敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく



「ティナ様、ドレスをご用意しました。お召しになりますか?」

 マギーは両手でドレスを抱え、やわらかく問いかけてきた。

 セレバルから逃げてきたときに着ていたドレスを出してほしいと頼んでいたが、どうやらマギーは、それを着て外出するつもりだと思っているようだ。

『箱に入れたままで』

 木製ボードを見せると、マギーは少し不思議そうな顔をしてから、ドレスを丁寧に木箱へと戻した。

 明るい緑色のドレスは、よく手入れされていた。この屋敷へ来たころは余裕がなくて、ドレスを思い出すこともなければ、甲斐甲斐しく世話をしてくれるメイドたちに礼を伝えることもできなかったが、大切にしまってくれていたようだ。

『ラスフォード様に、今からお会いできますか?』

 そう書いて見せると、何か嬉しいことでもあったみたいに、マギーはにこにこと微笑む。

「ティナ様のご都合の良い時にと、おっしゃっていましたので、今からお声をかけてまいりますね」

 マギーが部屋を出ていくと、ティナは机に向かい、ボードに書いた文字を指でこすって消した。そして炭筆をふたたび、そこへ落とす。

 ほどなくして、廊下がざわついた。あわただしい足音と、重量感のあるゆったりとした足音が、次第に近づいてくる。顔をあげたとき、扉が開き、ラスが顔をのぞかせた。その背後から、あわてふためくマギーが、息を切らして現れる。

「ラス様っ、お部屋でお待ちくださいと……」
「ティナにわざわざ足を運ばせる必要もない」

 ラスは片腕を軽くあげて、マギーを制した。

「ですが……」
「用があると聞いた。入ってもいいか?」

 食い下がろうとするマギーを、もはや相手にせず、ラスはティナが立ち上がると同時に、部屋の中へと入ってくる。その表情はどこか晴れやかで、連日休みなく勤務していたとは思えないほど、健やかだった。

「頼みごとでもあるなら聞こう。街へ行きたいというなら、俺が付き合ってもかまわない」

 ティナがボードを手に取る前に、待ちきれずにそう言ってから、ラスはふと口をつぐみ、返答を待つ。

 あらかじめ用意しておいたボードに、ティナは両手を添えて、そっと差し出す。ラスはそこへ目を落とし、途端に眉をひそめる。

「ドレスを売ってほしい、だと……?」

 ティナはうなずき、木箱を指差して、ボードを書き直す。

『銀貨十枚にはなりませんが、少しずつお返ししたいのです』
「……指輪のことを言ってるなら、必要ない。あれは俺の一存で買い戻しただけだ。ティナが弁償するものではない」

 ますます彼は不機嫌になった。

 指輪の代金にはならなくても、売ったお金で何かはできるはず――。そう信じていたティナは、必要ないと言われて落ち込んだ。

 カタリーナの用意するドレスは、どれもセレスが身につけるものより質素だった。緑のドレスも、公爵家の名が傷つかない程度に用意された、あくまで室内着。ラスが見れば、それほど高価なものではないとすぐにわかるだろう。ティナが大切にするドレスだから売りたくないと言ってくれているなら、杞憂でしかない。

『私も、誰かの役に立ちたいのです』

 涙ながらに、ティナはボードに炭筆を走らせた。

 ドレスを売ることしか、今のティナにできることはなかった。それすら否定されたら、自分の存在そのものを否定されたような気がしてしまう。

「ティナは、この屋敷で静かに暮らしたらいい。あなたが望むものはすべて俺が与える。貧しい思いはさせないから、あなたはずっとここにいたらいいんだ」

 ラスは思いのほか、必死だった。両手を広げて訴えかけ、うっすら涙を浮かべるティナに気づくと、頼りなげに眉をさげる。

「あなたは……それでは満足できないのか?」

 ラスは苦しげに吐き出し、目をそらした。ルヴェランの騎士団長である彼の横顔には、くっきりと苦悩が浮かぶ。そんな顔をさせてしまって申し訳なくなり、胸が詰まった。今日はラスと穏やかに過ごしたかっただけなのに。

『孤児院の子どもたちはどんな暮らしをしているのですか?』

 沈黙に耐えきれず、話題をそらすようにティナはボードを見せた。

「なぜ、そんなことが知りたい?」
『孤児院にはセレバルから来た孤児がいると聞きます。セレバルの民として、何かお手伝いしたいのです』
「セレバルの民として……か」

 ラスは皮肉げに、唇をかすかにゆがめた。まるで、それはなんの誇りにもならないとでも言っているかのようだった。

『ラスフォード様も、セレバルのご出身なのですよね?』

 ならば、ルヴェランへやってくるセレバルの孤児を救いたいという気持ちも、わかってくれるはず。そう思って尋ねたが、ラスの表情には、いっそう濃い影が落ちた。
 
「ライモンドから聞いたか?」

 ラスは低くつぶやくとため息をつき、何かあきらめたかのような口調で話し始めた。
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