敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
ティナは、おそるおそる花瓶の陰から身を出した。カタリーナの目つきが、ひどく恐ろしい。ただでさえ立ち聞きというはしたない真似をしていたのに、宰相補佐であるルシアンに、名乗る声も詫びる声も持たないのだから。
「む……、娘のフロレンティーナです。幼いころより、声の出せない病にかかっております。非礼を、どうかお許しください」
ほら、あなたも。とばかりに、わずかな焦りを見せたカタリーナが手ぶり身ぶりで頭を下げるよう、ティナを促す。すぐさま、ティナはドレスをつまんで、丁寧にお辞儀をした。
まっすぐ伸びた髪がさらりと肩から滑り落ちる。銀色がかった淡い金髪が、 シャンデリアの光を受けて月光のように静かにきらめき、凛とした淡い薄紫の瞳には儚さが宿る。どこか守ってあげたくなる強すぎない気品。その控えめな物腰さえ、計算されているかのような、洗練された優雅さがあった。
あなどれない、けれどただ美しい。かつて、この地を支配していたセルヴァラン国王の一族はそのように讃えられていた。まさしく、その王家の血にふさわしい容姿を、ティナは惜しみなく受け継いでいる。
「カリスト公から聞いています。お母上が亡くなり、ショックのあまりとか」
「フロレンティーナは繊細な娘でございまして」
カタリーナは薄笑いを浮かべたような表情で話を合わせた。
(繊細って、便利な言葉ね。扱いにくいと思っていても、そうは言わないのよね)
内心、反発したが、ティナは口をつぐんだまま、表情を変えずにルシアンを見返した。彼はずっと試すようなまなざしをしている。利用価値を推し量るように。
今はもう存在しないセルヴァラン王国は、百年以上前、王家の権威に反発した臣下の内乱により、ふたつに分かれた。一方が「セレバル」、もう一方が「ルヴェラン」となり、中央に位置する旧王城跡地スレイを含む一帯は、どちらのものでもない「無主地」とされた。
ルヴェラン側は当時、旧王家の一族であるモンレヴァル家に忠義を尽くし、和平を模索していた。だが、セレバル側は逆にそのモンレヴァル一族を捕らえ、山奥に幽閉した。
表向きは厚遇な保護とされているが、実情は権力を剥奪された政治的な人質。ルヴェランは今に至るまで手も足も出せず、モンレヴァル家もまた、静かな暮らしを望み、今では政争に関心を持たない子孫ばかりが残された。ティナの母——エレオノーラ・カリストもまた、モンレヴァルの末裔のひとりであった。
そして、十数年前、セレバル国王となったアルベリク・ヴェルナードは、無主地に砦を築き、あろうことか自国領と主張した。形だけの和平を保っていたルヴェランに対し、あからさまな挑発ともとれる行為を行った。それが、今に続く紛争の発端である。
それをルシアンが知らないはずはない。じっくりとティナを眺めたあと、彼はゆっくりとうなずいた。
「非常時です。仕方ありません。フロレンティーナ嬢にお願いするとしましょう」
カタリーナはほっと息をついた。その気のゆるみからか、ティナに歩み寄ると耳打ちをする。
「足手まといとわかっていながら受け入れてくださったんだ。おまえはただ黙って座っていればよい」
それは、カタリーナがティナを無能と罵る、いつもの口調だった。ルシアンがわずかに眉をひそめたのは、カタリーナの悪態が聞こえたからか、ひそひそ話にすら無反応のティナをいぶかしんだからか……。
「こちらには、もうひとりご令嬢がいらっしゃいましたね」
ルシアンが何によってか、そう尋ねる。カタリーナはハッとし、ふたたび、媚びるような笑みを浮かべた。
「我が娘、セレスタインはまだ20歳になったばかりの優しい娘でございます。争いごとは好まず、セルヴァランの血も受け継いではおりませんので……」
「いや、それはよいのです。確認しておきたかっただけです。カリスト公は無欲でいらっしゃるが、セレスタイン嬢の結婚には意欲的だと聞き及んだものですから」
「どこに出しても恥ずかしくない、立派な娘でございます。ご安心くださいますよう」
カタリーナは頭を下げつつ、横目でティナをにらみつける。セレスの足を引っ張ったら許さないというようだ。
セレスを王太子妃にと、カタリーナが父をせっついているのは知っていた。父は気が進まないようだったが、ティナを王太子妃にと願っているようでもなかった。
(私には関係ないことだわ)
カタリーナの野心も嫉妬も何もかも、ティナにはどうでもいいことだったが、余計な軋轢をさけるために黙っていた。やはり、カタリーナの言うように、ティナができることは『黙っていること』だけ。それだけは認めるしかなかった。
「しかし……、そのように浮かない表情をなさる必要はありませんよ、フロレンティーナ嬢」
妹セレスのことは、ほんの少しの好奇心から尋ねただけだったのだろう。ルシアンはやんわりと話を戻す。
「モンレヴァルの血を引く者が和平交渉の場に出てくるとあれば、あちらも敬意を払わないわけにはいきません。カリスト公の威厳は保たれ、こちらの要求も通りやすくなるでしょう。私が主導しますから、フロレンティーナ嬢は何もしなくていいのです。そこにいてくだされば、それだけで」
あたかも、高貴な装飾としてそこにいれば良い、とばかりの言い方だった。それを不満に思うことさえ許されてはいないが、ティナは素直に頭を下げた。
(和平交渉は必ず成功させるわ。黙ってるだけが能じゃないもの。私にできることだってあるはずよ)
「む……、娘のフロレンティーナです。幼いころより、声の出せない病にかかっております。非礼を、どうかお許しください」
ほら、あなたも。とばかりに、わずかな焦りを見せたカタリーナが手ぶり身ぶりで頭を下げるよう、ティナを促す。すぐさま、ティナはドレスをつまんで、丁寧にお辞儀をした。
まっすぐ伸びた髪がさらりと肩から滑り落ちる。銀色がかった淡い金髪が、 シャンデリアの光を受けて月光のように静かにきらめき、凛とした淡い薄紫の瞳には儚さが宿る。どこか守ってあげたくなる強すぎない気品。その控えめな物腰さえ、計算されているかのような、洗練された優雅さがあった。
あなどれない、けれどただ美しい。かつて、この地を支配していたセルヴァラン国王の一族はそのように讃えられていた。まさしく、その王家の血にふさわしい容姿を、ティナは惜しみなく受け継いでいる。
「カリスト公から聞いています。お母上が亡くなり、ショックのあまりとか」
「フロレンティーナは繊細な娘でございまして」
カタリーナは薄笑いを浮かべたような表情で話を合わせた。
(繊細って、便利な言葉ね。扱いにくいと思っていても、そうは言わないのよね)
内心、反発したが、ティナは口をつぐんだまま、表情を変えずにルシアンを見返した。彼はずっと試すようなまなざしをしている。利用価値を推し量るように。
今はもう存在しないセルヴァラン王国は、百年以上前、王家の権威に反発した臣下の内乱により、ふたつに分かれた。一方が「セレバル」、もう一方が「ルヴェラン」となり、中央に位置する旧王城跡地スレイを含む一帯は、どちらのものでもない「無主地」とされた。
ルヴェラン側は当時、旧王家の一族であるモンレヴァル家に忠義を尽くし、和平を模索していた。だが、セレバル側は逆にそのモンレヴァル一族を捕らえ、山奥に幽閉した。
表向きは厚遇な保護とされているが、実情は権力を剥奪された政治的な人質。ルヴェランは今に至るまで手も足も出せず、モンレヴァル家もまた、静かな暮らしを望み、今では政争に関心を持たない子孫ばかりが残された。ティナの母——エレオノーラ・カリストもまた、モンレヴァルの末裔のひとりであった。
そして、十数年前、セレバル国王となったアルベリク・ヴェルナードは、無主地に砦を築き、あろうことか自国領と主張した。形だけの和平を保っていたルヴェランに対し、あからさまな挑発ともとれる行為を行った。それが、今に続く紛争の発端である。
それをルシアンが知らないはずはない。じっくりとティナを眺めたあと、彼はゆっくりとうなずいた。
「非常時です。仕方ありません。フロレンティーナ嬢にお願いするとしましょう」
カタリーナはほっと息をついた。その気のゆるみからか、ティナに歩み寄ると耳打ちをする。
「足手まといとわかっていながら受け入れてくださったんだ。おまえはただ黙って座っていればよい」
それは、カタリーナがティナを無能と罵る、いつもの口調だった。ルシアンがわずかに眉をひそめたのは、カタリーナの悪態が聞こえたからか、ひそひそ話にすら無反応のティナをいぶかしんだからか……。
「こちらには、もうひとりご令嬢がいらっしゃいましたね」
ルシアンが何によってか、そう尋ねる。カタリーナはハッとし、ふたたび、媚びるような笑みを浮かべた。
「我が娘、セレスタインはまだ20歳になったばかりの優しい娘でございます。争いごとは好まず、セルヴァランの血も受け継いではおりませんので……」
「いや、それはよいのです。確認しておきたかっただけです。カリスト公は無欲でいらっしゃるが、セレスタイン嬢の結婚には意欲的だと聞き及んだものですから」
「どこに出しても恥ずかしくない、立派な娘でございます。ご安心くださいますよう」
カタリーナは頭を下げつつ、横目でティナをにらみつける。セレスの足を引っ張ったら許さないというようだ。
セレスを王太子妃にと、カタリーナが父をせっついているのは知っていた。父は気が進まないようだったが、ティナを王太子妃にと願っているようでもなかった。
(私には関係ないことだわ)
カタリーナの野心も嫉妬も何もかも、ティナにはどうでもいいことだったが、余計な軋轢をさけるために黙っていた。やはり、カタリーナの言うように、ティナができることは『黙っていること』だけ。それだけは認めるしかなかった。
「しかし……、そのように浮かない表情をなさる必要はありませんよ、フロレンティーナ嬢」
妹セレスのことは、ほんの少しの好奇心から尋ねただけだったのだろう。ルシアンはやんわりと話を戻す。
「モンレヴァルの血を引く者が和平交渉の場に出てくるとあれば、あちらも敬意を払わないわけにはいきません。カリスト公の威厳は保たれ、こちらの要求も通りやすくなるでしょう。私が主導しますから、フロレンティーナ嬢は何もしなくていいのです。そこにいてくだされば、それだけで」
あたかも、高貴な装飾としてそこにいれば良い、とばかりの言い方だった。それを不満に思うことさえ許されてはいないが、ティナは素直に頭を下げた。
(和平交渉は必ず成功させるわ。黙ってるだけが能じゃないもの。私にできることだってあるはずよ)