『堕ちて、恋して、壊れてく。』 ―この世界で、信じられるのは「愛」だけだった。

第20話『すれ違う心と、ひとつのキス』

目が覚めたのは、天音の部屋だった。

ふと隣を見れば、ソファで丸まって寝ている天音の姿。
静かな寝息。薄くかかった毛布。
きっと、あたしが泣き疲れて眠ったあとも、彼はずっとそばにいてくれたんだろう。

(天音……)

もう、ただの“弟”じゃいられない。
昨日そう思った。
それでも、あたしの中にはれんへの想いも、確かにある。

(あたし……どうしたら……)

そのまま布団をめくって立ち上がり、静かにドアを開ける。
だけど。

「……姉貴?」

寝ていたはずの天音が、低い声で呼び止めた。

「ごめん、起こしちゃった?」

「いや……寝たふりしてただけ。
姉貴の顔、ちゃんと見てた」

「っ……もう、そういうのやめてよ。
恥ずかしいんだけど」

「なんで?お前が泣いた顔、
俺にとっては一番、大事な“本音”なんだけど」

「天音……」

「今日も、学校行くのか?」

「うん……逃げたくない。あたし、ちゃんと立ち向かうよ」

「……そっか」

天音はそれ以上、何も言わずに頷いた。
でも、その目はあたしの背中をじっと見つめていた。

まるで、“今の俺じゃダメだ”って、
何度も自分に言い聞かせているみたいに。

***

登校した瞬間、空気はさらに冷たくなっていた。

ロッカーには、落書き。
机には、赤いマジックで書かれた言葉。

《売女》《ヤリマン》《偽善者》《消えろ》

(……また、増えてる)

まるで、全員がグルになって、あたしを壊そうとしてるみたいだった。

でも。

「……おはよ、のあ」

唯愛(ゆあ)は、いつも通り笑って声をかけてきた。

あの裏切りの微笑みを、そのままに。

「ねぇ、昨日れんと会った?
あいつさ、最近冷たくない?まさか飽きられたんじゃないの?」

「……ううん、関係ない。
れんは、そんな人じゃない」

「そっかぁ?
でも、男なんて信じすぎるとバカ見るよ?
特に、“みんなのれん”を取った女にはさ」

(……やっぱり)

この子はもう、親友じゃない。
こんな毒を毎日、毎時間、心に注がれていたら、
あたし、壊れてしまう。

でも、あたしには――

(れんがいる。天音もいる。わたしは、負けない)

***

放課後。
誰よりも早く教室を出て、れんの待つ校舎裏へ向かった。

そこは、ふたりでいつもキスをした場所。
小さな木陰と、自販機の音だけが響く静かなスペース。

れんは、壁にもたれて、煙草をくわえていた(もちろん火はつけてない)。

「のあ……来たか」

「……会いたかった」

「俺も。
でも、最近……お前とどう接していいか、分かんなくなってた」

「……なんで?」

「お前を守りたい。
でも、俺はお前を“守れる強さ”がないんじゃないかって、最近思い始めた」

「れん……」

「動画流されたのも、お前が狙われてるのも、
全部俺のせいじゃねぇかって……」

「ちがうよ」

あたしはれんに歩み寄って、その胸に手を置いた。

「あたしが信じてるのは、れん。
あの夜も、今も、これからも。
あたしを“女の子”として、大切にしてくれたのは、れんだけだった」

「……のあ」

そのまま、唇が重なる。

優しいキスじゃなかった。
震えながら、怒りや悲しみや、すれ違いを全部ぶつけ合うような、
少し乱暴なキスだった。

でも、それでも。

「……れん、大好き」

「俺も。絶対、離さねぇから」

彼の言葉に、涙がこぼれた。

(でも……)

胸の奥に、天音のあたたかい手の感触がよぎった。

(あたし……最低だ)

***

夜。
部屋に戻って、鏡の前で自分を見つめた。

唇が少し腫れてる。
制服のボタンがずれてる。
自分が、まるで別の人みたいに見えた。

そこに、ピロン、と通知が届いた。

《新しい動画が投稿されました》

リンクを開くと、また、あの“あたし”だった。

今度は――
れんと校舎裏で、抱き合ってる動画。
キスの音、息遣いまで、克明に録音されていた。

(嘘……また……)

《売女再来w》《学校でやるとか草》《親に言えよ誰か》

“あたし”は、誰かに狙われてる。

これはもう、偶然じゃない。

(こんなタイミングで……まさか)

スマホを震わせながら、もうひとつの名前が頭をよぎった。

――天音。

まさか、彼も……?

でも、天音がそんなことをする理由なんて――ない。
あたしを守ってくれた。信じてくれた。
毎日、傍にいてくれた。

でも、彼はあの日――
あたしに“キスをしようとした”。

もしあれが、ほんの少しでも、
“誰かを壊してでも欲しい”っていう衝動だったら。

(あたし、どうすればいいの……?)

夜の闇が、何もかもをのみこんでいく。

“信じたい人たち”が、
すこしずつ、あたしを追い詰めていく。

そして、明日――
誰の元へ向かえばいいのかすら、分からなくなっていた。
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