『堕ちて、恋して、壊れてく。』 ―この世界で、信じられるのは「愛」だけだった。

新たな影、近づく脅威



――「ねぇ、のあ。あんたって……、本当に幸せ?」

声がした。
後ろから、耳元にふわっとかかるような。
優しいのに、どこか冷たくて、毒みたいな甘さを含んだ声。

振り返ると、そこには――彩芽。

「……彩芽?」

廊下の端、誰もいない放課後の校舎。
わたしは天音と別れたあと、屋上から教室に戻る途中だった。
誰もいないはずのその場所に、なぜか彼女がいて。
こっちを見て、笑っていた。

「ねぇ。さっき、屋上いたよね? 誰と話してたの?」

「……ただの家族だよ。弟」

「あはっ、そっか。弟くんと、ね」

彩芽の笑顔は、まるで氷のように静かで、ひび割れそうなほど薄かった。
それでも、視線はわたしをじっと見つめて、決して離さなかった。

「のあって、いっつもみんなに愛されてて、羨ましいな〜って思ってたんだよね」
「彼氏も、親友も、家族も……全部味方でさ」

「……羨ましがるようなことじゃないよ」
「そんなに完璧でもないし、わたし。むしろ、最近はずっと怖い」

わたしが言うと、彩芽はふっと小さく笑った。
まるでそれすらも見透かしていたかのように。

「知ってるよ、のあ。あんたの完璧な日常が、少しずつ崩れてるの――」

そして彼女は、ささやくように言った。

「これからもっと、壊れるよ?」

言葉に凍りついた。
その笑顔が、あまりに自然すぎて、だからこそ不気味で。
わたしは言葉を失ったまま、彩芽の横を通り過ぎるしかなかった。

けれど、すれ違いざまに。

「――好きだったんだよ、わたし。ずっと」

その言葉が、心に刺さって離れなかった。

***

その夜、れんからのLINEは、やけに短かった。

ごめん。今日は少し、電話できそうにない
明日、会えたら話す

どこか様子がおかしい。
ここ最近、少しずつ会話が減ってる気がしてた。

「……嫌な予感がする」

ベッドに寝転びながら、スマホを握ったまま、つぶやいた。

隣の部屋からは、弟・天音のギターの音がかすかに聞こえる。
あの夜のこと……屋上で触れたあの温度は、まだ身体に残っていた。

でも、だからこそ――恋の温もりが、急に遠く感じる。

「れん……」

誰かに甘えたくて、でも誰にも言えなくて。
わたしはただ、部屋の天井を見つめながら、心を沈めるしかなかった。

***

翌日。教室に入ると、妙な空気が漂っていた。

「……なんか、知ってる?」

ゆあが、小声で話しかけてきた。

「え?」

「さっき見たんだけど……掲示板に、あんたの噂、また貼られてた」

「え……?」

心臓が跳ねた。
まさかと思って、すぐに廊下の掲示板へ向かう。

そして、見つけた。

《白咲のあ、彼氏の裏で弟と密会? 禁断の屋上での夜――》

そこには、まるで盗撮されたかのような写真。
屋上で天音と見つめ合っていたあの瞬間が、切り取られていた。

「なにこれ……誰が……」

呆然としていると、後ろから笑い声が聞こえた。

「え、ほんとに弟? やばくない?」

「でも、あの子って前からちょっとビッチっぽいとこあったよね」

「ギャルってそういうとこあるじゃん。欲求不満なんじゃね?」

あたしは、言葉も出せずにその場を動けなくなった。
足が震えて、心臓が冷えていく。

「のあ!」

駆け寄ってきたのは、ゆあだった。
すぐにあたしの腕を掴んで、掲示板の前から引き離してくれた。

「大丈夫? のあ……っ!」

「……ゆあ、あたし……」

「誰がやったか、必ず突き止める。あんたは悪くない」

涙が溢れそうになる。

だけど、そのとき。――

「それ、あたしが見つけたの。先生に言っといたほうがいいかなって」

その声に、背筋が凍った。

振り返ると、そこには……彩芽。
何事もなかったような顔で、手にスマホを持って笑っていた。

「いやなこと、されるのってムカつくもんね?」

ゆあと顔を見合わせた。
彼女が“誰よりも早く気づいて”“誰よりも冷静で”“誰よりも近くにいる”――それが、怖かった。

「彩芽、あんた……」

「わたしが犯人だなんて、思ってる? ひど〜い」
「……でも、もしそうだったら。どうする?」

ふわりと笑って、彩芽はその場を離れていった。
靴音だけが、教室の床に冷たく響いた。

***

夕方。

あの騒ぎのあと、何もなかったように帰宅したけど、心は全然落ち着かなかった。
家のリビングでスマホを見ていると、知らない番号から通知が入る。

【非通知着信】

「……え?」

恐る恐る出ると、無言。

「……もしもし?」

すると、ガサガサというノイズのあと――

「のあちゃん。屋上のこと、みんな知ってるよ?」

耳元で、低い男の声。

「もっといい写真、あるけど……欲しい?」

ブチッ――

わたしはすぐに電話を切った。
呼吸ができない。心臓が、掴まれてるみたいに苦しい。

「やばい……誰かに、狙われてる」

震える指でスマホを握りしめながら、思わず口に出していた。

けど、そのとき。

「のあ。どうした、震えてる」

天音が、突然部屋に入ってきた。

その顔が、いつもより真剣で。
あたしを見つめる瞳が、まっすぐだった。

「……なにがあった?」

何も言えなかった。
でも、気づいたら、天音の胸に顔を埋めてた。

「……助けて、天音」

抱きしめられたその腕だけが、今のわたしの唯一の居場所だった。
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