敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
夜になるのが待ち遠しく、針を刺すティナの手は自然と早まった。セレバルから逃げてきた日に着ていたドレスをほどいて、アリアーヌの子どもたちのための服を縫っているが、子どもたちの笑顔とラスの精悍な姿が、脳裏へと交互に現れてやまない。
空が黄昏色に染まり始めると、手もとが見づらくなり、ふと顔をあげたとき、マギーが部屋を訪れた。
「ティナ様、ゲレール様がお会いになりたいとお越しになっています」
ゲレールとはアリアーヌの家で時折顔を合わせているが、ティナに会うために彼が屋敷を訪れるなど、初めてのことだった。
急いで髪を結ってもらい、支度を整えて階下へ降りると、エントランスの中央でラスと談笑するゲレールの姿が見えた。
「ティナ、閣下がお越しになった。どうしても、あなたの顔が見たいと仰せでね」
こちらに気づいたラスが声をかけてくる。彼はやや申し訳なさそうな顔を見せたが、ティナはにこやかにゲレールへ一礼する。
「お会いできて光栄です」
「うむ。晩餐会以降、お会いしておりませんでしたのでな、元気なお姿を拝見したかったのですよ」
「変わらず、穏やかに過ごさせていただいております。これも、モランシエ侯爵閣下のお気遣いとラスフォード様のおかげです」
丁寧に頭をさげると、ゲレールは満足そうにうなずく。
「それは何より。……では、私はラスフォードと少し話がありましてな。すぐに終わりますので、お気遣いなく」
ゲレールはそれだけを告げると、ラスとともに応接間へつながる廊下を歩いていく。
「ティナ様、暗くなってまいりましたから、お部屋へ戻りましょう」
ふたりの背中を見送るティナを、マギーがそっと促し、彼女は階段をのぼった。
それにしても、ゲレールがわざわざ顔を見に来るだけとはおかしくないだろうか。元気な様子を自分の目で確かめたいと、彼を揺り動かすほどの何かがあったのだろうか。だとすれば、セレバルの現状を調べてみると言っていたラスが、何か情報をつかんだのかもしれない。
胸騒ぎがして、部屋へ戻っても針仕事に手がつかなかった。ティナはろうそくを灯すマギーにそっと尋ねる。
「ラスフォード様のお話が終わられてから、一緒に夕食をいただきたいのですが」
「かしこまりました。ゲレール様がお帰りになりましたら、ラス様にこちらへお越しいただくようお声をかけますね」
「ありがとう、マギー」
マギーはそっと笑んで、一礼すると部屋を出ていった。
すっかり辺りが暗くなったころ、ふたたびマギーは部屋へやってきた。彼女が大きく扉を開くと、すっかり普段着に着替えたラスが奥から姿を見せる。
「話があると聞いてやってきた」
彼はマギーをさがらせると、椅子に腰をおろした。
じっと見つめられると、ティナは居心地の悪い気分になった。ラスはすでに、彼女が何を心配しているのか気づいていて、何も話す気はないと態度で示していた。
「あの……、モランシエ侯爵様とは何のお話を?」
ティナは素直に聞くしかできなかった。彼の前では小手先の会話は通用しそうにない。
「あなたが知る必要はない。穏やかに暮らしていると知って、ゲレール侯は安心していたよ」
「なぜ、安心するのですか? 何もなければ、心配もしないはずです」
つい、反抗的だとカタリーナに叱咤されるいつもの調子で、ティナは問いただしてしまった。当然、ラスは無愛想だった。
「たとえ、何かあったとしても、あなたが無事であればいい」
「私に……モンレヴァルとしての価値を感じているからですか?」
突き放すような言い方が我慢ならず、またしても、ティナは可愛げのない態度を取ってしまった。
だから、ラスは助けてくれたのではないのか。ルヴェランへ連れてきてくれたのではないか。こうして、何不自由ない暮らしを与えているのも。すべては、モンレヴァルの娘だからこそ。
「ゲレール侯は、そうだろう」
ラスがほんの少しまぶたを伏せるから、ティナはハッとした。彼の膝もとへ移動して、その大きな手にそっと触れた。途端に彼は、グッとこぶしに力を入れたが、こちらを見下ろす目はどこか頼りなかった。
「ラスフォード様は違うのですか? ……なぜ、私を守ってくださるの?」
「それは……」
ラスは、ティナの手を握り返す。唇をわずかに震わせたが、言葉は出ず、かわりに深いため息が漏れた。
何を期待したのだろう。自身がこの生活に居心地の良さを感じているように、彼も感じているとは限らないのに。