放課後、先生との秘密
56話 先生side
先生side______
部活を抜けて猛特訓の勉強会を開くため葵を迎えに廊下を歩いていたら葵の声が聞こえた。
葵
「まじでやめて先生に見られたら…」
…は?どういうことだよそれ。
何してんだよ俺のいない所で。
声だけしか聞こえねぇけど浮気だろこれ。
その数秒後に葵の叫び声と机が倒れる音が聞こえた。
無意識に早足で歩いている事に気がつく。
怖い。
葵が浮気なんてするはずないのに。
なんか嫌な予感がする。
教室に着いたら、尻もちをついたレトと顔真っ青にした葵がいた。
なんだよこの状況は。
どう見たって浮気じゃねぇか。
先生
「なにしてんの。」
無意識にレト見下すかのように口から溢れ出ていた。
いやほんと何してんの二人で。
頭の中を駆け巡るのは、さっき廊下で聞いた「先生に見られたら」という声。
俺に見られたらまずいことをしていた。
そう認めざるえない事実が増々葵を疑ってしまう。
先生
「何この状況…全然笑えねぇんだけど」
葵
「せ、先生違うのえっと…いや」
葵が言い訳じみたことを言ってきた。
レトを庇ってるみたいで、今余裕のない俺からしたらとんでもなくムカつく。
さっさと何でこうなった言えよ。
先生
「葵になんかした?」
「じゃねぇと突き飛ばしたりしねぇだろ」
「なぁ…答えろって」
怯えてるレトを責めるしか今は頭が働かない。
1歩間違えれば教員免許剥奪だ。
レト
「…せんせっ…あの」
お前から先生って呼ばれる筋合いはねぇんだ。
さっさと言え。
俺の葵に何したんだよ。
俺がこんな態度だから言い出せないのか?
油断させてみる?
先生
「あははごめん怖い顔してたな…怒んないから言ってみ?」
1歩ずつ距離を詰めていく。
その怯えた表情が、自分のした行為に後ろめたさを感じている証拠だ。
最悪だわほんとに。
レトが冷汗をかきながら、おどおどと口を開く。
レト
「……っ、いや……あの…支えようとして……」
先生
「ふーん、支えようとして?」
肩に置いた自分の指先から、嫌でも力が入っていくのが分かった。ギチ、と骨が鳴るほどの力を込めて、今すぐこいつを殴り飛ばしてやりたい衝動を必死で抑え込む。
教師免許? クビ?
そんなもんどうでもよくなるくらい、目の前で俺の女に触れた男が許せなかった。
レト
「……、痛っ!!」
先生
「そんなんで突き飛ばされるわけないよな?」
静かに低く追い詰めたその時、葵の声が教室に高く響いた。
葵
「あ、あたしが悪いの…だからやめて!!」
……は?
葵が、俺の前で、そいつを庇う?
なんなんだよ、それ。
俺に見られたらまずいことしてたからか?
俺に知られたくない秘密が二人の中にあるからか?
もう怒りとかそういう次元じゃない。胸の奥が冷たく冷えきって、自分の感情の制御が利かなくなっていくのが分かった。
ゆっくりと葵の方へ体を向ける。
先生
「……ああ、そう葵が悪いの」
俺はレトを帰らせた。
同じ空間にいたくなかったし、なにより葵がレトを庇う姿ももう見たくない。
二度と俺の女に近ずくな。
机に腰掛け、大きくため息をつく。自分の手が微かに震えている。
先生
「で…どうして突き飛ばした?」
葵
「いっぱいいっぱいになってて……」
先生
「でもそれが突き飛ばす理由にはならねぇよな?」
葵の答えは逃げ腰で、何かを必死に隠そうとしているのが丸わかりだった。
その態度が余計に最悪の想像をさせる。
ゆっくり葵に近づき、逃がさないように両腕を掴んで目線を合わせた。
その瞬間、鼻先をかすめた香りに、全身の血が巻き戻るような衝撃が走った。
「……ッ」
……男の匂いだ。
レトの匂いが、葵の服から、髪から、強烈に匂い立っている。
先生
「お、お前…レトの匂いするんだけど」
自分の声が信じられないくらい情けなく震えていた。
葵の体が、俺の手の中で石みたいに硬直する。それが何よりの正解だと物語っていた。
先生
「訳わかんねぇ…疑いたくねぇけど浮気してんのか?」
「隠すってことはそういうこと?」
「俺の事バカにしてんの?」
「こんなに好きなのは俺だけかよ…!!」
「んなわけないじゃん!!」と叫ぶ葵に、俺の限界が崩れ去る。
そうじゃなくてまず抱き合ってたこと否定してくれよっ!!
抱き合ってどこまで触れ合ったんだ?
どうして上手に嘘をつくことができないんだよ。
先生
「クソッ……本当に抱き合ってたんだな…言い訳なんか聞きたくない」
「頭冷やしてくるから…今日は帰って」
「………まだ間に合うんじゃね?レトと帰れば」
言っちゃいけない一線を越えた言葉だと分かっていても、止められなかった。
背を向けて歩き出す俺の背中に、葵が泣き叫びながら縋りついてくる。
葵
「……まって、嫌だ……! 行かないで、先生!!」
「…あたしが好きなのは、先生だけなの……! 先生じゃなきゃ、嫌なの……っ!ごめんなさいお願いだから行かないで!!」
ジャージの裾を必死に掴む可愛くて細い手。
その温もりすら、今の俺には「他の男を触った手」に思えてしまって、耐えられなかった。
先生
「……離せよ嘘つき」
「……なぁなんで隠したんだよ……なんであいつの匂いが染み付くまで、離れなかったんだよ」
振り返ると、葵は涙で顔をぐちゃぐちゃにしていた。
泣きたいのは俺の方だ。俺がどれだけ葵を好きか、どれだけ大切に思ってきたか、全部踏みにじられたような気がして。
先生
「葵は……俺のこと、そんなに安く見てんの?」
「…ごめん今何言われても響かねぇわ」
無理やり手を解き、一度も振り返らずに教室を出た。
――あのあと、どうやって帰ったのか覚えていない。
気づいた時にはLINEを漁ってララを探していた。
くそっ…なんであるんだよ。
あの時消せばよかったこんなやつの連絡先なんて。
キヨ
「はぁ…」
ダメなことだとわかっているし、あんなやつに連絡してる自分が気持ち悪くて仕方ない。
だけど壊れた心はもう止められなかった。
何かで埋めたいその一心だった。
キヨ
「…もしもし……」
ララ
「もしもし珍しいねってえ、大丈夫泣いてる??なんかあった?」
キヨ
「泣いてねぇし…」
「お前今どこ…東京いたりしてねぇ?」
ララ
「今?仕事で東京来てるよ…んふふ会っちゃう?」
キヨ
「……会う」
ララ
「怖っなんか企んでる?笑
今渋谷の居酒屋にいるよ! 来て〜!」
キヨ
「ん」
位置情報を送らせて、俺は夜の街へ足を進めた。
最低だ。
心底自分が気持ち悪い。
反吐が出る。
嫉妬と被害妄想に狂って、葵を拒絶して逃げ出してズタズタに傷つけておいて……
寂しさに耐え切れずに元カノに縋るなんて。
男として、人間として、どこまで腐ってんだ俺は。
でも、そうでもしないと気が狂いそうだった。
一人で部屋にいたら、あの教室での光景が、葵の『先生に見られたら…』という声が、あの匂いが、頭の中でぐるぐると回って俺を内側から破壊していく。
指定された店に入ると、ララが手を振っていた。
ララ
「キヨくん久しぶりー!なんまらかっこいいねぇ」
キヨ
「やっぱ帰る」
ララ
「え〜なんで?一緒に飲もうよぉ」
笑顔で俺の腕にまとわりついてくる。
なんでよりによってこいつを選んでしまったんだろう。
今にでも振り払いたい。
何してんだろ俺。
キヨ
「はぁ…じゃ日本酒ロックで」
ララ
「すみませーん日本酒ロックでおねがいしま〜す!」
運ばれてきたグラスを掴み、強い日本酒を喉奥に流し込む。
ララ
「い、一気!!?大丈夫?」
飲んでも酔えないからいつしか飲まなくなったお酒。
冷たい液体が胃に落ちていく感覚すら、胸を刺し穿つような激痛と虚しさを何ひとつ麻痺させてはくれなかった。
キヨ
「おかわり」
ララ
「はっ!?豪酒なの?キヨくん怖いよ顔色も悪いし」
「なんかあったの??じゃないとララと会おうとしないか」
からかうような、でもどこか探るようなララの声が、水底から響くようにぼんやりとしか聞こえない。
空いたグラスを店員に差し出し、すぐに置かれた二杯目の日本酒を、味わう間もなく喉へと流し込む。
冷たくて、カッとするようなアルコールの刺激。
なのに、頭は冴えわたったままだった。
まったく酔えない。
目の前がぼやけることすらない。
キヨ
「行くか」
ララ
「どこに?」
キヨ
「さぁ」
ララの分も払って店を出た。
相変わらず俺の腕に引っ付いて歩いてくるララに嫌気がさす。
ララ
「ねぇ〜久々なんだからさぁなんかもっと明るい顔してよぉ〜」
キヨ
「…ごめん」
ララ
「で、どこ行くの??」
キヨ
「別に…」
そんな俺の足がどんどんホテル街へ向かっていく。
そんな質問してきてどうせわかってんだろ。
…俺がこいつを都合よく扱ってどうすんだよ。
こいつと同等にはなりたくねぇのに。
ララ
「ふ〜ん……キヨくん、やっぱりララのこと忘れられなかったんだ? わかりやす〜めんこいねっ」
お前なんかどうでもいい。
もう誰でもいいんだ。
このどうしようもない気持ちを消し去ってくれるならなんだってよかった。
ホテルに入り、フロントで部屋をさがす。
いちばん安い部屋。
エレベーターを降り、部屋のドアを開けてララを中に押し入れた。
ガチャと重い音が響く。
ララが後ろから抱き着いてきた。
俺の背中に胸を押し当ててるのか違和感がある。
ララ
「ね、ララずっとこうしたかったんだ…キヨくんと一緒にいたかったの」
「キヨくんから電話来た時めっちゃ嬉しかったよ?」
「…好きな子と喧嘩でもしたんでしょ?」
「ララで埋めていいよ?」
「ララキヨくんのこと大好きだからさ」
泣きそうな声でそんな事言うなよ。
まぁそれも全部ララの計画通りなんだろう。
じゃあもう全部お酒のせいにして、その計画に乗ってやろう。
俺は振り返ると、ララの手首を掴んでそのままベッドへ押し倒した。
ララ
「ん……キヨくん……っ」
覆いかぶさるようにして、顔を近づける。
思考を止めろ。
もう何も考えるな。
この一瞬でこの気持ちを上書きしてしまえばいい。
だが――
ララの唇に触れる瞬間、ふわりと鼻くすぐったのは、安っぽくて甘ったるい香水の匂いだった。
キヨ
「……クソっ」
その瞬間、全身の血液が逆流して、氷点下に凍りつくような感覚が全身を駆け巡った。
俺がいちばん嫌いな匂い。
『……あたしが好きなのは, 先生だけなの……! 先生じゃなきゃ, 嫌なの……っ!』
俺が傷つけてしまった葵の声が顔があの光景がまたフラッシュバックする。
心臓を直接握りつぶされたような激痛が走った。
俺は今何をやっている?
あんなに真っ直ぐ俺を求めてくれた葵を、俺は今裏切ろうとしている?
挙げ句の果てに元カノの企みに乗っかって、何逃げようとしてんだよ。
最低だ。
男としても、人間としても、教師としても、どこまで腐れ切っているんだ俺は。
自分自身のあまりの汚さと惨めさに、頭が割れそうなほどの激しい吐き気と猛烈な自己嫌悪が押し寄せてきた。
俺はララから身を引いた。
こんな状況でこいつには1ミリも興奮してなかった自分がまだ救いだ。
ララ
「……え? キヨくん……何……?」
ベッドの上で乱れた服のまま呆然とするララを見下ろし、俺はガタガタと震える手で自分の頭を抱え込んだ。
キヨ
「……すまん……帰るわ」
ララ
「は……? なにそれ……冗談でしょ!? ここまで来といて!?」
「キヨくんが会いたいって言ったからお客さん帰らせたんだよ?」
ララが怒りと困惑の交ざった顔で俺に手を伸ばしてくる。
俺はその手を拒絶するように力任せに払いのけた。
キヨ
「触んなっ……!!」
ララが酷く冷たい顔でこっちを見てくる。
キヨ
「……ごめん俺、頭おかしくなってた。……金は置いてくから、その客でも呼んで使ってくれ」
「あと連絡先も消すわ」
「もう二度と会わない」
ララ
「そんなっちょっと待ってララ嫌だよっ!!」
キヨ
「彼氏がいるくせにそんなこと言ってんじゃねぇよ」
ララ
「…そうだねごめん」
「さよならキヨくん」
キヨ
「ごめん」
財布から札を全部引っ張り出してテーブルに置くと、俺は二度と振り返らずに部屋を飛び出した。
夜の冷たい風が、血の引ききった顔を容赦なく叩く。
走っても、走っても、胸を押し潰す猛烈な罪悪感と自己嫌悪からは逃げられなかった。
俺は何回同じこと繰り返せば気が済むんだろう。
家に着いて風呂に入って落ち着こうとしても、不甲斐ない気持ち悪い自分が許せなくて勝手に涙がでた。
キヨ
「俺…葵と付き合ってんのに……」
「明日どんな顔して葵と会えばいいんだよ」
キスをしていたらその先をしていたら
それは気の迷いだけでは済まされなかった。
ただ最低な浮気者だ。
いや、もう元カノとあってる時点で浮気か。
キヨ
「…別れる…か」
そんなの絶対に嫌だ。
やっと掴んだ幸せなのに、大好きな人と付き合えたのに、そんな簡単に手放す訳にはいかない。
だけど俺がした行為はそれに値する。
葵のいない世界なんて、もう考えられない。
葵の笑顔も、幸せのそうな顔も全部俺のものじゃなくなってしまうなんて耐えられない。
……なのに、どうすればいい?
この汚れきった手で、どの面下げて葵の隣に立てばいいんだよ。
もし、葵がすべてを知ったら……?
想像しただけで、背筋が凍りつくような恐怖が全身を駆け巡る。
もし真実を葵が知ったら、きっと絶望的な目で俺を見て、完璧に心を閉ざしてしまうだろう。
その恐怖が、喉元まで出かかった「別れたくない」という言葉を無理やり押し戻す。
隠し通せるか?
いや、こんな汚い秘密を抱えたまま、この先ずっと葵の恋人でいようなんて、それこそ傲慢だ。
どう転んでも地獄。
自業自得。
すべては俺が蒔いた種だ。
キヨ
「…墓場まで持ってくか……」
二度と繰り返さなければいいだけの話。
俺は葵以外に心が揺れた訳じゃない。
しかもキスをした訳でも体を重ねた訳でもない。
なら葵がこの事実を知らない限り思い詰めることはないんじゃないか。
キヨ
「正当化しようとしてんじゃねぇよ浮気者が」
何を都合のいいこと考えてんだ俺は。
「一線を越えてないからセーフ」
「葵が知らないから大丈夫」
ふざけんな。
甘えたこと言ってんじゃねぇよ。
俺の頭の中で天使と悪魔が囁きあっている。
答えの出ない問題を俺はひたすら解き続けることになるんだろうか。
キヨ
「明日も早いしとりあえず寝るか」
俺は葵とお揃いのネックレスを握りしめながら眠りに落ちた。
先生side____END


