敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく



 机に向かい、ティナは羊皮紙に羽ペンを走らせていた。

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敬愛なるラスフォード様へ

本日は、孤児院の件で迅速な対応をしてくださり、
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 そこまで書いたところで、ペン先が止まる。何度となく書いた感謝の言葉が、ひどくありきたりで、薄っぺらな社交辞令に見える。

「手紙では、伝わらないかしら……」

 小さなため息をつく。ラスから返事をもらったことはなく、いまいち、彼の気持ちがつかめていない。

 浮かない表情で天井を見つめる。しばらくそうしていていたが、ティナはハッと両手を合わせる。

「そうだわっ、お会いすればいいのよ」

 羽ペンをそっと置くと、羊皮紙を裏返して伏せた。

 悩みの種が尽きないのは、それもこれも、ラスがいつも手紙の返事をくれないからではないか。そこに思いが至ると、じっとしていられない気持ちに背中を押された。早速立ち上がると、机の上のろうそくを手に部屋を出た。

 最上階にあるラスの部屋へ続く廊下や階段の壁には、ところどころ燭台が備えつけられていたが、今はすべて火が落とされ、屋敷は闇に沈んでいた。いつもラスが帰宅するまでは、煌々とつけられているそれらが消されているのは、彼が寝室にいる証拠でもあった。

 階段を上がり、長い廊下の先へと目を向けると、突き当たりの部屋からかすかな灯りが漏れている。メイドたちが寝室を整えているのだろうか。寝具を運ぶ台車が置かれ、かすかな人の話し声が聞こえてくる。

 近づくたびに、その話し声は大きくなった。扉の前まで行くと、隙間からマギーの姿が見え、時折、別のメイドたちが横切っていく。彼女たちは粛々とベッドを整えているが、マギーはラスの話し相手をしているようだった。

 入っても大丈夫かしら。と、ティナが迷いながら、扉をノックしようと腕をあげたとき、マギーの明るい声がことさら大きく聞こえてきた。

「本当に、ティナ様は優しくて美しくて聡明なお方です。奥様になっていただけたら、どんなにいいでしょうか」

 夢見がちなマギーの言葉に驚いて、ティナはあげた手をさげた。こうもあけすけに話しているのを目の当たりにすると、落ち着かなくてそわそわしてしまう。

「いきなり、何を言う。ティナは大切な客人だと、あれほど何度も……」

 ラスの姿は見えず、苦言だけが聞こえてくる。

「わかっていますとも。しかしながら、今日は言わせていただきます。ティナ様はモンレヴァルのご令嬢なのですから、誰もが射止めたいお相手なのはもちろんのこと、私たちはティナ様ご自身に惹かれてるんですよ」
「私たち?」
「そうですよ。この屋敷の使用人たちは皆、ラス様の奥様にと望んでいるんです。本日、ゲレール様へのおもてなしを拝見して、確信しました」
「何か特別なことをしたわけじゃないだろう?」

 わずかにラスが笑ったような気がしたが、マギーは大真面目だった。

「ティナ様が美しく微笑まれるだけで、ゲレール様はご機嫌だったではありませんか。社交の宴席に出ましたならば、誰もが一目を置くに違いありません」
「宴席だと? そのような場は無縁だろう」
「いいえ。これからルヴェランも、セレバルとの交流が増えるでしょう。そうなりましたらラス様も、幾度も無用な流血を防ぎ、停戦合意を取り付けたルヴェランの英雄として、晩餐会に出なければいけません。ラス様がティナ様をお連れになれば、名実ともに、ティナ様をお守りするのが誰か、皆に知らしめることもできるんです」
「……話が大げさすぎる」

 ラスはあきれたような声をあげた。しかし、否定はしなかった。ラスはルヴェランで、英雄ともてはやされるほどの実力者なのだろうか。いつも穏やかで優しいから、彼が優秀な騎士団長だということを忘れそうになる。

「何をおっしゃいますか。王宮に出入りする貴族たちの間では、ティナ様のうわさで持ちきりだそうですよ」
「クラリッサ妃殿下から聞いたのか?」

 いぶかしむようにラスが尋ねると、マギーはうれしそうな笑顔を見せた。

「はい。昨日、届いた手紙にはこう書かれていたのです。モンレヴァルたるフロレンティーナ公爵令嬢は、いずれ必ず、次期国王の妃にと望まれる存在。今に、貴族たちはこぞって求婚するのではないか、と。そうなる前にラス様、ティナ様とご婚約されてはいかがですか?」
「それこそ、モンレヴァルの娘としての価値しか見ていないではないか。まだ数ヶ月……、わずかしか一緒に暮らしていないのに、ティナの何がわかるというのか」

 ティナはどうにも扉の前から動けなくなってしまった。ラスの妻になるというのも、他の貴族たちの求婚など……、考えてもみなかったことばかり。それも、次期王妃としてだなんて……。

「わかりますよ。マギーは毎日、ティナ様と過ごしているんですからね」
「待て、マギー」

 胸を張ったマギーがびくりとするほどの大きな声を、ラスはあげた。いきなり、猛烈な勢いで近づいてくる足音がして、逃げるまもなく、扉が開け放たれる。

「誰だっ! ……ティナ?」

 ラスは叫ぶと、ひるんだような表情になった。次第にわなわなと唇をふるわせ始めるから、ティナは戸惑いながら指を組み合わせ、「あの……」とつぶやく。

「ち、ちがうんだ。いや違わないが、そうじゃないというか、いや……今のはマギーが勝手に……だな」

 ラスは動揺していた。立ち聞きしていたことを叱られるのではと思っていただけに、その様子がまったくなくて、ティナは首をかしげる。さらりと肩から金の髪が滑り落ちるのを見た彼は、なぜかますます声をうわずらせた。

「俺はその、あなたと結婚などという世迷言に乗せられたりはしないから、安心してくれればいい……」
「世迷言……なのですか?」
「は……」

 短く息を吐き出したラスは、わかりやすく硬直した。

「私は……その、声が出ないということで、結婚はあきらめていましたので、そのような話が持ち上がること自体はうれしく……」
「う、うれしいのか?」
「あの、そもそも公爵の娘という立場でしたので、結婚するように言われましたら、そのようにする心づもりはしてまいりましたが、結婚したいと申し出る紳士はおりませんでしたから」
「まさかっ」

 ラスは意外そうに叫んだ。

「まさかではございません。本当に……」
「あなたに意中の相手がいるとか、俺は考えたこともなかったが……そうか、だいたい、そのような相手がいれば、あなたはあのとき、俺を頼る必要もなかった。いや、あなたは今、結婚を申し込まれたら受けてもいいと言ったのだな?」

 ハッとしたようにラスは尋ねてきた。彼の思考があちらこちらに飛び散っているようで、焦る彼を見るうちに、ティナはふしぎと落ち着いていた。

「そのような日が来ると思われますか?」

 じっと上目遣いで見つめると、彼はたじたじになった。

「お、俺に聞かれても困る。とにかくだ、このような夜更けに訪ねてきては誤解を招く。……マギー、ティナを部屋へ連れていけ。……それから明日は昼過ぎに孤児院へ頼む。そ、その、案内が必要だろうからな」

 ラスは一方的に早口でまくし立てると、どこか逃げるようにマギーを部屋から追い出して、ぴしゃりと扉を閉めてしまった。
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