敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
ラスは首をひねった。しかし、すぐに「指輪がいるのか?」とつぶやく。
(よかった。伝わったわ)
大きくうなずくと、ラスがふところから無造作に取り出す指輪を受け取る。そのまま急いでしゃがみ込み、ティナはバッグの上で万年筆を使い、羊皮紙に手紙を書いた。
_______
アンナさんへ
ラスフォード様が指輪を取り戻してくださり、ナナさんに届けてもらうよう、おつかいをお願いしました。どうか、ナナさんにご褒美を。
ティナ
_______
ティナは指輪を羊皮紙で包むと、いぶかしそうにこちらを見ているラスに何も伝えず、ナナに駆け寄った。
彼女はすぐにこちらへ気づいた。人懐こい子なのだろうか。先日の兄の様子とは違って、警戒心は見せず、指をくわえたままちらちらとパンに視線を送る。食べたくて仕方ないのだろう。
ティナはバッグの中から別の羊皮紙を取り出したが、彼女が文字を読めるような年齢ではないと気づき、ここでももどかしい思いに悩んだ。
(おつかいをお願いしたいだけなのに、それも伝えられないなんて。せめて、お兄さんが来てくれたら……)
どこからか飛び出してこないだろうかと、望みをかけて路地をのぞき込もうとしたとき、肩を叩かれて息を飲んだ。
「何をしているんだ? さっきから」
ラスが険しい表情をして、ティナから指輪を包んだ羊皮紙をサッと取り上げる。中を開いて、ますます彼は眉をひそめた。
叱られるかもしれない。『おまえは勝手なことばかりするっ!』カタリーナの叫び声が頭の中にこだまする。
息がつまる。(ああ、どうしよう……)ティナは両手で耳を塞ごうとした。
「この子が、ナナか?」
ティナがおそるおそるうなずくと、ラスは落ち着いた様子で肩に触れてくる。大きな手にも関わらず、労わるようにとても優しくて、不思議と激しい動悸がおさまっていく。
「まったく話が見えないが……」
ラスはつぶやきつつ、ナナの前に片ひざを折る。
何をするのだろう。不安ながら見守っていると、彼はナナの前へ包みを突き出す。
「いいか、ナナ。この包みを中にいる女の人に渡すんだ。とても簡単な仕事だが、これはとても重要な仕事でもある。おまえは必ず感謝され、対価をもらうことができる。俺の話がわかるか?」
ナナはきょとんとしていたが、ラスがにやっと笑うと、笑顔になってうなずいた。
「にいちゃんと、おんなじっ」
「おまえの兄も働いてるんだな? ならば、おまえもできるだろう。そして、約束だ。明日もう一度、兄と一緒にここへ来るんだ。必ずだぞ」
ナナは大きくうなずくと、包みを小さな両手でしっかりと握りしめ、パン屋の中へ入っていく。ティナとラスはその様子を窓越しにのぞき込んだ。
店内に客の姿はなく、アンナは小さなナナに気づくと、不思議そうにカウンターから出てくる。ナナが無言で差し出す羊皮紙を広げた彼女は、中から転がり出る指輪に驚き、手紙に目を通すと、サッとこちらへ顔を向けた。
ティナが頭を下げると、アンナは驚いた様子で店のドアを内側から勢いよく開けた。
「どうして……これを」
「おまえの指輪に間違いないか」
落ち着いた声音でラスが尋ねると、アンナは目を潤ませてうなずく。
「これは……私の大切な、かけがえのない指輪なんです。エイルズ様が本当に……?」
「あの少女を頼む」
指輪について、ラスは詳しく話す気はないらしい。アンナもまた、なぜ? という気持ちを飲み込むようにうなずく。
「このところ、見かけるようになって、侯爵様にご相談しなければと、主人と話し合っていたのですが」
「兄もいるようだ。明日、団員をここへ寄越す。見つけたら保護し、団員へ引き渡してくれ」
「は……はいっ」
ラスは満足げにうなずくと、「帰ろう」とティナを促して歩き出す。深々と頭をさげるアンナを残し、ティナはあわててラスを追いかけた。
屋敷へ向かう途中、ラスは無言だった。怒っているのか、それとも、何も言えないほど、さまざまなことを思案しているのか。ティナに関われば関わるほど、彼はひとりでいろんなものを背負っていくようだった。
(あ、あの……)
心の中でつぶやきながら、ラスの袖をつかんだ。彼はようやく足を止め、ティナを振り返る。
「あなたは変わらないのだな」
ティナは首をかしげた。
「腹を空かせる少女を救う手立てはほかにあったはずだ。あなたのやり方は感心しない」
ため息をつくラスを見つめる目が揺れる。今度こそ、あきれられたみたい。
話すことができたら──、できたらせめて、ラスに協力を仰ぐこともできたのに。声を出さないことが武器だと思っていた過去は、なんと浅はかだったことだろう。
ティナは握りしめていた羊皮紙に万年筆を落とす。
『ほかに方法が思いつかなくて……』
「あなたは価値をかえりみず、与えることに寛容だ。それは時に、あのような少女を危険にさらすことにもなる」
高価な指輪を持たせてしまったことを怒っているのだ。ラスがそばにいるから大丈夫だと甘えていただろうか。いや、その前になんとかしなければという思いで、突き進んでいただけだった。それをラスはこころよく思っていない。
『ごめ……』
謝ろうとするティナの手にラスはそっと触れると、眉をさげる。
「だが……、救われる命があるなら、それでいいのかもしれないな」
そう、ため息まじりにつぶやくと、彼はティナに背を向けた。
(あ……っ)
ティナは伸ばしかけた手をさげて、無言でラスの背中を追いかけた。ほんの少しでも言葉が出せたなら……、ラスに思いを届けることができたなら、もっとわかり合えることがあるような気がするのに。
(……話したい。声が出せるようになりたい)
ティナは初めて、心の底からそう願った。
(よかった。伝わったわ)
大きくうなずくと、ラスがふところから無造作に取り出す指輪を受け取る。そのまま急いでしゃがみ込み、ティナはバッグの上で万年筆を使い、羊皮紙に手紙を書いた。
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アンナさんへ
ラスフォード様が指輪を取り戻してくださり、ナナさんに届けてもらうよう、おつかいをお願いしました。どうか、ナナさんにご褒美を。
ティナ
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ティナは指輪を羊皮紙で包むと、いぶかしそうにこちらを見ているラスに何も伝えず、ナナに駆け寄った。
彼女はすぐにこちらへ気づいた。人懐こい子なのだろうか。先日の兄の様子とは違って、警戒心は見せず、指をくわえたままちらちらとパンに視線を送る。食べたくて仕方ないのだろう。
ティナはバッグの中から別の羊皮紙を取り出したが、彼女が文字を読めるような年齢ではないと気づき、ここでももどかしい思いに悩んだ。
(おつかいをお願いしたいだけなのに、それも伝えられないなんて。せめて、お兄さんが来てくれたら……)
どこからか飛び出してこないだろうかと、望みをかけて路地をのぞき込もうとしたとき、肩を叩かれて息を飲んだ。
「何をしているんだ? さっきから」
ラスが険しい表情をして、ティナから指輪を包んだ羊皮紙をサッと取り上げる。中を開いて、ますます彼は眉をひそめた。
叱られるかもしれない。『おまえは勝手なことばかりするっ!』カタリーナの叫び声が頭の中にこだまする。
息がつまる。(ああ、どうしよう……)ティナは両手で耳を塞ごうとした。
「この子が、ナナか?」
ティナがおそるおそるうなずくと、ラスは落ち着いた様子で肩に触れてくる。大きな手にも関わらず、労わるようにとても優しくて、不思議と激しい動悸がおさまっていく。
「まったく話が見えないが……」
ラスはつぶやきつつ、ナナの前に片ひざを折る。
何をするのだろう。不安ながら見守っていると、彼はナナの前へ包みを突き出す。
「いいか、ナナ。この包みを中にいる女の人に渡すんだ。とても簡単な仕事だが、これはとても重要な仕事でもある。おまえは必ず感謝され、対価をもらうことができる。俺の話がわかるか?」
ナナはきょとんとしていたが、ラスがにやっと笑うと、笑顔になってうなずいた。
「にいちゃんと、おんなじっ」
「おまえの兄も働いてるんだな? ならば、おまえもできるだろう。そして、約束だ。明日もう一度、兄と一緒にここへ来るんだ。必ずだぞ」
ナナは大きくうなずくと、包みを小さな両手でしっかりと握りしめ、パン屋の中へ入っていく。ティナとラスはその様子を窓越しにのぞき込んだ。
店内に客の姿はなく、アンナは小さなナナに気づくと、不思議そうにカウンターから出てくる。ナナが無言で差し出す羊皮紙を広げた彼女は、中から転がり出る指輪に驚き、手紙に目を通すと、サッとこちらへ顔を向けた。
ティナが頭を下げると、アンナは驚いた様子で店のドアを内側から勢いよく開けた。
「どうして……これを」
「おまえの指輪に間違いないか」
落ち着いた声音でラスが尋ねると、アンナは目を潤ませてうなずく。
「これは……私の大切な、かけがえのない指輪なんです。エイルズ様が本当に……?」
「あの少女を頼む」
指輪について、ラスは詳しく話す気はないらしい。アンナもまた、なぜ? という気持ちを飲み込むようにうなずく。
「このところ、見かけるようになって、侯爵様にご相談しなければと、主人と話し合っていたのですが」
「兄もいるようだ。明日、団員をここへ寄越す。見つけたら保護し、団員へ引き渡してくれ」
「は……はいっ」
ラスは満足げにうなずくと、「帰ろう」とティナを促して歩き出す。深々と頭をさげるアンナを残し、ティナはあわててラスを追いかけた。
屋敷へ向かう途中、ラスは無言だった。怒っているのか、それとも、何も言えないほど、さまざまなことを思案しているのか。ティナに関われば関わるほど、彼はひとりでいろんなものを背負っていくようだった。
(あ、あの……)
心の中でつぶやきながら、ラスの袖をつかんだ。彼はようやく足を止め、ティナを振り返る。
「あなたは変わらないのだな」
ティナは首をかしげた。
「腹を空かせる少女を救う手立てはほかにあったはずだ。あなたのやり方は感心しない」
ため息をつくラスを見つめる目が揺れる。今度こそ、あきれられたみたい。
話すことができたら──、できたらせめて、ラスに協力を仰ぐこともできたのに。声を出さないことが武器だと思っていた過去は、なんと浅はかだったことだろう。
ティナは握りしめていた羊皮紙に万年筆を落とす。
『ほかに方法が思いつかなくて……』
「あなたは価値をかえりみず、与えることに寛容だ。それは時に、あのような少女を危険にさらすことにもなる」
高価な指輪を持たせてしまったことを怒っているのだ。ラスがそばにいるから大丈夫だと甘えていただろうか。いや、その前になんとかしなければという思いで、突き進んでいただけだった。それをラスはこころよく思っていない。
『ごめ……』
謝ろうとするティナの手にラスはそっと触れると、眉をさげる。
「だが……、救われる命があるなら、それでいいのかもしれないな」
そう、ため息まじりにつぶやくと、彼はティナに背を向けた。
(あ……っ)
ティナは伸ばしかけた手をさげて、無言でラスの背中を追いかけた。ほんの少しでも言葉が出せたなら……、ラスに思いを届けることができたなら、もっとわかり合えることがあるような気がするのに。
(……話したい。声が出せるようになりたい)
ティナは初めて、心の底からそう願った。