敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
 ティナが身構えると、ゲレールは手を軽くあげ、ふっと柔らかな笑みを見せる。

「なに、緊張なされずともよい。ラスフォードが、あなたに関わる件で私に助言を求めてきたのだ。すんなり私に頭を下げるのは、滅多にないことだがね」

 ゲレールが愉快そうに肩を揺らすと、ラスは少々気まずそうにした。まるで、余計な話をティナに聞かせる必要はないと、親に反発する子どものように。ゲレールは彼を我が子のように可愛がっているのかもしれない。

「早速、孤児院のこと、ご相談くださったんですね」

 心を砕いてくれた感謝を示すように、ティナがラスへにこりと微笑みかけると、耳の先をほんのり赤くした彼は、決まりが悪そうにますます不機嫌になった。

 その様子を見たゲレールは、白い歯を見せて笑いつつ、ティナの方へ柔らかに話しかける。

「そこでな、今日は陛下のお言葉とともに、私の見解を伝えに来たのだよ」

 ティナは緊張した。カリスト公爵の娘がルヴェランに逃げてきたことをルヴェラン国王が知らないはずがない。今日まで王宮へ連れていかれることもなく、穏やかに暮らせた方が不自然だったが、突然のことに戸惑いは隠せなかった。

「ルヴェラン国王陛下が、私に……何か?」

 ティナの脳裏に、城下町の広場で見かけた、マティアス・ハイド・ルヴェランの銅像がよぎった。落ち着きのある、若々しい壮年の男であったが、セレバルと敵対する一国の王が、ティナにどのような感情を持っているのか、想像もつかない。

「ぜひ一度、お会いしたいとおっしゃっていたよ」
「……本当でございますか?」

 好意的なのだろうかと、ティナは半信半疑のまま驚いた。

「セレバルからのモンレヴァル一族の奪還は、このルヴェランにとって長年の悲願であった。すでに、ヴェルナード国王よりカリスト嬢の引き渡し要求を受けているが、応じるつもりはないとの通達を出している」
「……よろしいのですか?」

 ティナはごくりと唾を飲む。すでに、セレバルはティナの行方をつかんでいるとわかっていたが、そのような要求が来ているとは、まったく知らなかった。ティナの存在が新たな火種になるかもしれないと、不安になる。

「交渉はこれからも続けていくが、ルヴェランはモンレヴァルであるフロレンティーナ・カリスト嬢を国の威信にかけてお守りする心づもりがある。しかし……、交渉が行われる見込みは今のところないのだ」
「ない……とは?」

 ラスが身を乗り出して尋ねる。

「ラスフォードにもまだ話してなかったが、実はな、ヴェルナード国王は体調に異変があり、公務を休んでいると聞く」

 ヴェルナード国王が体調不良とは初耳だった。ティナはふと、ラスの横顔に目をやる。彼は険しいまなざしをして、何かを考え込んでいる。

「ラスフォード様、何かご心配が?」

 ティナが尋ねると、ラスはすぐに「いや」と短くつぶやいて、首を振った。しかし、どこか浮かない表情が気になっていると、ゲレールが口を開く。

「私たちはセレバルの動きに最大限留意しながら、あなたの保護を約束しよう。よろしいかな? カリスト嬢」
「……あ、ありがとうございます」

 ティナはハッとし、戸惑いながらも、丁寧に頭をさげた。そのときにはラスも、ティナを安心させる力強いまなざしを取り戻していた。

「さて、もう一つ。ラスフォードの話によれば、カリスト嬢は孤児院に興味がおありとか?」
「はい。こちらでの暮らしにも慣れてきましたし、おかげさまで体調も良くなりました。何もせずにいるのは心苦しく、何かお役に立てないかと思っております」
「ふむ。孤児院は常に人手不足でしてな。カリスト嬢の申し出は大変ありがたく思っている。しかし……、孤児院での住み込みを望んでいるようですが、私どもとしましては、孤児院よりはこちらの屋敷……ラスフォードのもとにいるのが一番安全と考えています。そこは認められませんが、どうでしょう。毎日とは言いませんが、子どもたちに読み書きを教えてはくださいませぬかな?」

 願ったり叶ったりの申し出に、ティナの胸は踊った。

「そのようにおっしゃっていただけて、光栄です。ラスフォード様、早速、明日からでもよろしいですか?」

 笑顔でラスを見上げる。彼は張り切るティナを見て、だだをこねる子どもを見つめるような目をしていた。

「ティナ……すまない。少し、今後のことを閣下と相談したい。その話は、またあとで」
「はい。私はかまいませんよ」

 にこりとすると、ラスは困り顔をし、そんな彼を見るなり、ゲレールが高笑いをする。

「なるほど。ラスフォードはずいぶん、カリスト嬢に手こずっているのだな」

 ゲレールの快活な声は、暖かな風の吹き込む室内へ愉快げに響き渡った。
< 37 / 61 >

この作品をシェア

pagetop