母を亡くしたときだった。あのときの、さみしげな父の横顔は、いまでも鮮明に思い出せる。
父と実母は恋愛結婚であった。出会いは、遠方視察から帰る途中、大雨に見舞われて先へ進めなくなった父の率いる一行が、山奥にひっそりとたたずむ実母の屋敷へ宿泊したことに始まる。父は、慎ましく美しい実母に一目惚れをした。実母の実家は由緒正しい家柄ではあったが、すでに権力は手放しており、公爵家との縁組は難しいと思われていたが、父は実母のもとへ通って求婚し続けたという。
この時代、そういった結婚は珍しく、マリスから聞いた話は夢物語のようだった。(私だって、いつか好きな人と……)そんなふうに思った日も、遠い昔のことではない。
ロマンチックな結婚をした父の、妻を亡くした喪失感は、想像し得ないほどの絶望だっただろう。突如、浮上した義母──カタリーナ・ロシュフォール侯爵夫人との再婚をあっさりと受け入れたのも、自暴自棄によるものだったかもしれない。
義母のカタリーナは、公爵家の夫人としてとてもよく働いた。父が倒れてからも、落ちぶれたカリスト公爵家と言われないよう、方々に手紙を出し、縁が切れぬように尽力もしている。であるからこそ余計に、陛下の使いとあれば、張り切って最上級のもてなしをしようとするであろう。
(それにしても、あの人、どこかで……)
マントをまとった男たちの奥に、ひときわ目を引くたたずまいの、金色の髪の男が立っている。その後ろ姿には見覚えがあった。ティナはさらによく見ようと、大きな花瓶の陰に移動した。そこに活けられたヒイラギの枝が、赤い実をこぼしそうにわずかに揺れる。
その隙間から男の顔を眺め、ティナはほんの少し息を飲んだ。あれは、若くして宰相補佐にまで登り詰めた男、ルシアンに違いない。国王陛下から深く信頼される彼が、病床の父を直々に訪ねてきたとあれば、やはりただ事ではない。
「まだ良くならないのですか。王宮では、ルヴェランとの紛争を恐れて隠れているのではないかと笑う者もいます。あのような大きな屋敷であれば、隠れる場所には困らないであろうと」
ルシアンはいら立つような目つきをしていた。先ほどまで歓談しているように聞こえていたが、父が病床の身であることを告げるや否や、そのような態度をとったように見えた。
「も、申し訳ございません。医師の見立てでは、冬を無事に越せましたらと……」
上機嫌だったはずのカタリーナも、様子をうかがうようにひどく下手に出る。
「セレバルの冬が明けるまで、何ヶ月かかると思っているのです? ルヴェランは再度の和平交渉を求めてきました。使節団の陣頭指揮を取るカリスト公が出られないのであれば、交渉放棄と見なされます。そうなれば、春を待たずして進軍もあり得ますよ。相手に攻め入る隙を見せるつもりですか」
「い、いえ、そのようなつもりはまったくございません。しかしながら、本当に立つこともままならない状況でございまして……」
「それほど? ……うわさ通り、怠けているわけではないようですね。しかし、困りましたね。貴家には、他に代わりを務められる方はおいでではないのですか?」
カタリーナは黙り込み、思案するように険しい表情をする。彼女の頭の中ではいま、なんとしてでもルシアンの信頼を勝ち取り、カリスト家に汚名がつかない算段をすることでいっぱいになっているであろう。
しかしながら、カリスト家には父の代わりになる男子はいなかった。いつまでも黙っているわけにはいかない。カタリーナは苦渋に満ちた表情で口を開く。
「ティナ……、いえ、フロレンティーナと申します娘がおります。あの子はどうでしょうか?」
「フロレンティーナ嬢ですと?」
ルシアンもティナの存在は知っているようだ。なぜ、その名を出すのかといぶかしむ様子を見せる。
「はい。娘のフロレンティーナは……、正統な後継です。母親はモンレヴァルの血を引いており、セルヴァラン王家の縁者にあたります」
義母はもっともらしい理由づけをするが、ティナをそのような高潔な身として扱ったことなどただの一度もなかった。
「……そうでした。ルヴェラン国王すら敬意を抱く、あのセルヴァランの……」
そう言いかけて、ルシアンははたと口をつぐむ。何ごとかと、エントランスにピリリとした緊張が走った瞬間、彼の琥珀色の瞳がティナをとらえた。
「おや、そこにいらっしゃるのは、カリスト嬢ではありませんか?」