敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
***


 黄昏が過ぎ、夜の静けさが訪れると、マギーはろうそくをつけて部屋を出ていった。

 ティナは机に向かい、銀のうつわに差した水に指を濡らしては、羽ペンの先をこすり、丁寧に磨く。わずかにインクの香りが漂い、気持ちが落ち着いていく。ティナはこうしている時間がわりと好きだった。

 夕食前に、注文した羊皮紙が届いたとマギーが教えてくれた。あの、まっさらで、まるで雪のように白い羊皮紙が思い浮かぶ。

 恋が実るといううわさのある特別な羊皮紙に、文字を落とす日は来るのだろうか。

 想像してみるが、やはり、現実味が帯びてこなくて小さな息をついたとき、ノックの音に合わせるように、ろうそくがゆらめいた。

「ちょっといいか?」

 聞き慣れた低い声に驚いて、ティナは立ち上がる。すぐに返事がしたいのに、のどがきつく締め付けられて、声が出てこない。足早に扉へ駆け寄り、そっと開けると、ラスがほっとしたような笑みを浮かべる。

「部屋の灯りが見えて、起きてるだろうと思って来てみた。入ってもいいか?」

 うなずいて、さらに大きく扉を開くと、ラスが平たい木箱を脇に抱えているのに気づく。彼は部屋の中央にあるテーブルに歩み寄ると、その木箱を優しく乗せた。

「珍しい羊皮紙を注文したと聞いて、持ってきた。俺も見ていいか?」

 ティナはふたたび、大きくうなずく。ラスは値段を気にしないだろうとマギーは言っていたが、やはりあまりにも高価なものは気になるのかもしれない。

 叱られるかしらと、ドキドキしながら見守る中、ラスが木箱のふたを開ける。中には、丁寧に巻かれた羊皮紙がおさめられていた。

 ラスは一番上にある、ひときわ白い羊皮紙を手に取ると、ひもをほどいて、そっと広げる。

(……やっぱり、きれい)

 思わず、ティナは手を伸ばす。指先でふちをなぞると、まるで絹をなでたような感触がした。透けるように薄く、真っ白で、静かな輝きを帯びている。

「気に入ってるようだな。必要があれば、何度でも買うといい」

 あのうわさを、ラスは知らないのだろう。限りなく、ないに等しいにしても、何度もこの羊皮紙を使う機会が訪れるのも困る……と、ティナがうっすらほおを赤らめると、ラスは首をかしげる。

 いいえ、とごまかすように首をふると、彼は何かを思い出したような表情をして、胸もとから小さな布の包みを取り出す。

「それと、これも。店主がティナのために探してくれたそうだ」

 いつのまにか、ラスは『ティナ』と呼ぶようになっていた。メイドたちもそう呼んでくれているが、彼の口からその名を聞くと、ほんの少しそわそわと落ち着かない気持ちになる。けれど、決して居心地悪いわけではなくて──。

「試しに使ってみるといい」

 ティナは差し出されたそれを不思議そうに受け取った。それは、艶のある黒い軸に銀の装飾が施された一本の筒のようなものだった。

『これは……?』

 ティナがボードにそう書くと、ラスは小さくうなずく。

「万年筆、という羽ペンに代わるものらしい。インクを中に入れて使えるんだそうだ。出先で使うにはちょうどいいだろうと、店主がわざわざ騎士団本部まで持ってきた」

 ティナはそれを聞くなり、ひどく驚いた。店主がラスにうかがいを立てるほど、羊皮紙とは比べものにならないぐらい高価なものなのだろう。

 見たことのない形で、どう扱っていいのかわからない万年筆に手をこまねいていると、代わりにラスが筒を回して見せた。ふたのようなものが外れて、中から羽ペンよりも細く尖ったペン先が現れる。なんとも不思議な細工だ。

『私のために買ってくださったの?』
「店主はティナがボードを使って筆談するのを見て、この異国の道具を思い出したらしい。ボードを持って歩くのも大変だろう。俺も、便利だと思ってな。これからは小さく切った羊皮紙と一緒に、万年筆も持ち歩くといい」

 ティナは顔をほころばせて、万年筆で書く仕草をしてみた。重みはなく、握りやすい。これ一本で文字が書けるなんて不思議で、魔法にでもかけられたみたいだった。

(これで……外でもすぐに書けるのね)

 そう思うと、新しい世界が広がるような気がして、胸がおどった。

 試し書きをしてみようと、使い古した羊皮紙を机の引き出しから運んでくると、ふと、ラスが口を開く。

「……ところで、久しぶりに非番があるんだが、一緒に出かけないか?」

 唐突な提案に、ティナはきょとんとまばたきをした。何を誤解したのか、ラスはあきらかにいつもより早口でつけ足す。

「いや、嫌なら別にかまわない。城下町では楽しく過ごしていたらしいじゃないか。マギーが言ってたんだ。ティナはまだ見たい店があるんじゃないかって」

 だから、連れていってくれるというのだろう。その気づかいがうれしくて、『行きたいです』と早速、万年筆で書くと、彼はわずかに目をそらす。

「俺も、ティナを案内したいと思っていたんだ。欲しいものがあれば、遠慮なく言うといい。何不自由ない生活を、ティナには送ってもらいたい」

 セレバルに暮らしていたころを思えば、ずいぶん自由な生活ができている。しかし、彼の目には十分には映っていないのだろう。

 このままずっとこの屋敷で暮らすわけにもいかない。その心配をしてくれているのかもしれない。城下町へ出かければ、新しい発見ができるだろうか。

「邪魔をしたな。そろそろ部屋へ戻るとしよう」

 手入れ中だった羽ペンに視線を落としたラスはそう言うと、扉を出ていく。ティナが黙って見送る中、彼はふと振り返る。

「……何かいいことがあったか? と聞いたな」

 とっさに、何を言われているかわからなかった。しかし、縁起のいい鳥を見た、と書いた手紙をすぐに思い出し、ティナはほほえむ。

「ティナ……、今日はあなたに会えた」

 それきり、ラスは黙り込む。ティナが首をかしげると、彼はサッと顔を背け、「それだけだ」とぶっきらぼうにこぼし、足早に立ち去った。
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