敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
 銀貨十枚とはいえ、かなり高額だ。本来なら盗品として没収するべきものだったはず。しかし、ラスは手付金をすんなりと払い、バルドがしぶしぶ差し出す指輪を受け取った。

「モンレヴァルの嬢ちゃんよー、もう二度とこんな店、来るんじゃねーぞ」

 バルドの悪態に振り返ると、彼はにやにや笑いながら、ひらひらと手を振っている。どうにも憎めない人みたい。ティナは小さく会釈すると、ラスに続いて店を出た。

「詳しい話はあとで聞く。まずは指輪を返しに行こう」

 正面をにらんだままのラスの横顔には、苦い色が浮かんでいる。

 ティナはもどかしかった。自身のせいで、ラスに余計な出費をさせてしまった。マギーやアンナから聞いた話を伝えることができたら、駆け引きせずに指輪を取り戻せたかもしれないのに。

 彼に迷惑をかけてしまうのは、すべて、自身が話せないからだ。どこで暮らしても、必ず誰かの足手まといになるのだと、胸がキリリと痛む。

 とぼとぼと、落ち込みながらラスについていくと、突然、彼は足を止めた。

(何かしら……)

 おもむろに、ラスは東の方角を指さす。その先にそびえるのは、石造りのアーチに分厚い鉄扉が据えられた門だった。門の上には監視兵がちらついている。たしか、セレバルから逃げてきたとき、あの門を越えて城下町に入ったのだったか。

「あそこが検問所だ。停戦後、多くの商人が出入りするようになったが、バルドの話が本当なら、検問のやり方に問題があるようだな」
『検問を強化すると言ってましたね?』

 ティナが羊皮紙に書いた問いかけを見せると、ラスはなぜか、うっすらと笑う。

「あれははったりだ。すぐにゲレール侯へ報告し、対策を練らねばならない」
『今から行きますか?』
「ティナを危険にさらしたくないからな」

 まるで、それを最優先にしなければならないと思っているかのように、ラスは力強く言うと、ふたたび、足早に歩き出す。

 向かうのは、パン屋のある方向のようだ。指輪を返したら帰るつもりなのだろう。せっかくの非番なのに、また迷惑をかけてしまったみたい。

 ティナは大きな背中を追いかけた。ルヴェランの城下町ミュルセールは、一日では回りきれないぐらい大きな街。検問を強化するとなれば、ラスは忙しくなり、休みもままならないだろう。またいつか、ふたりでゆっくりと見て回れる日は来るのだろうか。

 ほどなくして、パンのかぐわしい香りが漂う通りへと出た。見覚えのある石造りの店へ向かうラスの奥に、ティナはあの日の少女を見つけて足を止めた。

(あの子は、たしか……)

 ぼさぼさ頭の少女――ナナは、以前と同じように、物欲しげに指をくわえて、窓越しに見えるパンを眺めていた。

 ティナはナナの様子が気になった。裾がほつれた茶色の服に、つま先に穴の空いた布靴。土に汚れた白い手足はむき出しになり、ほおは寒さのためか、赤らんでいる。前よりも、いっそうみすぼらしく見えた。

(お兄さんはいないのかしら)

 辺りを見回し、先日、木材を運んでいた兄の姿を探してみるが、通りは少女に無関心な人々の往来にあふれていて見つけられない。

(きっと……食べたいのよね)

 ナナへと目を戻す。どう見ても、裕福な家庭の子どもではなく、マギーによれば、孤児院に預けられている子どもでもない。その上、決して大人ではない兄は働き、妹の面倒を見ているようだった。

 ティナはほんの少し考え込んだ。あの子にパンを買ってあげたい。しかし、ティナは手持ちのお金をまったく持っていない。ラスに頼むのは簡単だが、先ほど大金を使わせてしまったのに、さらに頼むなんてできない。だったら、何かいい方法はないだろうか……。

(そうだわ)

 ハッと顔をあげたとき、ラスが不思議そうに振り返る。ティナは彼に駆け寄り、ゆ、び、わ、と口を動かした。
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