敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
***


 窓の外から聞こえる争うような話し声に気づいて、ティナは目を覚ました。そして、廊下からは急いで走るメイドらしき足音がする。ティナはすぐさまベッドを降りると、ローブを羽織って部屋を出た。

「ティナっ、何をやってるんだ。あなたは部屋にいればよい」

 奥からメイドとともに走ってきたラスが大声を張り上げる。彼も寝起きらしく、軽装だ。

「何かあったのですか? このような朝早くに」
「……客人だ。あなたは部屋にいなさい」

 冷静な声でラスはもう一度命じると、メイドを連れたまま階段を駆け降りていく。

 客人? それにしては何かおかしい。ティナはすぐさまラスのあとを追いかけた。

 エントランスに着くと、入り口の扉は開け放たれていた。雨が降りしきる中、フードをかぶった小柄な人物がラスに詰め寄っている。その様子を、困惑したライモンドとマギーが見守っている。

「わかっているんですよっ、あの子がここにいることはっ!」

 その叫ぶ声に、ティナはハッと息を飲んだ。ラスがなぜ部屋にいるように命じたのか、すぐにわかった。あの声は……しかし、なぜ彼女がルヴェランにいるのだろう。

 寒気がして、体を抱きしめた。彼女が怒る姿には慣れっこで、おびえることはなくなっていたのに、ラスが与えてくれていた平穏が壊されていくようで、とても怖い。

 後ずさりしたとき、フードを勢いよく外した人物がこちらを見た。鋭いまなざしがまっすぐに向けられる。そこに浮かぶ悪意が、ますます恐怖を抱かせる。そんな目を向けてくるのは、ただひとり……カタリーナしかいない。

「おまえがここにいると聞いて、まさかとは思ったが……」

 ラスが何やらマギーに話しかけた。するとすぐに彼女は駆けてきて、めまいを覚えたティナの背中を支えた。

「ティナ様、お部屋へ戻りましょう」

 カタリーナがこちらへやってこようとするのを、ラスが腕一本で制した。しかし、カタリーナは騒ぐのをやめなかった。

「セレスを……娘のセレスを守れるのは、ティナしかいないのですっ! ラビエール閣下はティナを連れかえれば許すとっ!」
「落ち着きなさい、カリスト公爵夫人」

 その厳しい声に、カタリーナの動きが一瞬止まった。何かをこらえるように唇を震わせ──張り詰めた糸が切れたように、その場へ崩れ落ちる。

「ティナ……、ティナ、私が悪かった。ティナ……だからどうか、助けておくれ……」

 震える手を重ね、小刻みに体を揺らして懇願するカタリーナに、ティナはマギーがとめるのを遮って近づいた。

「セレスに何があったのですか?」

 カタリーナはハッと顔をあげると、這いつくばって足もとまでやってくる。どうやってここまで来たのか。いつも美しく着飾っているカタリーナの手足は泥で汚れ、束ねた髪もひどいありさまだった。

「……ラビエール閣下はユリウス殿下と対立しているのです。亡き陛下が暗殺されたと……まことしやかにうそぶく一派がふたりの対立をあおり、セレスもそれを信じて一派の言いなりです。閣下はお怒りですが、ティナを連れかえれば、セレスだけでも許すと……」
「なぜ、私を?」
「モンレヴァルだからですよっ」

 なぜそれがわからないのか。そう言わないばかりに、カタリーナの目の奥にいら立ちが浮かぶ。

「だからといって……」
「あなたはセレバルに必要なのです。……ティナ、一緒にセレバルへ戻りますよ。閣下はすべて水に流すとお言いです。そもそも亡き陛下の判断が間違っていたと」

 本当……だろうか。和平交渉のときも、ドレイザル行きを告げたときも、冷酷なまなざしをしていたあのルシアンが、あやまちを認めたというのか。

「……できません」

 ティナはぽつりとつぶやいた。

「なんだって?」
「……できないと申し上げました。ラビエール閣下が私をお許しになるはずがありません。セレスだけを助けるというのなら、王太子やその側近たちはお許しにならないということ」
「だからなんだというのです」
「それを、セレスは納得するのですか?」
「何を言うかっ。……おまえは昔からセレスに意地悪ばかりする。いくら妹がすべてにおいて秀でてるからといって、命を奪われてもかまわないと申すかっ。おまえは本当にひどい娘だっ」

 ティナは思わず耳を覆った。カタリーナは何もわかっていない。王太子妃になると決めたセレスが、ユリウスを見捨てるはずがないというのに。

 唇をかむカタリーナが立ち上がると同時に、ラスが間に割って入ってくる。

 彼は冷ややかな目でカタリーナを見下ろしていた。ティナには見せる優しさも、照れ隠しの不機嫌も、全部幻だったかもしれない。そう思わせるほどに、冷徹な目で。

「あなたはそうやってティナを言いなりにしてきたのか」
「まさか。ティナは私の言うことなど少しも聞きやしない。強情で屁理屈ばかりの……」
「そんな話は聞きたくない。ここは崇高なる聖ルヴェラン騎士団団長、ラスフォード・エイルズの屋敷である。勝手な真似は許さない。お引き取り願おう」

 門兵がカタリーナの腕をつかむ。彼女はとっさにティナへと目を移す。

「ティナ……、ティナっ。セレスを助けておくれ。おまえに厳しくしたのは公爵家のため。厳しすぎたというなら謝ります。だから……」
「はやく連れていけっ」

 ラスの怒号とともに、門兵に引きずられるカタリーナがティナに向かって手を伸ばす。

「ティナっ! セレスを……あの子だけはどうか……っ」

 叫ぶカタリーナの目の前でバタンと扉が閉じる。ほどなくして、激しい雨音と馬のいななきとともに馬車が遠ざかる音がした。

「ティナ、大丈夫か? 公爵夫人のことは任せなさい。あの様子では、とてもまともに話せそうにない」

 ラスがいたわるように肩をなでてくれる。うなずくと、知らず知らずのうちに縮こまっていた心がほどけ、ティナの体からすっと力が抜けた。
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