『堕ちて、恋して、壊れてく。』 ―この世界で、信じられるのは「愛」だけだった。
『炎上のはじまり、嘘と真実』
天音の胸に顔を埋めて、呼吸を整える。
あたしは今、崩れそうな自分を、必死に支えている。
だけど。
それでも。
「誰かが……あたしを壊そうとしてる……」
その事実だけが、脳の奥で警鐘みたいに鳴り響いていた。
「……何があったんだよ、のあ」
天音の声は、思ったよりも冷静で。
でも、その奥にある怒りは、抑えきれていないように感じた。
「……盗撮されてた、あの屋上の……あの夜の」
そう言うと、天音は一瞬だけ、表情を凍らせた。
「写真が、拡散されてるの。校内掲示板に……SNSにも、たぶん」
スマホを見せる。
ネット掲示板には、“校内ギャルが弟とイチャつく”なんて最低なスレッドが立てられていて、心ないコメントが並んでいた。
『マジで弟って草』
『兄貴も泣いてるぞ』
『淫乱ギャルは家族で満たすらしい』
『これガチっぽくね?動画も来てたし』
「……動画?」
ゾッとする。
あたしは、屋上でキスはしてない。
けど――天音の顔が近づいた“あの距離”を、別の視点から切り取られたら……
「見せろ」
天音がスマホを手に取って、無言でスクロールする。
「……ふざけてんな」
その低い声に、あたしの背中が震えた。
「誰がこんなことを――」
「多分……彩芽、だと思う」
わたしの口から、自然と名前が出た。
「“だったら、どうする?”って、言われたの」
「……あの女」
天音の指がスマホをぎゅっと握り締める。
「黙ってる気ないから。……俺が、全部潰す」
「やめて、天音。暴力で解決しようとしても――」
「違う。暴力じゃない。“こいつら”の居場所、全部暴いてやる。
ネットに晒すって、どういうことか教えてやるよ」
天音の目は、完全にスイッチが入ってた。
あの弟の顔じゃない。
まるで、冷酷な復讐者みたいに。
「……天音、ほんとに無理だけはしないで」
「お前が傷ついてる方が、よっぽど無理」
その一言に、心臓が跳ねた。
今、あたしが支えられてるのは――
れんじゃない。
天音なんだ。
***
翌朝、学校に行くと空気が変わっていた。
ざわめきと、視線と、ひそひそ声。
みんな、わたしを見て笑ってるか、哀れんでるかのどちらか。
「……めんど、くさ」
わたしの後ろからついてくるゆあが、イラついた声を出す。
「晒したやつが悪いのに、なんであんたが叩かれてんの?おかしすぎ」
「……ありがと。ゆあがいてくれて、よかった」
「バカ。わたしは親友でしょ?」
ニッと笑って、わたしの背中を押してくれた。
だけどそのとき、またLINE通知。
知ってるよ
君が弟と“やってた”ってことも
送信者は【非通知トーク】。
既読をつけた瞬間、別のメッセージが一気に送られてくる。
動画、送って欲しいってやつ多いんだよね
ちょっとだけ、拡散してもいい?
君がちゃんと「お願い」してくれたら、考えてあげてもいいけど
「……最低……」
思わずスマホを閉じた。
教室のドアの前で立ち尽くしてると――
「おはよう」
目の前に、れんが現れた。
「……あ、れん……」
「……ちょっと、話そうか。屋上、来て」
その声は、いつもの彼の甘い声じゃなかった。
冷たくて、張り詰めてて、どこか突き放すような。
わたしは無言でうなずいて、れんの後を追った。
***
屋上。
風が強くて、スカートの裾が揺れる。
れんは背を向けたまま、フェンスに寄りかかっていた。
「……のあ、俺さ。信じたいんだよ、お前のこと」
「……うん」
「でも、写真……見た。動画も、出回ってる」
「れん、違うの。あれはただ――」
「天音と、キスしてた?」
一瞬、言葉が詰まった。
「してない、してないけど……近くにはいた」
「……“ただ近くにいた”って距離じゃなかった。正直、俺、吐きそうだった」
れんの声が震えていた。
「言えよ、のあ。なんで……弟なんだよ。なんで、俺じゃないんだよ」
「違うの……!」
言葉にしようとしたけど、上手く出てこない。
確かに、天音と屋上にいた。
確かに、触れられた。
でも、あれは恋じゃなくて、ただの“支え”だったはずなのに。
「わたし……崩れそうで。誰にも言えなくて、れんにさえも……」
「俺は? 俺は、なんのためにいるんだよ」
れんが、拳を握りしめる。
「信じたいって思ってた。でも、のあ、何も言ってくれない。
昨日のことも、何も」
「……言いたかった。でも、嫌われたくなくて……」
「じゃあ、俺以外を選んだんだな」
れんのその言葉に、全身の血が凍る。
「待って……違う、そうじゃない……」
「もういい」
そう言って、れんはドアの方へ歩き出す。
「……れん!」
追いかけようとした瞬間――
「しばらく……距離、置こう」
その言葉だけを残して、彼は屋上を出ていった。
風の音だけが、やけに冷たく吹き抜けていく。
「……れん、やだ……離れないで……」
崩れそうな足で、フェンスに手をついて、わたしはその場に崩れ落ちた。
まるで、全部の支えが消えていくように感じて。
***
その日の夜。
天音がリビングであたしを待っていた。
「……どうだった」
「……れんと、距離置くことになった」
そう言った瞬間、天音の目が鋭くなる。
「ふざけてんのか。お前、あんなやつのために――」
「……違う。わたしが、悪いの。
信じてくれって言えなかった。……全部、怖くて」
その言葉に、天音は深く息をついた。
「じゃあ、もう俺が守る。遠慮すんな。
兄貴とか親とかじゃなく、俺がいる。……俺じゃダメか?」
天音の瞳は真っ直ぐだった。
だけど、その言葉はあまりにも――優しくて、そして重くて。
「……そんなの、反則じゃん……」
わたしは、天音の腕の中で泣いた。
もう、何も残ってないみたいに。
恋も、信頼も、友達も、すべて奪われていくみたいで。
だけど、ただひとつ。
この腕の中だけが、まだあったかい。