敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
***
大広間に足を踏み入れたときには、すでに会場内は招待客のざわめきに満ちていた。
和平調印後、セレバルの使節団が初めて──しかも王太子の名代として、レオニス・カリスト公爵とその娘、セレスタインがやってきている。
ラスはすぐに、レオニスとセレスの姿を探した。ティナからは何も伝言を預かっていないが、父親や妹の様子がどうであったか、彼女なら知りたいのではないかと思っていた。
すぐにレオニスの姿は見つかった。彼はゲレールと穏やかに談笑している。病にふせっていると聞いていたが、白髪まじりの髪や痩せ細った体からあふれる、大国であるセレバルの公爵としての威厳ある姿は堂々たるものだった。
ラスは目を左右に動かした。セレスの姿は見つからない。王妃陛下と会っているだろうか……。
会場をもう一度、ゆっくりと眺め見たあと、自身が令嬢たちの注目を集めているのに気づいて、ラスはバルコニーへと移動した。
晩餐会は初めてではない。マティアス陛下が後継に恵まれないとわかるや否や、貴族たちは次期国王に必ず影響を与えるゲレールに取り入るようになった。そのゲレールが可愛がる秘蔵っ子であるラスは、社交界で常に注目されていた。
爵位されあれば、娘を……。そんなふうに嘆く諸侯たちのうわさを何度耳にしたかわからない。ゲレールはいつも、陛下はいつでも爵位を与えると言っているが、虫除けには無爵がちょうどいいと笑い飛ばしていた。
ラスはふと、会場に現れた華やかな令嬢に気づいた。従えている近衛兵がまとうマントはセレバルのものだ。
「あれが、ティナの妹か……」
セレスがティナの実妹でないことは、ラスも知っていた。モンレヴァルの特徴である薄紫の瞳を持つ若い娘は、全土どこを探しても今はティナしかいない。妹の目色は薄紫ではない、とゲレールから聞いたときから、ティナの希少性は理解していた。
ルヴェランはティナを自由にはしないだろう。どこにいても、おそらく彼女は政争の具になる。穏やかに暮らせないのならいっそ、爵位ある男と結婚して、しかるべき地位に収まるしか、彼女が安全に暮らせる方法はないだろう。
「爵位か……」
ぽつりとこぼれた言葉に、自嘲めいた響きが混じったのを、ラスは自身でも気づいていた。
ラスは爵位に興味がなかった。そもそも、貴族の生き方そのものに関心を持てたことがない。しかし、大切なものを守るために地位が必要ならば、陛下がくだされる爵位を甘んじて受ける心づもりはあった。だが……、領地すら持たぬラスが、あまりある地位を得ようとすれば、当然のように周囲の反発を招くだろう。
「ラスフォード・エイルズ騎士団長でございますか?」
唐突な声に、ラスは肩越しに振り返る。にぎやかな会場から漏れ聞こえる音楽の音色をかき分けて、ひとりの若い令嬢がバルコニーに姿を現していた。
「……初めてお目にかかります、セレスタイン・カリストと申します」
月明かりに負けない濃い金色の髪、一見優しそうに見える丸い瞳の奥には、気強さを隠せないエメラルドグリーンの光がたたえていた。
あたりまえだが、ティナに似ていない。その立ち姿も話し方も。姉のティナには自然と感じた、ほっと息をつける柔らかさが、妹の彼女からはまったく感じられなかった。
「俺に何か?」
ラスの不遜な態度に、セレスは一度だけまばたきをした。驚いたようだ。まるで、公爵令嬢であり、次期王太子妃の自分にそっけない態度を取る男がこの世にいるとは思っていなかったようだ。
「貴族嫌い……というおうわさは本当なんですね」
高飛車な口調ではなかったが、セレスの言葉からは揶揄が感じられた。
「ずいぶんとはっきり言いますね」
「そんなうわさのある方が、公爵の娘であるお姉さまを匿ってると聞けば、特別な何かがあるのかしらと思うのは当然です」
いきなり、本題を突きつけてくる度胸の良さにラスは感心しながら、微動だにせずにいた。
臆したりしないセレスもまた、ラスの目をじっとのぞき込む。まるで、そこに動揺を見つけようとしたみたいに。しかし、何も見つけられないとわかると、わざとらしく小さな息をついた。
「あなたとお姉さまが一緒にいるところを見たという証言がたくさんあります。お姉さまは国外追放から逃れるため、雪の中、屋敷を飛び出し、和平会合で心を通わせた敵国の騎士と駆け落ちしたと……とんでもない醜聞を聞かされ、どれほどカリスト家が悩まされたか……」
「事実ではない」
ぴしゃりと断じると、セレスはほんの少し安心したような表情を見せた。彼女は、無爵の男とうわさになる姉を許せないのだろう。
「では……、ユリウス王太子殿下の名代として申し上げます。殿下は、お姉さまをこのたびの来訪で連れ帰るおつもりでした」
「だから、王太子自らが晩餐会の出席に応じたと?」
「そうです。殿下は、亡きヴェルナード国王陛下とは違い、和平推進の穏健派です。お姉さまの名誉回復を心より願っています」
「追放処分は間違っていたと認めるのだな?」
「少なくとも、殿下は」
セレスはそう強調した。ではいまだ、セレバルの王宮には亡き国王に迎合する者がいるのだろう。そのようなところへティナを返せば、ふたたび、彼女は危ない目に合う。
ラスが強く唇を結ぶと、まるで自らの存在感を誇示するかのように、セレスは仰々しいほどに広がるドレスの裾を揺らし、距離をさらに詰めてきた。
「我が国はいま、穏健派と軍部が対立しています。亡きヴェルナード国王陛下は和平条約締結には断固反対の姿勢を貫き、ルヴェランを支配するつもりでした。ユリウス王太子殿下はその過ちを繰り返さないよう、必死にそのお立場を守っておられます。お姉さまがセレバルに戻れば、殿下のお力を誇示することにもなるでしょう」
「……内乱に巻き込まないでくれ」
「あなただって、セレバルの民なのに」
セレスは嫌味のようにそう言った。その一言が、ラスの胸を刺す。セレバルの民などと名乗れる立場ではない──そう思ったことが、これまで何度あっただろう。ラスは不覚にもほおを引きつらせたが、すぐに冷静を取り戻す。
「話はそれだけか?」
そう尋ねると、セレスは細い指を一本、スッと持ちあげる。
「もう一つだけ、お願いがあります。……お姉さまは、お元気ですか? 乳母のマリスが帰ってきてほしいとさみしがっています。セレバルに戻るよう、姉を説得してください。ユリウス王太子殿下は悪いようにはなさりませんからと」
大広間に足を踏み入れたときには、すでに会場内は招待客のざわめきに満ちていた。
和平調印後、セレバルの使節団が初めて──しかも王太子の名代として、レオニス・カリスト公爵とその娘、セレスタインがやってきている。
ラスはすぐに、レオニスとセレスの姿を探した。ティナからは何も伝言を預かっていないが、父親や妹の様子がどうであったか、彼女なら知りたいのではないかと思っていた。
すぐにレオニスの姿は見つかった。彼はゲレールと穏やかに談笑している。病にふせっていると聞いていたが、白髪まじりの髪や痩せ細った体からあふれる、大国であるセレバルの公爵としての威厳ある姿は堂々たるものだった。
ラスは目を左右に動かした。セレスの姿は見つからない。王妃陛下と会っているだろうか……。
会場をもう一度、ゆっくりと眺め見たあと、自身が令嬢たちの注目を集めているのに気づいて、ラスはバルコニーへと移動した。
晩餐会は初めてではない。マティアス陛下が後継に恵まれないとわかるや否や、貴族たちは次期国王に必ず影響を与えるゲレールに取り入るようになった。そのゲレールが可愛がる秘蔵っ子であるラスは、社交界で常に注目されていた。
爵位されあれば、娘を……。そんなふうに嘆く諸侯たちのうわさを何度耳にしたかわからない。ゲレールはいつも、陛下はいつでも爵位を与えると言っているが、虫除けには無爵がちょうどいいと笑い飛ばしていた。
ラスはふと、会場に現れた華やかな令嬢に気づいた。従えている近衛兵がまとうマントはセレバルのものだ。
「あれが、ティナの妹か……」
セレスがティナの実妹でないことは、ラスも知っていた。モンレヴァルの特徴である薄紫の瞳を持つ若い娘は、全土どこを探しても今はティナしかいない。妹の目色は薄紫ではない、とゲレールから聞いたときから、ティナの希少性は理解していた。
ルヴェランはティナを自由にはしないだろう。どこにいても、おそらく彼女は政争の具になる。穏やかに暮らせないのならいっそ、爵位ある男と結婚して、しかるべき地位に収まるしか、彼女が安全に暮らせる方法はないだろう。
「爵位か……」
ぽつりとこぼれた言葉に、自嘲めいた響きが混じったのを、ラスは自身でも気づいていた。
ラスは爵位に興味がなかった。そもそも、貴族の生き方そのものに関心を持てたことがない。しかし、大切なものを守るために地位が必要ならば、陛下がくだされる爵位を甘んじて受ける心づもりはあった。だが……、領地すら持たぬラスが、あまりある地位を得ようとすれば、当然のように周囲の反発を招くだろう。
「ラスフォード・エイルズ騎士団長でございますか?」
唐突な声に、ラスは肩越しに振り返る。にぎやかな会場から漏れ聞こえる音楽の音色をかき分けて、ひとりの若い令嬢がバルコニーに姿を現していた。
「……初めてお目にかかります、セレスタイン・カリストと申します」
月明かりに負けない濃い金色の髪、一見優しそうに見える丸い瞳の奥には、気強さを隠せないエメラルドグリーンの光がたたえていた。
あたりまえだが、ティナに似ていない。その立ち姿も話し方も。姉のティナには自然と感じた、ほっと息をつける柔らかさが、妹の彼女からはまったく感じられなかった。
「俺に何か?」
ラスの不遜な態度に、セレスは一度だけまばたきをした。驚いたようだ。まるで、公爵令嬢であり、次期王太子妃の自分にそっけない態度を取る男がこの世にいるとは思っていなかったようだ。
「貴族嫌い……というおうわさは本当なんですね」
高飛車な口調ではなかったが、セレスの言葉からは揶揄が感じられた。
「ずいぶんとはっきり言いますね」
「そんなうわさのある方が、公爵の娘であるお姉さまを匿ってると聞けば、特別な何かがあるのかしらと思うのは当然です」
いきなり、本題を突きつけてくる度胸の良さにラスは感心しながら、微動だにせずにいた。
臆したりしないセレスもまた、ラスの目をじっとのぞき込む。まるで、そこに動揺を見つけようとしたみたいに。しかし、何も見つけられないとわかると、わざとらしく小さな息をついた。
「あなたとお姉さまが一緒にいるところを見たという証言がたくさんあります。お姉さまは国外追放から逃れるため、雪の中、屋敷を飛び出し、和平会合で心を通わせた敵国の騎士と駆け落ちしたと……とんでもない醜聞を聞かされ、どれほどカリスト家が悩まされたか……」
「事実ではない」
ぴしゃりと断じると、セレスはほんの少し安心したような表情を見せた。彼女は、無爵の男とうわさになる姉を許せないのだろう。
「では……、ユリウス王太子殿下の名代として申し上げます。殿下は、お姉さまをこのたびの来訪で連れ帰るおつもりでした」
「だから、王太子自らが晩餐会の出席に応じたと?」
「そうです。殿下は、亡きヴェルナード国王陛下とは違い、和平推進の穏健派です。お姉さまの名誉回復を心より願っています」
「追放処分は間違っていたと認めるのだな?」
「少なくとも、殿下は」
セレスはそう強調した。ではいまだ、セレバルの王宮には亡き国王に迎合する者がいるのだろう。そのようなところへティナを返せば、ふたたび、彼女は危ない目に合う。
ラスが強く唇を結ぶと、まるで自らの存在感を誇示するかのように、セレスは仰々しいほどに広がるドレスの裾を揺らし、距離をさらに詰めてきた。
「我が国はいま、穏健派と軍部が対立しています。亡きヴェルナード国王陛下は和平条約締結には断固反対の姿勢を貫き、ルヴェランを支配するつもりでした。ユリウス王太子殿下はその過ちを繰り返さないよう、必死にそのお立場を守っておられます。お姉さまがセレバルに戻れば、殿下のお力を誇示することにもなるでしょう」
「……内乱に巻き込まないでくれ」
「あなただって、セレバルの民なのに」
セレスは嫌味のようにそう言った。その一言が、ラスの胸を刺す。セレバルの民などと名乗れる立場ではない──そう思ったことが、これまで何度あっただろう。ラスは不覚にもほおを引きつらせたが、すぐに冷静を取り戻す。
「話はそれだけか?」
そう尋ねると、セレスは細い指を一本、スッと持ちあげる。
「もう一つだけ、お願いがあります。……お姉さまは、お元気ですか? 乳母のマリスが帰ってきてほしいとさみしがっています。セレバルに戻るよう、姉を説得してください。ユリウス王太子殿下は悪いようにはなさりませんからと」