敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
カタリーナのいないエントランスは静かで、外の雨音だけが遠くで続いている。あのような醜態をさらした義母を持つ自分に、ラスはすっかりあきれ返っているのではないか。
心配になってラスを見上げるが、すでに厳しい顔つきになっている彼は、「ゲレール侯を訪ねてくる」と言い残して階段を駆け上がっていった。
ティナは小さなため息をつくと、マギーとともに部屋へ戻った。すぐに別のメイドたちもやってきて、着替えをすませると、髪を結ってもらい、朝食にありついた。
いつもと変わらない生活が始まったというのにどうにも落ち着かない。
セレスからの手紙には、身の危険を知らせるようなものは何もなかった。しかし、結婚が正式に決まったという事実は、彼女の立場の優位性を示していた。
セレバルの王宮ではユリウスが優勢で、カリスト公爵も王太子側に着くことを明言したとあれば、ルシアンの怒りを買った可能性はある。
そのとき、胸の奥にふとよぎったのは、あり得ないと首を振りたくなるような予感だった。
「ラビエール閣下は……王の座を狙っているのかしら……」
しかし、それはじゅうぶんに考えられた。穏健派のユリウスよりも、ルシアンの方が亡きヴェルナード国王の統治に共感していたはず。和平交渉がうまくまとまったことで、穏健派が勢力を伸ばし、彼の立場が危うくなったとなれば、彼が生き残るために選ぶ道はひとつしかないからだ。
それにしても、セレスは大丈夫だろうか。カタリーナの取り乱しようを見れば、一刻も争う事態なのではないかと不安になる。
ティナはそわそわと暖炉の前を行ったり来たりした。三日に一度はアリアーヌの家を訪ねていた。今日はその日ではなかったが、子どもたちに会えば、少しは気がまぎれるかもしれない。思い立って、子どもたちに読み聞かせるための本を図書館へ探しに行こうとしたとき、ドアの向こうで声がした。
「失礼します。ティナ様へお手紙が届きました」
「どなたから?」
ここにティナがいることは公然の秘密で、手紙を寄越す人は限られている。とはいえ、今までに届いたのは、セレスからのものだけだった。
「セレスタイン・カリスト様からです」
「また……セレスが?」
ティナは驚いて、あわててドアを開けた。すると、メイドが手紙とともに長細い箱を差し出してくる。
「本日は、小包も一緒です。中身を確認いたしましたが、異常はございませんでしたので、お持ちしました」
「ありがとう。……何かしら」
荷物を受け取り、ティナは早速、テーブルへ運ぶと中を開いた。薄い紙に包まれたそれを持ち上げると、刺繍の施された布が出てきた。
それは、精密な刺繍で物語を織り込んだタペストリーのようだった。細い糸で描かれるのは、相対するふたりの少年。黒い髪の少年は長い剣を持ち、金の髪の少年は指先からメダルをさげている。その背後には、ふたりを見守る王冠をかぶった男がひとり……。
「これは……」
どこかで見たような絵柄だった。しかし、すぐには思い出せず、ティナはセレスの手紙を開いた。そこには、乱れた筆跡でこう書かれていた。
_______
お姉さまが私の手紙を受け取ったと使いの者から聞き、お母さまはこっそりと屋敷を出ていきました。どうやら、ルヴェランへ向かったようです。お姉さまに会いに行かれたのでは、と筆を取りました。
先日、お母さまはラビエール閣下と口論しておりました。閣下はよほど、私の婚約がお気に召さないのでしょう。
さて、同封いたしましたのは、伯爵家のローベルト・ハイン近衛隊長様からお借りしたタペストリーです。
『金の髪の少年が暴走するとき、黒の髪の少年を探せ。さすれば、野望は打ち砕かれん』
そのような言い伝えがあるもののようです。歴史あるものではないとハイン様は笑っておいででしたが、セレバルで一番の剣士とその息子たちを描いたものだとおっしゃっていました。
王冠の男は誰かに似ているとは思いませんか? 私には少々気にかかることがあり……。詳しくはお話しできませんが、どうぞ、お姉さまもお気をつけて。
_______
「誰かに似たセレバルで一番の剣士……」
ぽつりとつぶやき、刺繍にそっと指を這わせたとき、ティナはこちらへ向かってくる足音に気づいた。
「ティナ、入るぞ」
言うがはやいか、ドアが開く。ティナはタペストリーをつかんだまま、姿を見せたラスへと駆け寄る。
「ラスフォード様、ずいぶん濡れて……」
急いで馬を駆けてきたのだろう。ラスの漆黒の髪に手を伸ばし、そっと雨粒をはらうと、「濡れてしまうじゃないか」と彼はつぶやいて、ティナの手を優しく遮ると、濡れた髪をかきあげた。
「モランシエ侯爵様はどうでしたか?」
風邪をひいてしまわないか心配で、暖炉の前へラスを案内しながら尋ねた。
「ちょうど、関所で公爵夫人の対応をしていたよ。どうやら、入国時はカリスト公に発布された入国許可証を持っていたようだ。取り乱してはいたが、そのままセレバルへお戻りいただいた。騎士団員に見張らせているが、まず、心配ないだろう」
「そうですか……。セレスのこととなると、昔から見境のない方でしたから……」
まぶたを伏せると、ラスはなぐさめるようにそっとティナの肩に触れ、手もとをのぞく。
「それは?」
「あっ、……先ほど、セレスから届いたタペストリーです。見てもらえますか?」
ラスの目の前で広げてみせると、彼は首をかしげた。
「……これは?」
「お気づきになりませんか? 『悲しみと赦しの王子』の絵本の表紙にとてもよく似ていますよね」
「ああ、あの……セルヴァランの古書か」
ラスは、ティナがアリアーヌの家でよく子どもたちに読み聞かせている本だと気づいたようにうなずいた。
「はい。でも、これは違うと思います」
「違うとは?」
「この王冠を被る人物を見てください。これはあくまでも、悲しみと赦しの王子を模したタペストリーだと思います。背景に描かれている王が、亡きヴェルナード国王陛下に似ているとは思いませんか?」
「言われてみれば……そうか」
「はい。お若いころの王に似ています。しかしながら、セレスによれば、この王はセレバルで一番の剣士。そして、少年たちは王の子息だというのです」
ラスは小さく息を飲む。
「ラスフォード様はご存知だったのではありませんか? セレバル一の剣士が誰かを」
「ティナ……」
動揺にゆれる彼の瞳を、ティナは見過ごさず、たたみかけるように言った。
「悲しみと赦しの王子に出てくる少年ふたりは、王の隠し子です。もし、このタペストリーがそれを暗示しているなら、ヴェルナード陛下には、ふたりの隠し子がいるのではないでしょうか」
「ふたり……」
「はい。私は、国王に忠実な金色の髪の男を知っています」
そうはっきりと伝えたときには、ティナは確信していた。そうであれば、すべての辻褄が合う。そして、タペストリーに描かれた金の髪の少年が持つメダルをそっとなでる。
「ラビエール閣下はお持ちなのかもしれません。ヴェルナード国王の子である証明となるメダルを」
ラスの眉間が深く寄る。その沈黙が、ティナには不安でたまらない。
「もし、ユリウス王太子の身に万が一のことがあれば、ラビエール閣下はそのメダルをもって、王位継承を望むでしょう。私をセレバルに戻し、モンレヴァルの後ろ盾を得れば、もう誰も止められないとお考えかと」
それは決して的外れではないはずだ。
タペストリーをじっと見つめるラスの視線の先を、ティナも見つめる。そこにあるのは、剣を持つひとりの黒髪の少年──。
「ラビエール閣下の野望を打ち砕くのは、黒髪の少年だそうです。ラスフォード様、お願いがあります」
「……なんだ、願いとは」
「私とともにセレバルへ行ってはくれませんか? 私たちは、ユリウス王太子殿下に会わなければなりません」
ラスからの返事はなく、長いため息だけが漏れた。自分は間違っているかもしれない。ティナの胸は、不安で押しつぶされそうだった。
心配になってラスを見上げるが、すでに厳しい顔つきになっている彼は、「ゲレール侯を訪ねてくる」と言い残して階段を駆け上がっていった。
ティナは小さなため息をつくと、マギーとともに部屋へ戻った。すぐに別のメイドたちもやってきて、着替えをすませると、髪を結ってもらい、朝食にありついた。
いつもと変わらない生活が始まったというのにどうにも落ち着かない。
セレスからの手紙には、身の危険を知らせるようなものは何もなかった。しかし、結婚が正式に決まったという事実は、彼女の立場の優位性を示していた。
セレバルの王宮ではユリウスが優勢で、カリスト公爵も王太子側に着くことを明言したとあれば、ルシアンの怒りを買った可能性はある。
そのとき、胸の奥にふとよぎったのは、あり得ないと首を振りたくなるような予感だった。
「ラビエール閣下は……王の座を狙っているのかしら……」
しかし、それはじゅうぶんに考えられた。穏健派のユリウスよりも、ルシアンの方が亡きヴェルナード国王の統治に共感していたはず。和平交渉がうまくまとまったことで、穏健派が勢力を伸ばし、彼の立場が危うくなったとなれば、彼が生き残るために選ぶ道はひとつしかないからだ。
それにしても、セレスは大丈夫だろうか。カタリーナの取り乱しようを見れば、一刻も争う事態なのではないかと不安になる。
ティナはそわそわと暖炉の前を行ったり来たりした。三日に一度はアリアーヌの家を訪ねていた。今日はその日ではなかったが、子どもたちに会えば、少しは気がまぎれるかもしれない。思い立って、子どもたちに読み聞かせるための本を図書館へ探しに行こうとしたとき、ドアの向こうで声がした。
「失礼します。ティナ様へお手紙が届きました」
「どなたから?」
ここにティナがいることは公然の秘密で、手紙を寄越す人は限られている。とはいえ、今までに届いたのは、セレスからのものだけだった。
「セレスタイン・カリスト様からです」
「また……セレスが?」
ティナは驚いて、あわててドアを開けた。すると、メイドが手紙とともに長細い箱を差し出してくる。
「本日は、小包も一緒です。中身を確認いたしましたが、異常はございませんでしたので、お持ちしました」
「ありがとう。……何かしら」
荷物を受け取り、ティナは早速、テーブルへ運ぶと中を開いた。薄い紙に包まれたそれを持ち上げると、刺繍の施された布が出てきた。
それは、精密な刺繍で物語を織り込んだタペストリーのようだった。細い糸で描かれるのは、相対するふたりの少年。黒い髪の少年は長い剣を持ち、金の髪の少年は指先からメダルをさげている。その背後には、ふたりを見守る王冠をかぶった男がひとり……。
「これは……」
どこかで見たような絵柄だった。しかし、すぐには思い出せず、ティナはセレスの手紙を開いた。そこには、乱れた筆跡でこう書かれていた。
_______
お姉さまが私の手紙を受け取ったと使いの者から聞き、お母さまはこっそりと屋敷を出ていきました。どうやら、ルヴェランへ向かったようです。お姉さまに会いに行かれたのでは、と筆を取りました。
先日、お母さまはラビエール閣下と口論しておりました。閣下はよほど、私の婚約がお気に召さないのでしょう。
さて、同封いたしましたのは、伯爵家のローベルト・ハイン近衛隊長様からお借りしたタペストリーです。
『金の髪の少年が暴走するとき、黒の髪の少年を探せ。さすれば、野望は打ち砕かれん』
そのような言い伝えがあるもののようです。歴史あるものではないとハイン様は笑っておいででしたが、セレバルで一番の剣士とその息子たちを描いたものだとおっしゃっていました。
王冠の男は誰かに似ているとは思いませんか? 私には少々気にかかることがあり……。詳しくはお話しできませんが、どうぞ、お姉さまもお気をつけて。
_______
「誰かに似たセレバルで一番の剣士……」
ぽつりとつぶやき、刺繍にそっと指を這わせたとき、ティナはこちらへ向かってくる足音に気づいた。
「ティナ、入るぞ」
言うがはやいか、ドアが開く。ティナはタペストリーをつかんだまま、姿を見せたラスへと駆け寄る。
「ラスフォード様、ずいぶん濡れて……」
急いで馬を駆けてきたのだろう。ラスの漆黒の髪に手を伸ばし、そっと雨粒をはらうと、「濡れてしまうじゃないか」と彼はつぶやいて、ティナの手を優しく遮ると、濡れた髪をかきあげた。
「モランシエ侯爵様はどうでしたか?」
風邪をひいてしまわないか心配で、暖炉の前へラスを案内しながら尋ねた。
「ちょうど、関所で公爵夫人の対応をしていたよ。どうやら、入国時はカリスト公に発布された入国許可証を持っていたようだ。取り乱してはいたが、そのままセレバルへお戻りいただいた。騎士団員に見張らせているが、まず、心配ないだろう」
「そうですか……。セレスのこととなると、昔から見境のない方でしたから……」
まぶたを伏せると、ラスはなぐさめるようにそっとティナの肩に触れ、手もとをのぞく。
「それは?」
「あっ、……先ほど、セレスから届いたタペストリーです。見てもらえますか?」
ラスの目の前で広げてみせると、彼は首をかしげた。
「……これは?」
「お気づきになりませんか? 『悲しみと赦しの王子』の絵本の表紙にとてもよく似ていますよね」
「ああ、あの……セルヴァランの古書か」
ラスは、ティナがアリアーヌの家でよく子どもたちに読み聞かせている本だと気づいたようにうなずいた。
「はい。でも、これは違うと思います」
「違うとは?」
「この王冠を被る人物を見てください。これはあくまでも、悲しみと赦しの王子を模したタペストリーだと思います。背景に描かれている王が、亡きヴェルナード国王陛下に似ているとは思いませんか?」
「言われてみれば……そうか」
「はい。お若いころの王に似ています。しかしながら、セレスによれば、この王はセレバルで一番の剣士。そして、少年たちは王の子息だというのです」
ラスは小さく息を飲む。
「ラスフォード様はご存知だったのではありませんか? セレバル一の剣士が誰かを」
「ティナ……」
動揺にゆれる彼の瞳を、ティナは見過ごさず、たたみかけるように言った。
「悲しみと赦しの王子に出てくる少年ふたりは、王の隠し子です。もし、このタペストリーがそれを暗示しているなら、ヴェルナード陛下には、ふたりの隠し子がいるのではないでしょうか」
「ふたり……」
「はい。私は、国王に忠実な金色の髪の男を知っています」
そうはっきりと伝えたときには、ティナは確信していた。そうであれば、すべての辻褄が合う。そして、タペストリーに描かれた金の髪の少年が持つメダルをそっとなでる。
「ラビエール閣下はお持ちなのかもしれません。ヴェルナード国王の子である証明となるメダルを」
ラスの眉間が深く寄る。その沈黙が、ティナには不安でたまらない。
「もし、ユリウス王太子の身に万が一のことがあれば、ラビエール閣下はそのメダルをもって、王位継承を望むでしょう。私をセレバルに戻し、モンレヴァルの後ろ盾を得れば、もう誰も止められないとお考えかと」
それは決して的外れではないはずだ。
タペストリーをじっと見つめるラスの視線の先を、ティナも見つめる。そこにあるのは、剣を持つひとりの黒髪の少年──。
「ラビエール閣下の野望を打ち砕くのは、黒髪の少年だそうです。ラスフォード様、お願いがあります」
「……なんだ、願いとは」
「私とともにセレバルへ行ってはくれませんか? 私たちは、ユリウス王太子殿下に会わなければなりません」
ラスからの返事はなく、長いため息だけが漏れた。自分は間違っているかもしれない。ティナの胸は、不安で押しつぶされそうだった。