敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
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平民上がりの騎士団長──そう、ルシアンがあざけったその男へ、ティナはそっと視線を移した。ラスフォード・エイルズ──ラスは、いまだこちらをじっと見つめていた。
がっしりとした体躯に、小麦色の肌。どこか無骨だが、色気のある顔立ち。強い力を感じるグレーの瞳には、漆黒の前髪がわずかにかかる。まばたきもせず、容赦のない鋭い瞳に見つめられると、何をしに来たのかと責められているようで落ち着かなくなる。
しかし、ティナは彼から目がそらせなかった。無気力な父、冷淡な母、無関心な妹……。ティナはいつも家族から無視されてきた。
おまえなどいなければよかった。
家族の輪を乱す存在として、生まれてきたことを否定する視線にさらされてきた日々を思うと、ラスから向けられる敵意の方が遥かにましだった。むしろ、場違いなティナを無視しないその態度が、皮肉にも交渉の場に立つ彼女の存在を認める行為になっていた。
「まさか、お知り合いではありませんよね?」
ラスと長く見つめ合っていたからか、ルシアンは妙な誤解をして尋ねてきた。すぐさま否定するように首を振ると、ルシアンはちらりとラスをいちべつする。
「先ほども言いましたが、あの男は爵位を持たない騎士団長です。あのような下級騎士が交渉の場にやってくるとは、セレバルも馬鹿にされたものです」
苦々しげにささやくルシアンの怒りはおさまらないのか、さらに続けた。
「ご存知ですか? ルヴェランの国王には後継になる子息がおらぬようですよ。すでにあの国は衰退をやむを得ない状況。あのような男が騎士団長になる国は、恐るるにあらずです」
顔をしかめるルシアンは、ギリリと歯をかみ締めた。格下の交渉人があてがわれ、悔しく思っているようだ。
しかし、それはあちらも同じかもしれない。使節団を率いるカリスト公爵が理由も明かさずに欠席し、その代わりに娘がのこのことやってきたのだ。侮辱と受け取っていてもおかしくない。それとも、事前に情報を察知して、あちらもティナに見合った交渉役を用意したのか。
いや、それはないだろう。ティナはその思いをすぐに否定した。目の前にいるラスからは、修羅場を生き抜いてきた強さが感じられる。彼の格が、家族にさえ相手にされず、広い屋敷でぽつりと生きてきたティナに見合うはずがない。敵将とはいえ、そこは認めざるを得ないだろう。
(それにしても、なぜこんなにもじろじろ見てくるのかしら……)
ルシアンが不思議がるほどに、ラスがこちらを観察しているのは間違いない。
「さて、ようやく始まるようですね」
冷静を取り戻したように、ルシアンがつぶやく。
ようやくラスが視線をずらしたのも、彼の隣に腰掛ける初老の男が話し始めたときだった。
「……互いの痛みを理解し、ここに座ってくださったことに感謝します。今日が、新たな始まりとなることを願い、始めさせていただきたいと思います」
そう挨拶を述べる男は、ルヴェラン使節団長のゲレール・モランシエ侯爵といったか。厳しい表情の中に誠実さがうかがえる顔立ちをしている。
もともと、セレバルとルヴェランは一つの国だった。言語も生活習慣も同じ。敵対しているとはいえ、戦争を知らぬティナは、どうしても憎むことができない。
(話をわかってくれる温厚そうな人には見えるわ)
無事に和平が結ばれますようにと、祈るような気持ちでゲレールの話に耳を傾けながら、その様子を真剣な面持ちで見つめるラスの横顔に視線を移す。
口を挟まず、うなずくこともせず、ただ静かに話を聞いているラスのまなざしには、覚悟を決めた光が宿り、ただ者ではないと感じさせる力があった。鎧をまとっていないにもかかわらず、彼の体からは張りつめた空気がにじみ出ており、場慣れした者だけが持つ風格もあった。
(爵位がないのにこの場にいるなんて、よほど優れた方なのかしら?)
ティナが思わず、首をかしげる中、会談は粛々と進んだ。
平民上がりの騎士団長──そう、ルシアンがあざけったその男へ、ティナはそっと視線を移した。ラスフォード・エイルズ──ラスは、いまだこちらをじっと見つめていた。
がっしりとした体躯に、小麦色の肌。どこか無骨だが、色気のある顔立ち。強い力を感じるグレーの瞳には、漆黒の前髪がわずかにかかる。まばたきもせず、容赦のない鋭い瞳に見つめられると、何をしに来たのかと責められているようで落ち着かなくなる。
しかし、ティナは彼から目がそらせなかった。無気力な父、冷淡な母、無関心な妹……。ティナはいつも家族から無視されてきた。
おまえなどいなければよかった。
家族の輪を乱す存在として、生まれてきたことを否定する視線にさらされてきた日々を思うと、ラスから向けられる敵意の方が遥かにましだった。むしろ、場違いなティナを無視しないその態度が、皮肉にも交渉の場に立つ彼女の存在を認める行為になっていた。
「まさか、お知り合いではありませんよね?」
ラスと長く見つめ合っていたからか、ルシアンは妙な誤解をして尋ねてきた。すぐさま否定するように首を振ると、ルシアンはちらりとラスをいちべつする。
「先ほども言いましたが、あの男は爵位を持たない騎士団長です。あのような下級騎士が交渉の場にやってくるとは、セレバルも馬鹿にされたものです」
苦々しげにささやくルシアンの怒りはおさまらないのか、さらに続けた。
「ご存知ですか? ルヴェランの国王には後継になる子息がおらぬようですよ。すでにあの国は衰退をやむを得ない状況。あのような男が騎士団長になる国は、恐るるにあらずです」
顔をしかめるルシアンは、ギリリと歯をかみ締めた。格下の交渉人があてがわれ、悔しく思っているようだ。
しかし、それはあちらも同じかもしれない。使節団を率いるカリスト公爵が理由も明かさずに欠席し、その代わりに娘がのこのことやってきたのだ。侮辱と受け取っていてもおかしくない。それとも、事前に情報を察知して、あちらもティナに見合った交渉役を用意したのか。
いや、それはないだろう。ティナはその思いをすぐに否定した。目の前にいるラスからは、修羅場を生き抜いてきた強さが感じられる。彼の格が、家族にさえ相手にされず、広い屋敷でぽつりと生きてきたティナに見合うはずがない。敵将とはいえ、そこは認めざるを得ないだろう。
(それにしても、なぜこんなにもじろじろ見てくるのかしら……)
ルシアンが不思議がるほどに、ラスがこちらを観察しているのは間違いない。
「さて、ようやく始まるようですね」
冷静を取り戻したように、ルシアンがつぶやく。
ようやくラスが視線をずらしたのも、彼の隣に腰掛ける初老の男が話し始めたときだった。
「……互いの痛みを理解し、ここに座ってくださったことに感謝します。今日が、新たな始まりとなることを願い、始めさせていただきたいと思います」
そう挨拶を述べる男は、ルヴェラン使節団長のゲレール・モランシエ侯爵といったか。厳しい表情の中に誠実さがうかがえる顔立ちをしている。
もともと、セレバルとルヴェランは一つの国だった。言語も生活習慣も同じ。敵対しているとはいえ、戦争を知らぬティナは、どうしても憎むことができない。
(話をわかってくれる温厚そうな人には見えるわ)
無事に和平が結ばれますようにと、祈るような気持ちでゲレールの話に耳を傾けながら、その様子を真剣な面持ちで見つめるラスの横顔に視線を移す。
口を挟まず、うなずくこともせず、ただ静かに話を聞いているラスのまなざしには、覚悟を決めた光が宿り、ただ者ではないと感じさせる力があった。鎧をまとっていないにもかかわらず、彼の体からは張りつめた空気がにじみ出ており、場慣れした者だけが持つ風格もあった。
(爵位がないのにこの場にいるなんて、よほど優れた方なのかしら?)
ティナが思わず、首をかしげる中、会談は粛々と進んだ。