敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
 子どもたちがいち早く駆けていく中、ティナはゆっくりとゲレールのもとへ向かい、ドレスの裾をつまんで頭をさげた。

「モランシエ侯爵閣下。おかげさまで、こちらでもあたたかく迎えていただき、こうしてお目にかかれて光栄です」
「カリスト嬢の評判は、この私のもとへも届いておりますよ。絵本の読み聞かせをしておりましたかな?」
「はい。子どもたちが一生懸命聞いてくれるので、充実した日々を過ごさせていただいてます」

 ゲレールはふと、ティナの抱える絵本へと目を移す。

「ほう。悲しみと赦しの王子ですか。……我がルヴェラン国王陛下も後継がおらず、常に大きな問題ではありますな」

 穏やかな語り口のゲレールだが、深刻でゆゆしき問題をあっさりと口にする。常日頃から頭を悩ませているのだろう。

「ルヴェランでは、後継がいない場合は枢密院の会議で決まると聞きました。決して珍しいことではないそうですけれど」
「おっしゃる通り。マティアス陛下は、宰相であられたときから人望が厚く、次期国王として実にあっさりと周囲を納得させましてな。大変な争いもなくすみましたが、今回は……さて」
「何か心配事でも?」

 先日、貴族たちがティナにこぞって求婚するのではないか、という話を聞いたばかりだった。彼らは次期国王の座を欲しているからこそ、モンレヴァルを手中に……などという考えを持っているのではないだろうか。

 不安そうにするティナを見て、ゲレールはなぜか、愉快げに笑った。

「いやいや、ご心配はいりませぬぞ。私は確信していますよ。ラスフォード・エイルズが次期国王にふさわしい男であると」
「ラスフォード様が……ですか?」
「意外ですかな?」

 ゲレールは微笑んでいたが、その目には揺るぎのない強さが宿っていた。本気なのだ。彼はラスを次期国王に推挙するつもりだろう。

「後見人たる私の目から見ても、申し分ない男です。カリスト嬢もそうは思われませぬか?」
「……はい。たしかに、ラスフォード様はお優しく、公平な方だとは思います。ですが……、恐れながら申し上げますと、ラスフォード様には爵位がないのではありませんか?」

 国王は称号であり、爵位とは別のもの。わかっていても、平民出身のラスが貴族から反発を受けるだろうことは、火を見るよりもあきらかだった。

「爵位など必要のない男ですよ、彼は。ラスフォードにふさわしいのは、国王の名のみ。民もじゅうぶんわかっているでしょう」
「しかし……、騎士団長というだけでは、いくら侯爵閣下の後ろ盾があっても難しいのではないでしょうか?」

 ティナの知る限り、ラスは屋敷で静かに暮らしている。それは父の姿に重なるところもある。父がそうであったように、ラスが意に沿わない権力闘争に巻き込まれるのではと、心配でたまらず尋ねるが、ゲレールは悠々と答える。

「後ろ盾はそれだけではありませんよ。モンレヴァルの血を受け継ぐフロレンティーナ・カリスト嬢と婚姻を結ばれるとなれば、ラスフォードにとって、これほどまでに巨大な後ろ支えはほかにございませんでしょう」
「婚姻……ですか?」

 ティナはすっかり驚いて、息を飲んだ。

 その後、ゲレールと何を話したのか、はっきりと覚えていない。しどろもどろに、結婚を意識したことはない……などと遠回しに言ってしまったかもしれない。ゲレールは笑っていたが、冗談だとは言わなかった。

 アリアーヌの家から屋敷まで戻る馬車の中でも、ゲレールの言葉が頭の中をぐるぐると巡って離れなかった。

「ラスフォード様と私が結婚だなんて……」

 ティナはそわそわしながら指をこすった。

 まさか、ゲレールまでその話を持ち出すとは思っていなかった。マギーが冗談まじりにラスへ提案したのとは重みがまったく違う。婚姻……その言葉がこんなにも現実味を帯びて聞こえる日が来るなんて、思いもしなかった。

 屋敷へ戻っても、どうにも落ち着かず、上の空だった。そんなときに限って、マギーがなかなか部屋へやってこない。夕食にはまだ程遠い時間ではあったが、とうとうマギーを呼びつけたティナは、たまらずに尋ねていた。

「モランシエ侯爵様は、とてもラスフォード様に肩入れしているように見えるのですが、特別な何かがあるのですか?」

 侯爵やモンレヴァルの後ろ盾がある……というだけでは、とてもではないが、国王にはなれないだろう。もしかしたら、侯爵が期待をかけるような秘密が、ラス自身にあるのではないか。こうして口に出してみると、それが思い過ごしではないような気がしてくる。

「それはもちろんですよ、ティナ様。戦場でのラス様のご活躍は、ルヴェラン全土に轟くほどの勇姿でしたから」
「戦場……ですか」

 驚くほど当然のように答えたマギーは誇らしげだったが、ティナはそっと体を震わせた。
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