敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
*
夜の屋敷は主の帰りを諦めたかのように静まり返っていた。
ティナは部屋を抜け出すと、北の廊下へと向かって足を忍ばせた。その先にある窓から、ルヴェラン王城が見えることを知っていた。
窓枠に手をかけて、そっと夜空をのぞくように目線をあげた。煌々と灯りのともる王城は、いまだに宴が続いているようだった。
晩餐会には貴族の娘たちもこぞって参加していることだろう。もし、ラスが今夜戻らなかったら、その娘たちと過ごして……。ティナは思わぬ想像をしてしまい、落ち着かずに廊下を行ったり来たりした。
そうしているうちに、階下の方がざわつくのに気づいた。数人の足音と話し声。そこに混じる青年の声を、自分でも驚くほどに鋭く聞き分けたティナは、一目散に階段を駆けおりた。
「ラスフォード様っ」
エントランスにラスの姿を見つけるなり叫んでいた。マントや手袋を受け取るメイドたちが一斉に身を引く中、ラスはひどく驚いたようにこちらを見ていた。しかし、ティナが駆け寄ると、すぐさま眉をひそめた。
「……こんな時間まで起きていたのか?」
ティナは戸惑いながら、胸の前で指を結ぶ。
「あ、あの……おかえりなさいませ。今夜はお戻りにならないのかと心配で……」
「心配する必要は何もない」
「そうなのですけれど、晩餐会には美しい方たちがたくさんいらっしゃいますし……」
「何の心配だ」
あきれたような声に、ティナは耳まで赤く染めた。どうかしている。心配はそれだけではなかったのに、これでは、そればかり気にしていたみたいだ。
するとなぜか、ラスも目をそらして首筋をぬぐう。そして、咳払いするとメイドを見やる。
「マギーはどうした」
「旦那様が戻られたと聞いて、お部屋をあたために」
メイドのひとりがおずおずと申し出ると、ラスは「ああ……」と息をつく。
「マギーにはティナを最優先するよう話しておこう。近いうちに新しいメイドを雇うとするか……」
ぶつぶつとひとりごとを言いながら歩き出すラスは、不安そうにするティナを振り返り、手で招く。
「部屋まで送ろう」
ティナはパッと表情を明るくし、ラスの後ろについていく。
「あの……、晩餐会はどうでしたか?」
「カリスト公もセレスタイン嬢も、お元気であられたよ」
「話をされたの……?」
「あいさつ程度は」
素っ気なくラスは言うが、ティナがそわそわと様子をうかがうように彼の顔をのぞき込むと、不意に足を止めた。
「……そういえば、セレスタイン嬢からあなたに伝言を頼まれた。『マリスが帰ってきてほしいとさみしがっている。あなたの帰国を待ち望んでいる』と」
「マリスが……?」
最後に見たマリスの祈るような目が思い出された。もしかしたら、ティナを逃したことで、罰せられるのではと不安だった。よかった。マリスは無事だ。そう思うと同時に、何かの警告を発するような嫌な予感がぬぐえなかった。
「どうした?」
「あ……、いえ、マリスが本当にそんなことを言ったのですか?」
「そういう話だったが。何か気にかかるなら話してみろ」
ほんの少し青ざめた表情すら見逃さないラスに見つめられ、ティナは迷った挙句に息を吐き出す。
「……実は、屋敷から逃げ出すように最初に言い出したのは、マリスなんです。別れ際、マリスはもう二度と会えないことを覚悟した目をしていました。それなのに、さみしいから帰れなんて……」
そんな感情を優先して、マリスがわがままを言うはずがない。ティナがルヴェランで元気にしているとわかっているなら、むしろ、安堵しているはずだ。
「ならば、セレスタイン嬢が嘘を?」
気色ばむラスに、ティナはハッとする。
「いいえ。セレスは卑怯な子ではありません。もしかしたら……」
「なんだ?」
「……もしかしたら、あの子はマリスがそんなことを言わないとわかっていて、私に暗示を」
「つまり?」
もどかしそうにラスは間髪入れずに詰めてくる。
「帰ってくるな……という意味ではないでしょうか」
「戻れば、つかまる……ということか」
慎重な答えに、ラスは納得したようだった。
「セレバルの様子はお聞きになりましたか?」
「ああ。いまだ、亡き国王に従う勢力が力を持っているようだ。王太子はそれに対抗しているらしいが……」
「お父さまやセレスは大丈夫でしょうか?」
「……調べてみよう」
ラスは低くつぶやくと、不安に押しつぶされそうになっているティナの背中にそっと腕を回して歩き出す。
「悪い。不安にさせたようだ。……使節団の帰国は明後日。それまで、あなたは屋敷を出ないようにしなさい」
ラスの声は硬かった。廊下の奥を見つめる眼光は鋭く、彼を悩ませているのは明白だった。
どうしてこんなにも親身になってくれるの? ティナは尋ねたかったが、やはり、モンレヴァルの娘だからなのだろうと思うと、それを尋ねる必要も、勇気もなくて、ただ彼の腕にそっと寄り添って、歩を合わせることしかできなかった。
夜の屋敷は主の帰りを諦めたかのように静まり返っていた。
ティナは部屋を抜け出すと、北の廊下へと向かって足を忍ばせた。その先にある窓から、ルヴェラン王城が見えることを知っていた。
窓枠に手をかけて、そっと夜空をのぞくように目線をあげた。煌々と灯りのともる王城は、いまだに宴が続いているようだった。
晩餐会には貴族の娘たちもこぞって参加していることだろう。もし、ラスが今夜戻らなかったら、その娘たちと過ごして……。ティナは思わぬ想像をしてしまい、落ち着かずに廊下を行ったり来たりした。
そうしているうちに、階下の方がざわつくのに気づいた。数人の足音と話し声。そこに混じる青年の声を、自分でも驚くほどに鋭く聞き分けたティナは、一目散に階段を駆けおりた。
「ラスフォード様っ」
エントランスにラスの姿を見つけるなり叫んでいた。マントや手袋を受け取るメイドたちが一斉に身を引く中、ラスはひどく驚いたようにこちらを見ていた。しかし、ティナが駆け寄ると、すぐさま眉をひそめた。
「……こんな時間まで起きていたのか?」
ティナは戸惑いながら、胸の前で指を結ぶ。
「あ、あの……おかえりなさいませ。今夜はお戻りにならないのかと心配で……」
「心配する必要は何もない」
「そうなのですけれど、晩餐会には美しい方たちがたくさんいらっしゃいますし……」
「何の心配だ」
あきれたような声に、ティナは耳まで赤く染めた。どうかしている。心配はそれだけではなかったのに、これでは、そればかり気にしていたみたいだ。
するとなぜか、ラスも目をそらして首筋をぬぐう。そして、咳払いするとメイドを見やる。
「マギーはどうした」
「旦那様が戻られたと聞いて、お部屋をあたために」
メイドのひとりがおずおずと申し出ると、ラスは「ああ……」と息をつく。
「マギーにはティナを最優先するよう話しておこう。近いうちに新しいメイドを雇うとするか……」
ぶつぶつとひとりごとを言いながら歩き出すラスは、不安そうにするティナを振り返り、手で招く。
「部屋まで送ろう」
ティナはパッと表情を明るくし、ラスの後ろについていく。
「あの……、晩餐会はどうでしたか?」
「カリスト公もセレスタイン嬢も、お元気であられたよ」
「話をされたの……?」
「あいさつ程度は」
素っ気なくラスは言うが、ティナがそわそわと様子をうかがうように彼の顔をのぞき込むと、不意に足を止めた。
「……そういえば、セレスタイン嬢からあなたに伝言を頼まれた。『マリスが帰ってきてほしいとさみしがっている。あなたの帰国を待ち望んでいる』と」
「マリスが……?」
最後に見たマリスの祈るような目が思い出された。もしかしたら、ティナを逃したことで、罰せられるのではと不安だった。よかった。マリスは無事だ。そう思うと同時に、何かの警告を発するような嫌な予感がぬぐえなかった。
「どうした?」
「あ……、いえ、マリスが本当にそんなことを言ったのですか?」
「そういう話だったが。何か気にかかるなら話してみろ」
ほんの少し青ざめた表情すら見逃さないラスに見つめられ、ティナは迷った挙句に息を吐き出す。
「……実は、屋敷から逃げ出すように最初に言い出したのは、マリスなんです。別れ際、マリスはもう二度と会えないことを覚悟した目をしていました。それなのに、さみしいから帰れなんて……」
そんな感情を優先して、マリスがわがままを言うはずがない。ティナがルヴェランで元気にしているとわかっているなら、むしろ、安堵しているはずだ。
「ならば、セレスタイン嬢が嘘を?」
気色ばむラスに、ティナはハッとする。
「いいえ。セレスは卑怯な子ではありません。もしかしたら……」
「なんだ?」
「……もしかしたら、あの子はマリスがそんなことを言わないとわかっていて、私に暗示を」
「つまり?」
もどかしそうにラスは間髪入れずに詰めてくる。
「帰ってくるな……という意味ではないでしょうか」
「戻れば、つかまる……ということか」
慎重な答えに、ラスは納得したようだった。
「セレバルの様子はお聞きになりましたか?」
「ああ。いまだ、亡き国王に従う勢力が力を持っているようだ。王太子はそれに対抗しているらしいが……」
「お父さまやセレスは大丈夫でしょうか?」
「……調べてみよう」
ラスは低くつぶやくと、不安に押しつぶされそうになっているティナの背中にそっと腕を回して歩き出す。
「悪い。不安にさせたようだ。……使節団の帰国は明後日。それまで、あなたは屋敷を出ないようにしなさい」
ラスの声は硬かった。廊下の奥を見つめる眼光は鋭く、彼を悩ませているのは明白だった。
どうしてこんなにも親身になってくれるの? ティナは尋ねたかったが、やはり、モンレヴァルの娘だからなのだろうと思うと、それを尋ねる必要も、勇気もなくて、ただ彼の腕にそっと寄り添って、歩を合わせることしかできなかった。